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12 決闘



 決闘が始まるまでには、暫しの時を要した。

 真剣をもって行われるそれは、当事者のうちのどちらかの死という結末もありうる。互いの名誉をかけての戦いは、本来騎士以上の身分の者のみに許される行為である。

 部屋の片隅でシュレンは目を閉じて静かに時を待つ。彼に動揺はない。ただ静かに対戦相手の現れる時を待っていた。己の眼前に立ちはだかるであろう一人の男の姿を思い浮かべる。三年前のあの時以来の再会は、シュレンの心の内に複雑な感情を生み出した。

 やがて、裏手から一人の痩身の騎士が現れた。近衛の兵装に身を包んだその男の姿にシュレンはわずかに眉を潜める。

 ――ハザード……なのか?

 三年前、シュレン達の代わりに近衛へ入団した者達の筆頭格。だが、現れた痩身の男はシュレンの記憶の中にあるかつての姿とは程遠かった。

 育ちの良さと底意地の悪さが浮かぶかつての面影は微塵もなく、どこか病的にやつれ、その表情は乏しい。存在感の希薄さが際立つその姿に、酩酊したブランの言葉を脳裏に浮かべながら、彼の過ごしてきた三年の時の重さを想像する。


 常に王族の側に控え、王国最高の騎士でなければならない近衛の練成は厳しいと聞く。特に先の王太子崩御後の数年は傲りがちだった風潮を改めるべく綱紀粛正を旨とし、苛烈だったようだ。

 名誉と誇り――常に厳格である事を要求される彼らとて人間である。必要以上に締めつけられれば不満は溜まり、それは自然と内輪の弱者へと向けられる。特にハザードのように黒い疑惑を伴って入団した者には……。ブランの言によれば、近衛内ではずいぶんといじめられていたらしい。


 眼前に立ったハザードと三年ぶりに視線を合わせるものの、その瞳にシュレンは映っていないように思えた。心ここにあらずというその姿にシュレンは戸惑った。

 審判役の武官によって用意された全く同じ二振りの長剣を互いに手を取り、武礼をして剣を構える。

 開始の合図がかかったものの、相変わらず精彩を欠いたまま、ハザードはだらりと剣先を前方へと下げた。剣先を後方へと下げたシュレンだったが、いつもと勝手の違う状況にわずかに戸惑いを覚えた。

 闘いは気迫が大きく左右する。

 武術に携わる者の間では、命をかける闘いの中では先手を取る事こそがあらゆる技巧に優先すると考えられている。事実、これまでシュレンと対峙してきた者達の多くが気迫をむき出しにして、挑みかかってきた。不可視の《疾風の剣》でその出鼻をくじき、一瞬の動揺の間に斬り捨てる。間合いや攻撃線といった理論以前の段階での決着こそが、シュレンの最も得意とするところである。


 かつて、兵学校時代に数度手合わせしたことはあるものの、眼前のハザードの立ち居振る舞いはその頃とは全くといっていいほどに別人だった。相変わらず彼に動く気配は見えない。

 シュレンは下げたままの剣先を前方へと向けた。剣先を下げた相手に対しては頭上に構えて対峙するのが鉄則である。だがシュレンはあえて、それを無視する。下げたままの互いの剣先が触れ合うかどうかというところまで間を詰める。

 瞬間、ハザードが剣先を後方へと大きく下げた。さらなる彼の動きに驚いたシュレンは、後方に大きく飛び下がり剣先を上げて構え直した。

 ――こいつ、正気か?

 ハザードは剣先を後方に下げると同時に無造作に一歩踏み込んだ。歩み出したと言った方が正しいだろう。全く隙だらけの身体をシュレンの刃の下にさらそうとしたその動きは剣の心得が少しでもあるなら、とりうるべき行動ではない。だが、素人丸出しのその動きにシュレンの研ぎ澄まされた感覚がなぜか警報を示し、本能的に飛び下がらせた。

 ハザードは後方に剣先を下げて立ち尽くしたままである。相変わらず表情は乏しい。どこか幻想の世界に身を置くかのような焦点の合わぬ瞳には、シュレン自身の姿が映っているかどうか、甚だ疑問である。

 小さく素早く息を吸い、シュレンは長剣の剣先を天井に向け、顔の高さに掲げる。

 ――迷った時は前へ出よ。

 戦場での心構えに従い、シュレンは最速最強の一撃を放つべく構えた。ただ踏み込んで斜めに斬り下げる。最も本能的かつ単純な『憤撃』をもってシュレンは己の迷いもろともハザードを斬り捨てようとした。

