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01 閃光



 空は重かった。

 山の端にどんよりとたれる雲は鉛色に染まり、雨の匂いを予感させる風がうっすらと踊る。はるか彼方では稲妻が走り、直後に訪れた雷鳴に怯えるかのように、荒れ地の生き物たちはひっそりと息を潜めていた。

 荒涼と広がる大地に人の気配はない。多くの旅人達が踏みしめる街道が頼りなく伸びるだけだった。

 果てしない一本道を、一台の荷馬車が疾走する。

 軋む荷車を轢く二頭の馬は、だらしなくよだれを垂らし、打ちつけられる鞭に怯え、がむしゃらに先を争った。荷台に座る御者の顔は青くひきつっている。

 突然、荷馬車の後方に、数名の追手が現れた。

 三頭の馬に乗った追っ手達は携えたボウガンを荷馬車に向け、引き金を絞る。放たれた矢は、不気味な音を立てて車体に突き刺さった。御者はさらなる恐怖に突き落とされた。鞭を眼前の馬の尻に打ちつけ、ひたすらに前進を命じる。立ち止まれば死――主の恐怖を敏感に感じ取った馬たちは狂ったように街道を駆け抜けた。

 恐怖の逃避行はやがて意外な結末を見せる。

 街道の脇に広がる森の一角から飛び出した一本の矢が御者の胸を射抜いた。崩れ堕ちるように荷台から転げ落ちた御者に見向きもせず、馬たちはさらに突進する。バランスを失った馬車は激しい音を立てて横転した。

 荷台から転げ落ちた御者はびくりとも動かない。即死であろう。追手達は馬を下りると無造作にその懐を探る。

「大したことねえな……」

「荷台はどうだ?」

 御者の懐から抜き取った財布の中身を確かめると、追手たちは横転した荷車に歩み寄った。いつの間にか森の中から現れた仲間達が獲物の物色を行っている。全部で十三人の盗賊達が崩壊しかけた荷台をひっくり返し、金目の物をかき集める。馬車につながれていた馬たちには目もくれない。横転した勢いで足を折ったのであろうか。苦しそうに嘶きながら、大地に倒れている。足の折れた馬など使いようもなく、食用にも適さない。いずれは、死んだ主共々荒れ地に住まう獣たちの餌食となるのだろう。

 弱肉強食――哀れな敗残者に差し伸べられる救いの手などそこにはなかった。

 およそ十分足らずで作業を終えると、獲物を幾つかの袋に手早くまとめた。速やかにその場を立ち去る。自前の馬に荷を積み、街道の傍らに広がる暗い森の中へと踏み入った。予想以上の収穫に彼らは気を緩ませた。

 同じ森の中で息を潜め、彼らの行動をじっくりと観察する視線に気づく者は誰一人としていなかった。




 盗賊達の様子を観察していた青年は、そっとその後をつけた。手には鞘から抜き放たれた長剣が握られている。丹念に手入れされた漆黒の甲皮の鎧を身にまとい、足音を消して盗賊達の後をひっそりと歩む。

 年の頃は二十過ぎ。剣士としてはいささか若い。日に焼けた顔は非常に精悍だった。このような場面を幾度も経験しているのか、その物腰は落ち着き払っている。獲物を冷静に観察するその視線はあたかも肉食獣のようであるが、佇まいにはどこか気品を感じさせた。

 彼の僅かな足音は、予想外の収穫に浮かれる盗賊達の喧噪にかき消される。追跡者である彼の行動はさらに大胆になった。

 茂みから茂みへ、暗い森の中を一定の間隔を保ち、影のように後を追い、隙を窺う。

 獣道を歩く盗賊達の前方がうっすらと明るくなった。森を抜けるらしい。

 追跡者は僅かに緊張感を高める。森を抜ければ奴らのアジトは目と鼻の先。念入りな下調べで得られた事情を頭に思い浮かべ、彼は長剣の柄を握り直す。

 仕掛けるのは森を抜けた直後。アジトが目に入り、獲物が最も気を抜く瞬間を一気に襲う。計画通りだった。

 柄を握る手の平にじわりと汗が浮かぶ。攻撃を仕掛ける瞬間――それは何度経験しても緊張するものだ。早鐘のように鼓動を高める心臓を深呼吸で抑えつけ、足元に細心の注意を払って盗賊達を追う。少しずつ強くなっていく明るさに目を慣らしながら、盗賊達との間合いを詰める。

 すでに彼の姿は、盗賊達の真後ろにあった。一人でも振り返れば目の合う距離である。ちょっとしたスリルだった。

 盗賊達が振り返ることはない。吸い寄せられるかのように獣道の出口から漏れるわずかな光へと向かって歩いていく。

 三歩、二歩、そして……一歩。

 漆黒の森が途切れ一気に視界が広がる。眩しい陽光の中で彼の視野に十三人の背中がはっきりとおさまった。瞬間、狩人は獲物達に襲い掛かった。




 黒い影が森から飛び出し、盗賊達の群れに飛び込んだ。すらりと抜き放たれた長剣の刃が陽光に煌き、最後尾の男の背を襲った。

「ひぎゃ……」

 奇妙な悲鳴をあげて背を割られた男が倒れた時には、二人目の男の背を左から右へと薙ぎ、三人目の男の背を逆袈裟に斬り上げていた。異変を感じて振り返った四人目の男を袈裟掛けに斬り下げ、声を上げようする五人目の男の首を左から右へと薙ぎ切った。

