07 私闘
事態が動いたのは日がとっぷりと暮れて暫くしてからだった。
一向に動かぬ事態にヤジ馬たちが飽き飽きし始め、やがて口々に不満を上げ始めた。その背後に武器を手にした一団が、物々しい姿で現れる。川の両端に二つに分かれて現れた彼らは、決してシュレンを逃がさぬように、と考えたに違いない。
右岸のヤジ馬たちはその一団が現れるや否や、あっさりと道を譲ったが、左岸ではヤジ馬たちと《白獅子党》との間に小さないざこざが起こっていた。日頃の不満をここぞとばかりに吐き出す街衆に、目的を忘れて噛みつく《白獅子党》の怒声が響いた。
見物人達にあっさりと道を譲られた右岸の集団は、広場の真ん中で待つシュレンに向かって足を速めた。統率の全く取れていないその一団に素早く目をやり、その装備を確かめる。
最も警戒すべきは飛び道具である。
長弓、短弓、ボウガン。
乱戦に持ち込むまでに一番恐ろしいのは、雨の如く降ってくる無数の矢である。優れた技量の戦士が矢の雨の中で、全身ハリネズミになってあっさり死んでいく様子には、戦場の理不尽さが凝縮される。
事前に屋台を配置する事で矢よけの壁にするつもりだったが、当の《白獅子党》の面々は飛び道具の類いは持っていないようだった。圧倒的な数の理に安心したのか、たかが一人のはねっかえりの傭兵など、物の数ではないらしい。
僅かに安堵するとシュレンは傍らに置いたボウガンに矢をつがえ、立ちあがる。ボウガンを右手にだらりとさげると、右手から近づいて来た男達に向かって歩き出した。
決して焦らずに男達との間合いを詰めながら、その装備に目を向ける。
飛び道具の次に警戒するのは長物である、槍や棒である。
剣で戦うシュレンの間合いの外側から攻撃できるそれらの武器は、乱戦ともならばそれを操る技量が低くても脅威となる。斧槍で相手の足を引っ掛けて転がせば、後は倒れた敵に向かって、雲霞の如く襲いかかるだけである。一対多数ではひとたまりもない。
かがり火に照らされる50人近くの男達の中に、一目でそれと分かる長物は見当たらない。
取り回しの面倒臭さを嫌ったのか、あるいは彼らの信条が見てくれ重視であるからか、多くの者達が、腰に不似合いな長剣を下げている。
その姿に小さく笑みを漏らす。
長剣での乱戦は相応の技量が要求される。むやみに振り回せば味方を傷つけかねず、必然的に攻撃方法は突きを主体に限定される。腰に長剣を下げた者達のたたずまいから、その大部分が素人同然であるとシュレンは判断した。
だが、安心ばかりもしていられない。シュレンの視線が戦斧やこん棒を持った男達に移る。不似合いな剣を腰に差した者達とは違い、彼らは独特の殺気を身にまとっている。
「場馴れしてるな」
小さくシュレンは呟いた。
戦場で警戒せねばならぬのは、己の技量を十分に弁え、周囲の状況を的確に把握する者である。命のやり取りに背延びやハッタリは通用しない。己の戦技と機転、そして運が全てを左右する。取り回しが良く、破壊力の大きな戦斧やこん棒、あるいは乱戦で扱いやすい短剣や手斧を手にした者ほど、注意せねばならない。
そのような者たちは僅かに数名。片手に余るほどだった。それらの者達の動向に気を配りつつ、シュレンは歩みを進めた。
両者が対峙したのは、シュレンの準備した屋台が作る円陣を僅かに外れた場所だった。
左岸の集団は野次馬達と起したいざこざのせいで、未だにこちらに近づけてはいない。嬉しい誤算だった。
眼前で立ち止まった男達の中から一人が進み出る。シュレンの右手のボウガンに僅かに警戒しながら、堂々と尋ねた。
「お前がシュレンか?」
