03 再会
すでに日は西に傾きつつあった。
錬武館の者達を刺激しないよう裏口から出たシュレンは、そのまま裏道を伝って大通りへと向かった。
『人の形をした、人ならざるものを斬ってこい』
その言葉と共に、シュレンは再び老人に送り出された。背には老人に譲られた剣がある。この剣を如何に己の物とするか――シュレンは様々な要素を頭に思い浮かべた。
並みの長剣よりも若干長く重いそれは、片手よりも両手で扱う場面が増えるだろう。幅広で頑丈な刀身は防御の面で重宝するものの、より相手の懐に踏み込まねばならぬ事が予想される以上、ナックルボウだけでは不安がある。鉄製のガントレットで上腕から手首を守らねばならぬだろう。武装の変更は、それを扱う技やさらには防具にまで大きく影響する。
試しに近くの防具屋を覗いてみるか、と考えた矢先だった。
路地裏からバラバラと数人の人影が現れ、シュレンを一斉に囲んだ。その数およそ十余人。シュレンより年長の者が多く、幾つかの懐かしい顔もある。だが、その表情は決して好意的ではなかった。一つため息をつく。
「ようやくの御登場か。ずいぶんと老師に気に入られたものだな、シュレン」
声をかけたのはサガロだった。シュレンが帰還した事を言いふらし、手ぐすね引いて待ち構えていたのだろう。これだけの人数が集まったのはサガロの人徳ではなく、シュレンに対する恨み辛みゆえというところか。
「ご苦労だな。他にやる事はないのか、あんた達」
当然、怒りのボルテージは上がる。さらに殺気立つ彼らの顔に、やれやれと再びため息をつく。
「よくもおめおめと帰ってこれたな」
「どの面下げて戻ってきた」
「この街を無事に出られるとおもうなよ」
独自性のかけらもない型どおりの台詞を吐く彼らは皆、武器を手にしていた。全て真剣である。だが、それでもシュレンには甘く感じられた。
闇打ちとはいえ、実戦である。鎖帷子くらいは着込んでくるものだが、彼らは全員平服のままだった。己の積もり積もった恨みを晴らすことで頭がいっぱいのようだ。自分達が斬られるかもしれないという緊張感に欠けたその姿にうんざりしたシュレンだったが、ふと、小さな違和感を覚えた。己の感覚に従い、気配を探った彼は、路地裏の一角に僅かな影を感じ取った。
彼を取り巻く者達とは全く異なる殺気がわずかにその場所に潜んでいた。
シュレンの目つきが変わった。
「なんだ、お前、やる気か」
いきり立つ周囲の知己を無視して、シュレンはすらりと背の剣を引き抜いた。
「そこに隠れてる奴! 出てこい!」
低くはっきりとした声で路地裏の影に声をかける。その言葉に周囲は顔を見合わせた。
「さっさと出てこい。それともこちらから行こうか」
瞬間、風を斬る音と共にシュレンの剣が何かを弾いた。コロコロと道に転がったそれは吹き矢の弾だった。奇襲に失敗した事を悟った影は、仕方なく物陰から歩み出す。
現れたのは全く見覚えのない男だった。まだ若くうだつの上がらぬ痩身の男が身にまとう空気に、嫌な気配を感じとる。
周囲の者達が「誰だ」と首をかしげる様子から、彼らとは関わりのない者なのだろう。別口でシュレンに恨みを持つ者といったところだろうか?