 間合いを詰めると同時に仕掛ける。

 一瞬、ハザードの姿がぶれたように見え、シュレンの疾風の憤撃には全く手ごたえがなかった。

 すかさずシュレンの攻撃線を外したハザードが、その右手に現れ、素早く抱え上げた剣が上段から振りおろされた。その攻撃に反応するかの如く振り上げられたシュレンの剣と衝突し、甲高い金属音が室内に響いた。

 どよめきが走る室内の中央でシュレンとハザードは、衝突の勢いのまま互いに鍔ぜり合う。

 互いの力が拮抗しようとした一瞬、シュレンが先に動いた。ハザードの押し出す力を片手で柔らかく捌いて身体を開き、左の拳でハザードの顔面を強打する。予想外の一撃だったのか、ハザードは態勢を崩して後方へと吹き飛び倒れた。剣を離さぬ右手を踏みつけ、己が剣先を倒れたハザードの喉元に突きつけた。

「それまで!」

 審判役の武官の声が室内に響いた。

 因縁の決着としてはあまりにもあっけない幕切れに、室内に溜息が洩れた。


 足元のハザードを暫し睨みつけた後で、シュレンはそっと引き下がる。ハザードはよろよろと起き上がり開始位置へと戻った。

 決着のついた二人は武礼をかわす。どちらかが死ぬこともあり得た結末が回避されたことで、場内の婦人達の幾人かが胸をなでおろした。

「この、愚か者が! たかが傭兵風情に遅れをとるとは! 我が門下の恥さらしめ!」

 敗者となったハザードに対し、つかつかと歩み寄ったバロンズは罵声を浴びせつつ、その拳で強かに殴りつけた。シュレンによって殴られた場所をさらに殴打され、切れた唇の端から血が滴る。だが、一方的に殴られるままのハザードの様子に変わりはない。相変わらず無表情のまま、抵抗する事もなくバロンズになされるがまま、その場に膝をついていた。

「止めぬか、場をわきまえよ、バロンズ伯。陛下の御前であるぞ」

 ナルビスの咎め立てに周囲からの顰蹙を買っている事に気付いて、バロンズはようやくその手を止める。すばやく同僚らしき近衛兵が駆け寄り、ハザードを連れ出し、さらに別の侍従がバロンズをいざない謁見の場を後にした。

 二人の退場を見送る人々が発するざわざわとした空気を制したのは、国王自身の言葉だった。

「見事であった。シュレンよ……」

「お褒めに預かり恐縮でございます。陛下」

 片膝をつき、シュレンは再び国王に拝謁する。国王は満足気に一つ頷き、続けた。

「さて、シュレン、そなたは余の前で己が身の潔白の証をその剣で見事に立てた。天晴れである。褒美を取らせたいと思うが、何か望みはあるか? そなたの望むがままに与えようぞ」

 周囲が再びざわめいた。

 曖昧な言葉である。ここでシュレンが無茶な要求をすれば、王はそのメンツにかけてこの場で聞きいれることだろう。ただし、翌日には死体となってどこかの野山にでも放り出されることになるだろうが……。

 勿論、シュレンとて、そのような愚行を犯すつもりはない。むしろ、シュレンがここで要求する事はすでに事前に定められていた。謁見の儀は全てが予定調和。ナルビスの芝居もシュレンの決闘までのおぜん立ても全て事前に取り決められていた事だった。

 唯一、例外であったのはシュレンとハザードの決闘の結果だけである。

 仮にシュレンが敗北していたならば、この先の展開は違っていた。ナルビスの対面は失墜し、不利益を被っていただろう。慎重なナルビスにしてはずいぶんと大きな博打に打って出たようだ。その甲斐あって、今、それに値する報酬を受け取ろうとしていた。

 シュレンの名誉の回復と王宮内におけるゼハルド門下の権威の復権。それらは将来の己の繁栄へとつながる布石である。己が野心の実現に向け、最後の瞬間が近づく。否、彼にとってはここからが始まりといえるのかもしれない。


 シュレンも又、同じだった。

 三年前に失った名誉を己の剣技で回復させる事。それは武で生きる者にとってこの上ない喜びである。シュレンは今日、この瞬間の為にこの場に立っているといっても過言ではなかった。手を伸ばせば得られるその栄誉に大きく心震えた。

「陛下、畏れながら、私の望みは……」

 僅かに息をつき、目を閉じる。幾つもの想いが彼の胸をよぎった。

 三年前のあの日、聖宝珠が輝きを放った瞬間に多くの物を失い、己をとりまく世界がひっくり返った。運命を変えられたのは彼だけではない。彼の周りにいた多くの人々もまた、その道を違える事になった。遠く離れてしまった仲間達の顔を一つ一つ思い出す。ここからの己の選択を彼らはどう受け止めるだろうか? 