シュレンとは一回りくらい年が離れている。着込んだ鎖を筆頭に、どこか傭兵の匂いを感じさせる。片足を小さく引き摺っているところをみると、戦場で負傷して、荒事の世界から身を引かざるをえなかったというところだろう。
「そうだ、この街に巣食う《シロアリ党》の大将ってのは、あんたか?」
シュレンの一言にならず者達は殺気立つ。大将格らしい男は冷静に一つ頷くと、続けた。
「うちの奴らをずいぶんと可愛がってくれたらしいな。俺達《白獅子党》をここまでコケにしてくれたのはお前が初めてだ」
笑みを浮かべるものの、その目は笑っていない。規律や統制のない集団をまとめ上げるには、多大な苦労を要する。ハッタリと暴力を売りにするからには、同業にも街衆にも仲間内でも決して舐められる訳にはいかない。言う事を聞かねば何をされるか分からないという圧倒的な恐怖を内外に示すことで、組織が一つにまとまり、周囲に恐れられる。彼らをツケ上がらせ、甘やかしたのは街衆の責任ではあるが、暴力の行使に抵抗のない者達に対して、生活に追われ平凡な日常を営む人達が、無理難題を力づくで通そうとする輩の集団に逆らえないのも又、事実である。
「要求は唯一つだ。この街から全員出て行け、二度と俺の前に現れるな」
一方的すぎる言葉に、嘲笑と怒声が上がる。たかが一人の傭兵風情が一体なんの権限あっておいしい餌場を奪うのだ、そんな意識が周囲に蔓延する。
「なかなかいい度胸だな、小僧。仲間に入れてほしいんだったら、素直に言いな。腕っ節はあるようだし、売り込みならもう十分だろう?」
「ご託はいい。俺が聞きたいのは、イエスかノーか、その答えだけだ」
「素直にお前の要求を聞くとでも? 一体何様のつもりだ?」
男の顔から笑みが消える。代わりにシュレンの口元に小さく笑みが浮かんだ。
「そうか。じゃあ、死ね」
自然な仕草で右手のボウガンを構え、間髪を置かず引き金を引く。勢いよく飛び出した矢は、至近距離から大将と名乗った男の眉間を正確に打ち抜き、その身体は後ろに吹き飛んだ。背後に立っていた数人がその勢いに巻き込まれる。
矢を放ったボウガンを、そのまま傍らに立っていた男の顔面に叩きつけ、素早く腰に抱きついた。その両腰の短剣と長剣を奪い取り、背後に回り込むや否や、引き抜いた短剣で顔面を抑える男の喉を切り裂き、蹴飛ばした。
喉を大きく斬り裂かれ悲鳴すら挙げられずに倒れた男がふりまく血しぶきを浴び、数の理に安穏としていた集団は恐慌をきたす。素早いシュレンの先制攻撃にようやく事態を把握した男達が怒声とともに武器を構えた。
シュレンはすでに次の標的へと動いている。
奪いとった長剣を手にして、戦斧を持つ者に襲いかかる。相手の間合いの外側から繰り出された銀の閃光がきらめくや否や、首が斬り飛ばされ、ごろりと石畳の上に転がった。一拍遅れて血しぶきが噴水のように飛び散り、周囲の者達にふりかかる。
ドウと音を立てて倒れる首を失った仲間の身体と一面に匂う血臭に、動揺し怖気づく者が現れた。血の雨とその匂いにある者は興奮し、ある者は怖じ気づく。さらに二人の男を踊る様に斬り捨てたシュレンは、勢いに飲まれた集団を素早く見回した。
「何やってる! 相手はたった一人なんだぞ。総がかりで押しつぶせ!」
冷静さを失った集団に号令が飛ぶ。大将格を失ったとはいえ、その代わりになる者はいるようだ。
この障害を乗り越えれば、組織を牛耳る幹部になれるかもしれない。打算が勢いをそがれかけた集団を活気づかせた。目的を見出した集団の殺気が再びシュレンに向いた。数人の男達が前に進み出る。ハッタリばかりの者達にはない戦場の匂いを感じた。戦斧やこん棒を手にして、じりじりと間合いを詰める姿は堂に入っている。