ゆったりとした足取りで男はさらに数歩前に進み出て、シュレンを囲む輪の中に入った。全身の力を抜いてシュレンはだらりと剣を下げる。身にまとう嫌な気配の中にどす黒い色が感じられた。明らかに堅気ではない世界の住人だった。
「何者だ?」
男の挙動に神経を集中しながらシュレンは尋ねた。その問いに男は薄く笑いを浮かべて短く答えた。
「ギルドより……」
周囲がざわめいた。
カネ次第でいかなる殺しも引き受ける暗殺ギルドの存在は、王国内で多くの者に噂される。だが、その実態は不明だった。王族の後ろ盾、あるいは有力大貴族の財力に支えられた支配者層公認の組織であるというのがもっぱらの噂である。そのようなものに狙われては、常人の神経ではひとたまりもない。
だが、シュレンはひるまなかった。
「武器を捨てろ!」
シュレンの言葉に従うかのように、ゆったりとした動作で右手の吹き矢を放り捨てる。と同時に、男は密かに左手を後腰に忍ばせようとした。
瞬間、二人の間に風が舞い、閃光が走った。両手で斬りかかったシュレンの刃をかわして、男は大きく飛び下がり、左手にダガーを握る。ぬらりと刃がぬめる。毒の類いだろう。不気味な笑顔を張り付けたままの男とシュレンは睨み合う。
突然、男の表情に変化が生まれた。それまでの不気味さとは程遠い、驚愕の表情だった。
顔面に一筋の赤い線が走る。そのままヌチャリと音を立てて男の身体が二つに割れた。耳障りな音と共に路面に内臓をぶちまけ、異臭を漂わせる。その光景に耐えきれず、数人の者達がその場に嘔吐した。
剣と技が一体となった故のすさまじい威力だった。だが、周囲の者達の驚嘆とは裏腹にシュレンの中には大きな不満が残る。剣を振り切った際に生じた小さな鈍い痛みと僅かなバランスの齟齬が、手の中の剣がまだ己の一部となっていない事を感じさせた。
「バカな、《疾風の剣》だと……」
「聞いてねえぞ、こんなの……」
「こいつ、《剣聖の後継者》だったのか」
老人が聞けば大げさな、と笑う台詞とともに、周囲の者達は驚愕の表情を浮かべている。夕日にきらりと輝く刀身を手にシュレンは冷たく周囲を見回した。
暗殺ギルドと名乗った間抜けな刺客に加える手心など無い。降りかかる災いを速やかに全力で排除するのは当然のこと。
斬った手ごたえはほとんどない。刃の重さのみで、暗殺者の身体を解体された家畜のように二つに斬り捨てた。恐るべき斬れ味の剣を手にしたシュレンは、そのまま歩き出す。勝ち目の全くない相手と悟り、誰もが顔に怯えを張り付ける。そのうちの一人の前で足を止めた。シュレンはその目をじっと見つめた。
「サガロ師範」
声をかけられたサガロの返事はない。ただ真っ青になって身体を震わせるのみである。その身体に剣の平をゆっくりと押し付け、彼の服で血糊を丹念に拭って背の鞘に収めた。
「後始末、よろしくお願いします」
節度ある口調と態度で丁寧に依頼すると、シュレンは口笛を吹きながら大通りに向かって歩き出し、やがて人ごみに消えて行った。彼の後を追おうなどと考える豪気な者はいなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕暮れの市場は賑わっていた。
一日の仕事を終えた職人たちを出迎える屋台や、夕食の材料を買い出しにきた女たち。その間をちょこまかと駆け抜ける子供達の姿は昔と全く変わらない。錬武館からの帰り道、友人たちと小遣いを出し合って買ったおやつの味をふと思い出す。
活気あふれる道をあてどなく歩きながら、今夜の宿を探す。
実家に帰るという選択肢はシュレンにはない。三年前のあの日から、否、おそらくはそれ以前から、そこに彼の居場所はなかった。良く知るはずの遠い街。それがシュレンにとっての故郷である。
「だからさ、もうちっと、負けてくれっていってんだよ! お得意様の頼みが聞けないってのか?」