 ――これは栄誉なのだ。お前は堂々と胸を張ってそれを受け取るべきである。

 一人の己が囁いた。

 ――本当にそれでいいのか。あの日失った物の代償として、その報酬は十分なのか?

 もう一人の己が反論する。

 相反する想いにシュレンの心が大きく揺れた。

 目を閉じ再び深呼吸を一つする。揺れる心を落ちつけると、シュレンははっきりとした言葉で国王に申し述べた。

「私にはいかなる望みもありません。この場を速やかに下がらせていただければ、十分でございます」

 瞬間、室内に大きなどよめきが走った。

 己が身の潔白を証明し、失った名誉を回復する。そして、近衛への入団を願うだろう――室内にいる誰もが、シュレンがそのように要求するであろうと予想していた。それが事前に取り決められていた事でもあった。

 だが、多くの者達の予想を裏切るシュレンの言葉に室内にいる誰もがみな唖然とする。シュレンの傍らに控えるナルビスでさえも……。

 室内に走るどよめきが徐々に薄らぎ、やがて沈黙へと変わる。その中で口を開いたのは威厳を保ったままの国王であった。

「シュレンよ、真実まことか? そなたの決心はいささか常軌を逸しておるようであるが……」

 茶番とはいえ、この謁見には多くの者達の様々な思惑が絡み合っている。最後の最後に来てそれらを根こそぎ覆そうとするシュレンの行動は、その場に身を置く全ての者達にとって想像の範疇外の行動といえた。

 国王の言葉に一つ首肯したシュレンに、再び国王は尋ねた。

「余に仕える意思はないと申すか」

「畏れながら……」

 片膝をついたまま、堂々と国王の目を見返してシュレンは答えた。

「我が師、ゼハルドによれば私はまだまだ未熟者。より広い外の世界を見て、己が未熟さを思い知るがよいと言い渡されております」

 国王とシュレンの視線がぶつかり合う。言葉の奥に秘められたその想いに、眼前の国王が気付かぬはずはない。王が小物であれば、その権威を侮辱したとして、シュレンは直ちに縛り首にされていた事だろう。

 だが、一国の王の器量は、シュレン程度の挑発などで微塵も揺るぎはしない。ただ、小さく微笑むと王は静かに告げた。

「成程、よく似ておるわ。そなたは真実、ゼハルドの弟子のようだ」

「非礼をお詫びいたします。陛下」

「苦しゅうない、許す。この後もよきに励むがよい。シュレンよ」

 その言葉を最後に、国王は立ちあがる。

 その日の謁見の儀が終了したことを知らせる合図であった。室内の全ての者が居住まいを正し、王の退室を待つ。いつもならば速やかに退室するはずの国王だったが、その日は少しばかり違った。

 退室しようとした足をふと止めると、向き直り、シュレンに再び尋ねた。

「ところでシュレンよ。余の自慢の鶏舎の鳥の味はいかがであったか?」

 威厳あるままの表情は決して変わらない。だが、晴天の霹靂ともいえるその問いに、シュレンは一瞬、言葉に詰まった。

 セシリアとの一件を知っているらしい事を匂わされ、シュレンは返答に窮した。持ちかけられた物騒な用件についても知られているのだろうか? シュレンの背筋に冷たい汗が流れる。だが、いつまでも無言でいる訳にもいかない。あたりさわりなくシュレンは返答する。

「はっ、実に言葉に尽くせほどに素晴らしき物でありました。私……ごとき者には過分なほどに至福の栄誉であります」

「うむ、そうであろう」

 国王は満足気に頷く。室内に小さな微笑が漏れた。

 一体、いかなる意図があってそのような事を尋ねたのか。その内心を推し量れぬシュレンは、白刃の上を歩かされるかの如き心境で、さらなる王の言葉を待つ。

 シュレンと国王の想定外のやり取りに室内は大きくざわめいた。身分の違いすぎる者への王の態度に誰もが不審と奇異の視線を送る。衆人環視の中、王はわずかに表情を緩め、再び口を開いた。それは驚愕に値する言葉だった。

「シュレンよ、余の国の難事を救ってくれた事、感謝する」

 その日、最も大きなどよめきが室内を揺らす中、その言葉を最後に王は歩み去る。

 威厳ある表情を一瞬崩して見せたその人間らしいそれと、王の残した言葉の意味に大きな疑問符を浮かべながら、シュレンは去っていくその背を、片膝をついたまま黙って見送った。




2013/04/19 初稿




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