(ここからが本番だな……)
長剣を構えながら、シュレンは僅かに後退し、間隔をとって置かれた屋台の間に身を移す。シュレンが置いた障害物に気を取られ、僅かに男達の動きが止まる。その瞬間を見逃さず、シュレンは再び中央の男に襲いかかった。
長剣の描く銀の閃光が男の両眼を削り、瞬く間に戦闘不能とする。悲鳴を上げて転がる男の身体が、集団の統率を僅かに乱した。
さらに襲いかかる左右の男達に対して、後退し、障害物の間に誘い込む。戦斧を持った男の右足を斬り捨て、こん棒を持った男に向かって体当たりをかける。そのまま左手の短剣を喉元に叩き込んだ。右足を失って転げまわる男に無慈悲に止めを刺したシュレンに、障害物を大きく迂回して現れたさらなる集団が襲いかかった。
両翼から長剣を手に、男達が襲いかかる。決して背後に回り込まれぬようにしながら、シュレンは落ち着いて迎え撃った。恐怖心から生まれる僅かな迷いが男達の連携に齟齬を生み出し、その隙をついたシュレンの見えない剣閃が、男達の身体を次々に切り裂き、肉片と血が石畳に飛び散った。
あっという間に6人の死体が転がり、血に濡れた刃を手にして悠然と立ちはだかるシュレンの姿に、《白獅子党》の面々は呆然と立ち尽くす。
相手はたった一人である。だが、そのたった一人に襲いかかった者は皆、無残な躯となって地に伏した。
転がる屍のどれもが、仲間内で腕っ節の強さを自慢にしている者達の変わり果てた姿であるのだから、堪らない。恐怖が一同に伝染し、どんよりとした空気が彼らを支配する。
不意にシュレンの後方で大きな歓声が湧きあがった。
対岸からの別集団がこちらへと駆けつけてくる事に気づいたシュレンは、対峙する集団に向かって手にした長剣を投げ付けた。即座に彼らに背をむけ、一目散に後方に駆けだした。
その姿に、男達は一瞬あっけにとられたものの、対岸からの援軍の存在に気付き、再び勢いづいた。
「この邪魔な屋台を叩きつぶせ!」
何者かの叫びで士気を高めるべく、数人の男達が屋台に飛びついた。主を失い転がる戦斧を拾い上げ、物言わぬ屋台に叩きつけて一方的な暴力に酔いしれる。その姿に感化されたのか周囲の者達がこぞって、別の屋台に取りついた。
破砕音と共に次々に押し倒され、側に置かれた油壺が巻き込まれて粉々に割れる。たっぷりと入った油が石畳を濡らし、欄干のかがり火に照らされ、黒々と広がった。対岸からの援軍もその様子に気づき、同じように屋台を叩きつぶした。
石畳に広がる油に、幾人かが足を取られて転んだ。全身油まみれになって冷静さを失った者達が、八つ当たり気味に怒声を上げた。
数の理に対抗する為に置いた障害物を次々に破壊されたシュレンだったが、その顔には小さな笑みが浮かんでいた。シュレンの計略に気付く事もなく、《白獅子党》の面々は反撃すらせぬ屋台を次々に叩き壊して士気を高めた。集団が屋台の二重の円陣の外側を破壊し、内側に取りつこうとした頃を見計らい、シュレンはやおら、かがり火に籠手ごと手を突っ込んだ。真っ赤に燃える炭を男達に投げつける。
転がった炭の火が、石畳に広がった油に引火し、一気に燃え広がった。燃え広がった炎で周囲は昼間のように明るくなる。転んだ拍子に全身油まみれになった者達に炎が燃え移り、悲鳴をあげて転がり回った。焦げ臭い匂いと黒煙が周囲に立ちこめ、集団の視界を妨げ始めた。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化しつつある広場の真ん中で、不敵に笑ったシュレンは、すらりと背の剣を抜く。ずしりとした剣の重さに不思議な安心感をおぼえると、歩み出す。