「あん? おめえんとこは、いつも特別料金にしてやってるだろうが。おやじさんが怪しんでたぜ。おめえを買い出しに行かせるといつも釣り銭があわねえってな」
「バカ野郎! 新メニューの研究には常に失敗がつきものだ。同じものばっか作って満足してるロートルの寝言なんか、いちいちとりあってんじゃねえよ!」
少し離れた場所で若い男が魚屋の親父と言い争っている。シュレンよりも大柄なその体格は、熊そのもの。周囲の者達は二人のやり取りを楽しんでいる。いつものことらしい。
そういえば、昔、料理好きな知り合いがいたな、と、ふとその顔を思い出す。あの頃の仲間達はすでにバラバラになり、今頃それぞれの生活を送っているのだろう。期待を裏切り、おそらくもう二度と会う事を許されぬ仲間達の顔を思い浮かべたシュレンの胸に、小さく苦い物がこみ上げる。
魚屋の親父との闘争に勝利したその男は、掴み取った戦利品を大量の買い物かごの一つに放りこんで振り向いた。シュレンと男の目があう。男の顔は、つい先ほど思い出したばかりのシュレンの良く知る者のそれだった。懐かしさと同時に小さな戸惑いが生まれる。この街にシュレンを暖かく迎えるものがいないのは、先刻承知である。
しばし、呆然としていた男の表情は直ぐに驚愕へと変わった。
「シュレンじゃねえか!」
手にした買い物かごの山を放り出し、男は迷わずシュレンに抱きついた。
「元気だったか? いつ戻ったんだ? なんで連絡一つ、よこさねえんだよ!」
ばんばんと両肩を叩かれ、シュレンは戸惑いを浮かべる。
「なんだ、お前、まさかこのオレ様の事を忘れちまった、ってんじゃねえだろうな」
「い、いや、そんな事はないぞ、ブラン」
「まあいいや、どうせ、行くところがないんだろう、お前」
言いにくい事をズバズバと言うのは相変わらずである。
「だったら、ウチに来い。積もる話もあるだろうし、寝床の心配もねえ。今日はオレ様が腕によりをかけて上手い物を御馳走してやろう」
振り返ったブランは、魚屋の親父に親指を立てて言い放った。
「親父。一番旨い奴を追加だ。今日は俺の兵学校時代の仲間の帰還祝いだ。払いは次に来たときでよろしくな!」
魚屋の親父が呆れ果てた事は、いうまでもない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《赤髭亭》――シュレンのかつての仲間であるブランの実家が経営する宿屋兼食堂である。
兵学校の飯はまずい。
夜中に度々王宮裏の兵舎を仲間達と抜けだし、腹をすかせて駆け込んだのが、なつかしいこの場所だった。当然、シュレン達の行動は教導官にばれており、翌朝の念入りなシゴキは実に味わい深いものだった。
夕食時が過ぎ、夜が僅かに更け始めた頃、ようやく閑散とし始めた店内でシュレンはブランの用意した豪勢な食事と酒に舌鼓を打っていた。
「ずいぶんと流行ってるみたいだな」
「ふん、作る奴の腕がいいんだから、当然だ」
シュレンの前で力瘤を作って見せるブランだったが、その後頭部に調理場から、木杓が飛んだ。
「なにしやがる、クソ親父!」
「うるせえ、テメエなんざ、まだまだ半人前だ! 思い上がんじゃねえ」
壮絶な舌戦が繰り広げられるが、客達に不快感は感じられない。むしろそのやり取りを楽しんでいるように見える。
なんだかんだと言いあっているが、この店が繁盛している事は間違いない。店内の客達の顔とその流れを見れば一目瞭然である。
どうにか舌戦が収まり、客達の喧騒がさざ波となって店内の空気を洗い、ふたたびいつもの活気に満ちた空気が戻る。
「お前の腕が上がってる事は認めるよ、ブラン。一部コゲてるみたいだがな」
シュレンよりも大柄な体格に似合わず、ブランは実に手先が器用だった。野戦演習の際の糧食の確保に必要な知識も豊富で、彼から得た知識は、今の傭兵生活の中でも十分に役立っている。時折妙なこだわりを見せて、周囲を容赦なく巻き込む事が玉に瑕だったが……。