「それじゃあ、仕上げといこうか」
最も近くにいた者に襲いかかる。革の鎧ごと袈裟がけに切り倒され、内臓と汚物をふりまきながら男の破片は転がった。それを合図に殺戮の剣嵐が吹き荒れる。
炎と煙に混乱した集団に走る銀の閃光――。
容赦なく、手当たり次第に、シュレンは剣を振う。前後左右、彼の間合いに近づく者には平等な運命が訪れた。すれ違うたびに血しぶきが飛び、悲鳴が上がる。
頭を、手足を、身体を。
切り裂かれ、撥ね飛ばされ、突き抜かれる。
燃え盛る炎で怪しげに輝く刃と使い手の技量が一体となって、ならず者達の身体をやすやすと斬り裂き、悲鳴と怒号がおきる。数の理も武器の理も無視して吹き荒れる殺戮の剣嵐は、一人、又一人とならず者達を物言わぬ躯と肉片に変えた。
石畳に広がった油が壊された屋台の木材に燃え移り、周囲を煌々と照らし出す。煙を吸い込み視界と呼吸を奪われかけた男達にシュレンの生み出す銀の閃光が襲いかかる。仲間の無残な死体を目にして恐慌をきたした一部の者達が、煙の中で同士討ちをするのを尻目に、シュレンは当たるを幸いとばかりに剣を振った。周囲は全て敵である。躊躇う必要は全くなかった。
燃える炎の中で怪しげな輝きを秘めた刃を手に自在に踊るその様は、混乱して逃げ惑う草食動物の群れの中で大暴れする肉食獣そのものだった。
それは戦というよりも一方的な惨殺に近かった。
一振り一振りの剣の速度が全く違う。技巧も戦術も無視して繰り出される銀の閃光が一瞬にして振り抜かれるたびに、悲鳴をあげて一人、又一人と倒れ伏す。無知なならず者たちには、眼前の若い剣士の剣技が、《疾風の剣》と呼ばれる領域に達する者の奇跡であることなど、露ほども知らない。
居場所を奪われ己を必要とせぬ世に憤り、徒党を組み、弱者を虐げ続けた怠惰な日々の終焉。
人の形をした死神が圧倒的な理不尽をもって彼らを葬り続ける。返り血を浴びながらも、眉一つ動かすことなく、淡々と命を屠ってゆくその姿は、《白獅子党》にとってもはや恐怖そのものだった。
油が燃え尽き、徐々に明るさを失っていく広場の中央で、返り血に染まり、無言のままだらりと剣を提げたシュレンの周りには、無数の屍が転がった。被害は《白獅子党》の構成員のおよそ半数近くに達していた。屍となった者。手足を失い、腸を引きずりながら地を転がって助けを求める者。炎にまかれ虫の息の者。凄絶なその光景に誰もが言葉を失った。対岸の野次馬達すら、水を打ったように静まり返っている。
ブスブスと燃える木材に照らし出されるシュレンに向かい、見知った者の躯を踏みつけてまで前に出ようとする者はいなかった。
修羅場の中で生まれた静寂の中で、闘いの中に身を置く者のみが感じられる独特の恍惚感からシュレンは醒め始めた。周囲を一睨みして小さく舌打ちする。
――まずいな。
シュレンの策とその剣技は圧倒的に戦場を支配していた。多くの仲間をすぐ目の前で無残に切り刻まれ、戦闘の続行を望む者はもはやいないだろう。だが、敵は未だに半数近く残っている。戦場の高揚感のままに襲いかかってくる敵を斬り捨てることよりも、逃げに回った敵を斬ることの方が難しい。
降伏を受け入れるにはまだ人数が多すぎる。反撃の意思はなくとも多くの者達が、この状況からどうやって逃げのびるかを考えているはず。無事に逃げ出した暁には改めて立て直しを図り、潰されたメンツに対する稚拙な報復を企むに違いない。皆殺しにするか、その反抗心をへし折らぬ限り、際限のない怨念がシュレンやこの一件に関わった者達を襲う事になるだろう。
さらに厄介なのが対岸に陣取る野次馬達の存在だった。
戦場が静寂に包まれるのに対比するように、彼らの中から歓声と怒号が起きていた。これまでやりたい放題をやってきた《白獅子党》に対する憎悪と怨嗟の念が彼らの無残な結末を望んでいた。
もしもシュレンが彼らに向かって再度攻撃を仕掛ければ、シュレンと野次馬達の間で進むも引くも出来ぬ状況に陥った彼らは、おそらく野次馬達に向かって凶刃を振い逃走を計るだろう。シュレンの活躍を目の当たりにして興奮した野次馬達が素直に彼らに道を譲るとは考えにくい。無用な人死によって生まれる無責任な大衆の怒りは、常に正しい方向に向くとは限らない。己が不用意に戦場に近づいた責任を棚に上げ、流れた血の代償を求める狂気がシュレンに向かう事もあり得る。
想定外の戦況は、《白獅子党》の者達同様、シュレンをも追い詰めつつあった。徐々に湧きあがる焦りと不安が高揚感の去った身体を蝕み始め、疲労と痛みが全身を襲い始める。使いなれぬ剣の重さを、炎と煙の中で夢中で振り回した代償が徐々に圧し掛かる。
内心の動揺を周囲の者達に気取られぬように表情を消したまま、状況の打開策を思案していた時だった。
野次馬達の中に新たなざわめきの波が生まれ、聞き覚えのある集団の足音が緊迫と静寂のなかにある広場の空気を揺るがした。
無数の金属がこすれ合い石畳を叩く。それを耳にしてシュレンは小さく息をつく。
「騎士団だ!」
両岸の野次馬達のざわめきがさらに大きくなる。《白獅子党》の時とは異なり、彼らは速やかに道を譲った。譲られた道を通って、完全装備の騎士団とその従卒達が整然と列をなして、両岸から現れた。欄干の篝火と広場でくすぶる炎の光の中に、その旗印がきらめいた。
《竜鱗騎士団》――王国の誇る三大騎士団の一つであり、精鋭中の精鋭である彼らは、炎と煙のくすぶる広場をぐるりと取り囲んだ。
手にした斧槍を突きつけられ、《白獅子党》のならず者たちの顔に動揺が生まれた。号令がかかるや否や、騎士団はならず者達に襲いかかり、次々に取り押さえては縄を打つ。見事な手際だった。
広場の中央で剣を手に立ち尽くしていたシュレンの周囲を、幾人かの騎士たちが取り囲んだ。シュレンと彼らの間に小さな緊張が生まれる。逆らったところで何の得にもならないが、ならず者たちと同様に一方的に扱われるなら一噛みくらいはしてやろう――そんな意思を込めてシュレンは剣を構えた。周囲の者達くらいは斬り倒せるかもしれない。だが、騎士団を相手に真っ向勝負は無謀すぎる。武力、権力、その他諸々の要素が圧倒的に違いすぎた。
それでも彼らに向かって闘いの姿勢をみせたのはシュレン自身の意地だった。
三年前の出来事が彼らへの反発心を駆り立て、無意味な戦意と高揚感に包まれる。
だが、シュレンの挑発に、近づいた騎士団の男達は眉一つ動かさなかった。シュレンを中心に速やかに円陣を組むと、彼を守るかのように背を向けた。逃げ惑うならず者たちと、それを容赦なく取り押さえる騎士団との争いに微動だにすることなく、彼らは己の任務を果たしていた。
騎士団がシュレンに敵対せぬ事を理解したシュレンは、小さく息をつくと剣を下ろす。だが、まだ安心はできない。これだけの騒ぎを起こしたのである。御咎めなしで済むとは到底考えられなかった。
勇壮な騎士団の登場から瞬く間に、捉えられ縄を打たれたならず者たちは、一か所に集められた。抵抗した者には容赦のない一撃が加えられ、それを目の当たりにして、更なる抵抗の意思を示す者はいなかった。