「分かってねえな。シュレン。このコゲがいいんだよ。これこそが新しい食の世界を切り開く鍵なんだ」
「コゲた料理が、か?」
「そうだ、今に、こいつはこの街だけでなく、国の至る所で……」
再び、自称料理研究家の後頭部に、今度は鉄鍋が飛んだ。
「バカ野郎! そんな物、世の中に流行らされた日にゃ、俺が恥ずかしくて店を閉めなきゃなんねえだろうが!」
「頭の固いロートルはひっこんでろ! テメエの時代はとっくに終わってんだ!」
再び舌戦が繰り広げられる。頃合いを見はからって、シュレンは再び、ブランと乾杯した。
ブランは勢いよく己の杯を飲み干す。シュレンの記憶の中ではさほど強くなかったはずだったが、ブランは快調に麦酒の杯を開けていた。久しぶりに会った知己と交わすのは、あの頃の仲間達のその後の話だった。
「ロダの奴は、家の畑を手伝ってるようだ。あいつの村はいい土と水に恵まれてるから、結構豊からしい。口ばかり達者な役立たずのバカ兄貴を追い出してやるんだって息巻いてたぜ。ズキールの奴はな、笑っちまうんだけどよ、一番に結婚しちまいやがった」
「あの顔でか?」
「おうよ。しかも聞いて驚け、相手は《ロザリアーナ》の材木商の娘ときた。あの野郎、旨い事やりやがったって、みんな驚いちまってよ……」
「そりゃ、そうだ……」
シュレンの眼前でブランは指を折りながら、かつての仲間の名を一つ一つ上げて、彼らのその後を楽しげに語る。だが、ふいに指を折る動作がぴたりとやんだ。
「イスクの奴は……死んじまった」
その言葉にシュレンは驚いた。傭兵であるシュレンにとって人の死は日常であるが、それでも知己のそれは全く意味合いが異なる。
「何があった?」
「流行り病さ。去年の冬にあっさりとな。それまでは色々とやってたみたいだが、どれも長続きしなかったな。あいつは……」
そこまで言って、ブランはかぶりを振った。
「いや、そういう運命だったんだよ。運がなかった、仕方がなかったんだ」
己に言い聞かせるようにブランはジョッキをあおった。ジョッキの水面に懐かしい友の顔が浮かぶ。いつもとっつきにくい仏頂面の古き友人は、人付き合いの不器用な心優しい男であり、戦いの場面では常に先頭近くに立つ勇敢な男でもあった。
「そうか……」
知らぬ間に逝ってしまった古い友人に、シュレンはそっと献杯した。
「まあ、人生いろいろさ。今日はしっかり食って飲めよ、シュレン。めでたい日なんだからな」
ピッチを上げてブランは杯を進める。この分だと直ぐに潰れるだろう――昔の記憶にどこか合致しないブランの振る舞いを眺めながら、シュレンは彼に付き合っていた。
夜もすっかり更け閉店した店内には、予想通り潰れかけたブランとその傍らに座るシュレンの姿があった。
「あいつはさ、イスクの奴はさ、結局……、夢から覚められなかったんだ」
酩酊しかけたブランは繰り返し、その言葉を呟いていた。
「チクショウ、ハザードの野郎、汚ねえ事しやがって。王宮の奴らだってそうだ。全部知ってやがって、それをシュレンに押し付けたんじゃねえか!」
傍らのジョッキを飲み干し、腹立たしげに言う。
「あのクソ野郎、近衛じゃずいぶんといじめられてるみたいだが、ざまあみろってんだ!」
眉をひそめるシュレンにブランは続けた。
「阿漕なやり口で俺達から手柄をかっさらったツケが回って、ずいぶんと風当たりが強いって噂だぜ、ざまあねえや! 御貴族様だろうが、庶民だろうが、結局、やることは同じだってな!」
「ああ、もう分かったから、そのくらいにしとけ、ブラン」
だが、赤ら顔でブランはからんだ。
「何、いい子ぶってんだ。忘れたのか、おめえが一番貧乏くじ引かされたんじゃねえかよ。悔しくねえのか? チクショウ、俺は悔しいぞ、悔しくて悔しくて……」
そのまま音を立ててテーブルに伏せる。空になった皿が小さくざわめいた。とうとう酔いつぶれて動かなくなった旧友の姿を前に、シュレンは言葉を失った。忘れていた訳ではない。忘れることなど出来なかった。だが、あの時のシュレンに何かができたのか、と問われれば、否と答えるしかなかった。