従卒達によって広場に転がる死体が次々に片付けられ、虫の息だった者には適切な処置が加えられる。川から水をくみ上げ、ブスブスとくすぶる炎が消された広場は、騎士団が準備した新たな篝火によってふたたび明々と照らされた。殺伐とした戦場の空気が一掃され、秩序に統率された日常の空気が徐々に蘇る。
戦場の後片付けが騎士団によって整然と行われ、縄を打たれ、項垂れるならず者たちの姿に、野次馬達は次々と歓声を上げる。彼らが称えるのは、ならず者たちと直接戦ったシュレンの名ではなく、国王とその精鋭である《竜鱗騎士団》であった。見事なまでの大衆扇動の手際に、シュレンは思わず感心した。
事の全てが終わる頃、円陣で守られていたシュレンの元に一人の男が近づいた。
長身のその男は、篝火の炎に照らしだされ鈍く輝く全身甲冑に身を包み、細身の長剣を腰にさしたまま悠然と歩みよる。しっかりと蓄えられたたくましい顎髭のその顔にシュレンは見覚えがあった。
厳しい表情のまま男が手を上げると同時に、シュレンを囲んでいた騎士たちは円陣を崩し、駆け足でその場を去っていった。ならず者と騎士団、そして群衆達が生み出す喧騒の中で、シュレンはやってきた男と向き合った。
「久しぶりだな、シュレン」
「ご無沙汰しています。ナルビス卿」
久方ぶりの再会であるにも拘わらず、互いの顔に笑顔はなかった。
シュレンの前に立っていたのは、《竜鱗騎士団》団長であり、ゼハルドの一番弟子でもあるナルビスだった。
下級貴族の出自である彼は、ゼハルド門下において文武共に傑出し、《剣聖の後継者》とよばれるにふさわしい人物だった。ゼハルド門下の中で最も発言力を有する彼とは浅からぬ縁ではあるが、三年前の一件が双方の間でしこりとなっているのも事実である。
「帰還するなり、大きな騒ぎを起こしてくれたな」
「……にしては、ずいぶんとタイミングのよい御登場で……」
シュレンの皮肉にナルビスは眉一つ動かさない。じろりとシュレンをねめまわす。臆することなくシュレンもナルビスと向き合った。と、ナルビスの表情が曇った。
「その剣を……、どうした?」
右手にだらりと下げたままのシュレンの剣を目にしたナルビスの顔に、小さな動揺が生まれた。
「もらったんですよ。ゼハルドの爺さんに」
その言葉に一瞬、ナルビスの顔に複雑な色が浮かんだ。揺らめく篝火の炎のせいで、シュレンはその中に潜んだ感情を読み取り損ねた。しばし、シュレンの剣を睨みつけていたナルビスは、やがて目を閉じ小さく深呼吸すると再び元の騎士団長の顔を取り戻す。
「ついてこい、シュレン」
言葉と同時に鮮やかに身をひるがえし歩き出す。懐から取り出した布で血糊を拭って背の鞘に剣を収めると、シュレンは少し離れてナルビスの後を歩く。向かった先は、縄をうたれて集められたならず者達の所だった。
シュレンが近づくや否や男達は怨嗟の視線を向け、口々に罵声を浴びせた。速やかに騎士団が斧槍の柄で叩きのめし、彼らを黙らせる。
「テメエ、俺達に何の恨みがあって……」
殴られた痛みにのたうちまわるならず者達の中で、一人の男が憎々しげにシュレンを見上げる。恨みつらみで事をしかけてきたのは彼らの方である。完全な逆恨みだが、その事実を彼らが認める事はないだろう。世界は常に己に都合よく回っていると考えるからこそ罪を犯す。それに気づかぬのが、人という生き物である。
しばしの沈黙の後で、シュレンはぽつりと言った。
「強いて言うなら……、クルケの恨みだな」