『無力だった』――それが全てである。
「あまり、こいつの言う事を真に受けないでやってくれ、シュレン君」
翌朝の仕込みを終え、仕事終わりの一杯を手にしたブランの父親が、調理場から出てきて二人の座るテーブルの側に立つ。
「分かってます、おじさん」
「こいつも、あの当時はずいぶんと荒れていた。バカをやらかそうとするこいつを留めるために、ずいぶんとぶん殴ったもんだ」
「その、すみません……」
「君が謝る事じゃない。あれは誰にもどうしようもない出来事だった。運がなかったんだ」
シュレンは押し黙った。
「全ての人間が噂を鵜呑みにしている訳じゃない。多くの人達は事情を知った上で、それを素知らぬふりしているもの。俺のようにな。そうしなければ人の輪の中で生きていくことはできないのだから」
突っ伏したまま動かぬ息子の頭に手を置き、ブランの父親は続けた。
「過ぎ去った事にいつまでも囚われてはいけない。人は生きていかねばならないのだから。生きていれば自ずと腹がすき、眠くなる。そして、それを満たす為に何かをせねばならない。あるいは、したくなる。そんな毎日を繰り返していれば、嫌でも過去は遠ざかり、いつかは懐かしい思い出になっていく」
息子の頭を軽く叩きながら、彼は続けた。
「こいつに料理があったように、君には剣があった。だったら、その道に従い、前進すればいい。過去なんてわざわざ向き合おうとしなくても、己と向き合い日々を懸命に過ごしていれば、気付かぬうちに乗り越えてしまうものさ」
「はい」
一つの道を極める者の言葉は重い。ブランの父親の言葉はじわりとシュレンの心に染み渡った。
「ところで、君は実家には相変わらず、かな」
「ええ、まあ」
シュレンの事情はブランを通して、彼の父親も十分に知っている。
「だったら、ウチにゆっくり泊って行きなさい。宿賃なんて気にしないでいい。こいつの給金からしっかり引いとくから、遠慮せずにしっかり飲み食いすればいい」
「お言葉に甘えます」
びくりとブランの身体が揺れたようだが、気のせいだろう。
「ああ、そうだ。そこのバカを自室に放りこんでおいてくれると助かる。全くこいつときたら、図体ばかりでかくなって……」
からからと笑いながら彼はその場を去ってゆく。幼い時に父親を亡くし、共に過ごした記憶がほとんどないシュレンには二人の関係がどこか眩しかった。
「いい、親父さんだな」
しみじみと呟くシュレンに、突っ伏したままのブランはウゴーとイビキで反論した。
酩酊する巨漢を寝床に放りこむのはなかなかに骨の折れる作業だった。
荒くれ者達の間で生きるシュレンの日常では決して珍しくはないが、それでも寝床に連れこむのは香り良い美女だけにしたいというのが、男の本音である。
ぶつぶつと呟くシュレンの背でブランは相変わらず高いびきを掻いている。我が儘な丸太をどうにか寝床に放りこんだシュレンは、ふと周囲を見回した。相変わらず散らかり放題のその場所は、あの頃と何も変わりがない。この場所で大の男が数人、大慌てで飯を掻き込み、兵舎にとって返す光景がなつかしく思い出された。
「ここも、変わってねえな」
シュレンの呟きにブランがいびきで返答する。
三年間、振り返れば嫌な事しか思い出せなかった故郷。けれども己がすっかり忘れ去っていた暖かな思い出が幾つも眠っていたことに、シュレンは改めて気付いた。
寝台で高いびきをかく旧友の姿に苦笑しながら、シュレンは部屋を後にしようとした。と、眠っていたはずのブランの声が暗闇の中でシュレンを呼び止めた。
「なあ。俺達、あのままいってたら、今頃、どうなってたんだろうな?」
しばしの沈黙の後にシュレンは短く答えた。
「さあな、見当もつかないな」
シュレンの答えにさらなる返答はなかった。
2013/03/23 初稿