その返答に男達は暫し呆気にとられた。彼らを見下ろしながら、シュレンは続けた。
「クルケを飽きるほどに腹いっぱい食べてみたい、せっかく子供時分の夢を叶えようとしているのをお前たちは邪魔した。あろうことか、その喜びを分かち合おうと差し出したせっかくの俺の好意を無碍にした。だからお前達を潰した。文句あるか?」
男達は絶句する。
周囲に微妙な空気が広がった。縄をうたれた男達だけでなくその周りを囲む騎士団にもそれは波及した。さすがに彼らが表情を変える事はない。言葉を失う《白獅子党》の面々に向かってシュレンは言い放った。
「食べ物の恨みは恐ろしいんだ。これに懲りたら、食べ物を粗末にしない事だな」
子供のおやつが原因で壊滅させられた《白獅子党》。
その滑稽さを町衆達は女子供に至るまで、ここぞとばかりに面白おかしく噂するだろう。メンツを完膚なきまでに潰され、《白獅子党》の残党は、町衆にも同業にも軽んじられ、この街で今後悪行を働くことはできない。シュレンの最後の一撃が、彼らの存在そのものに止めを刺した瞬間だった。
「ふ、ふざけんな! テメエ、こんな真似をして只で済むと……」
型どおりの負け惜しみの言葉に付き合うつもりはなかった。シュレンは彼らに背を向けようとした。
「今に見てろ。お、俺達の後ろには、ロー……」
瞬間、銀の閃光が走った。
一拍の呼吸を置いて男の首がごろりと石畳の上に転がった。電光石火の技の冴えを見せたのはナルビスだった。自身と同じ、否、それ以上かもしれぬ領域での《疾風の剣》を目にして、シュレンの全身に鳥肌がたった。
首を失った胴体から血が噴き出し、周囲の者達は恐慌をきたす。すかさず周囲を取り囲んでいた騎士団員が強かに斧槍の柄で叩きのめし、彼らを屈服させた。
恐怖と痛みで再度拘束された男達に、首を一瞬で撥ね飛ばしたナルビスがおもむろに告げた。
「命惜しくば、黙っていることだ。貴様らには陛下の御名において厳正な裁きが下されよう。助かりたくば、大人しくその口を閉じるがよい」
篝火の炎にきらりと光る刃をつきつけたナルビスの言葉に、一同は沈黙し項垂れる。その光景にシュレンは背筋を小さく震わせた。その場を支配したのは圧倒的な権力だった。
代行者として権限を与えられこの場に立つナルビスは、その行使になんの躊躇いもない。場合によっては、抵抗を理由にその全員の命を奪う事もありうる。いかに残酷であろうとも、世論を敵に回した彼らに同情する者はいない。《白獅子党》の運命はナルビスのさじ加減一つだった。
シュレンも又、同様である。
彼が事なきを得ているのは、彼の正義や主張が認められたからではない。あくまでも権力の側の都合である。ナルビスの命令一つで周囲の騎士団が一斉に敵となって襲いかかることもありうる。その事実に思い至り、シュレンの中に小さな警戒心が生まれた。
ナルビスの命令で、縄を打たれた男達が、野次馬達の罵声と投石の中を次々に引っ立てられる。その姿を見送ったナルビスは振り返った。シュレンと視線を合わせたナルビスは、その内心を見透かしたかのように小さく笑った。圧倒的な力の差に飲まれぬよう、シュレンはナルビスを睨みつける。暫し、睨み合うかのような二人だったが、やがてナルビスが口を開いた。
「シュレン、お前は暫く王都から離れる事を禁ずる。これは王命と思え。いいな!」
一方的な命令を残すと、シュレンに背を向け部下達に号令をかける。シュレンに拒否権などあろうはずもない。返事を聞く事もなく整然と去っていくナルビスと《竜鱗騎士団》の姿を、シュレンは小さく舌打ちしながら見送った。
2013/04/04 初稿