「なんだ、おま……」

 声を上げかけた六人目の男は胸を貫かれ、蹴り飛ばされる。胸に大穴をあけられた大柄な身体は周囲を巻き込み、転がった。異変にようやく気付いた盗賊達の動揺を、獲物を乗せた馬たちが敏感に感じ取って暴れ始めた。

 暴れる馬を取り押さえ、荷を守ろうと手綱を押さえる男の一人をあっさりと斬り捨てる。突然の惨事に盗賊達は大恐慌に陥り、馬たちは荷を放り出して逃げだした。

「と、盗賊だ!」

 頓珍漢な言葉と共に背を向けた男を斬り捨てる。傍らで震える手でボウガンを構えようとする男の両腕を叩き落とす。

「ち、畜生……」

 腰の山刀をぬいてへっぴり腰で構える男達。青年は無造作に近づき一気に斬り捨てた。銀色の閃光がきらめくたびに血飛沫が舞い、盗賊達は音を立てて倒れた。まるで自分から斬られるかのように、青年の刃に吸い寄せられ、盗賊達は一刀のもとに斬り捨てられる。

 その無慈悲な光景を目にしたものは、誰もがおそらく盗賊達に同情しただろう。

 格の違いというべきか? 一対一では力量差がありすぎ、あまりにも速い青年の剣を目でとらえることはできない。

「た、たすけて……」

 戦闘能力を奪われ、命乞いをする盗賊達の体に無表情で刃をつきたて、十三人全員を始末するとようやく剣嵐は治まった。当たりには血の匂いが立ち込め、人間だったもの、あるいはその部品が至るところに転がっている。只中に一人立った青年は、ようやく一呼吸をついた。


「いい加減に出てきたらどうだ」

 長剣に張り付いた血糊を盗賊の衣服で拭って鞘に納めると、青年は暗い森の茂みに向かって声をかけた。そのまま、盗賊達の荷の物色を始める。足のつかない貨幣のみを奪い取る。行掛けの駄賃である。貴金属は足がつきやすく、襲われた行商人の荷は青年ではさばく事が出来ない。

 人気のない場所で雨風に朽ち果てさせるよりはましであろう。そのような言い訳を己にしながら、青年は臨時収入の収拾に励んだ。旅人が持つにははるかに多く、商人が持つには少々少なめの金額を確認すると、青年は財布の紐を閉じる。

 ふと、彼の背で茂みが音を立ててゆれ、一人の男が顔を出した。

 年の頃は三十すぎ。小柄な体躯をびくびくと、足をがくがくと震わせながら、青年に近づいた。あたりに転がる盗賊達の死体から必死に目をそらそうとする姿は滑稽だった。

「あ、あの……もうよろしいでしょうか?」

 己よりはるかに年若い剣士に、男は馬鹿丁寧な言葉で対応する。無理もない。彼は先ほどの惨劇の一部始終をしっかりと目の当たりにしていた。目の前の年若い剣士を怖れるのは当然であろう。

「ああ、依頼通り、十三人きっかりだ。確認してくれ」

 青年は男に奪いとった金貨を一枚放り投げる。

「じょ、冗談じゃありません。もう充分に確認させて頂きました」

 口止め料をはしっこく懐に収め、男は慌てて返事する。目の前の若者の機嫌は決して損ねまい。男はそう誓った。

「いいのか? 見届け人がそれで?」

 近辺を荒らしまわる盗賊達の排除――それを引き受けた目の前の年若い剣士が依頼をこなすかどうかを見届けよ――それが村長から与えられた、彼の役割だった。

 それは危険な役目だった。

 村の誰もが青年の失敗を予想した。彼が失敗すれば、見届け人である男にまで盗賊達の凶刃が襲い掛かる。盗賊達に斬り刻まれる己の姿を連想し、男は怯えていた。

 ――貧乏くじをひかされた。

 気弱な性格ゆえに村内で最も立場の低い男に、嫌な役割を村中で押しつけた。

 この役目からは逃げられない。

 逃げ出せば、今後狭い村の一員として生きることは出来ない。男の家族にまで咎が及ぶだろう。半ばやけっぱちな気持ちで男は目の前の若い剣士についてきた。腹の中は無茶な依頼を引き受けた彼を呪う言葉で一杯だった。

 盗賊は恐ろしい。失うものなど何も持たない奴らは獣以下である。

 無謀な挑戦に巻き込まれ、凶刃に掛かって人生を終わらせなければならない。そのような結末はあまりにみじめだった。たいして取り柄もないが、せめて、人並みに静かな生を享受させてほしい――心の中で痛切に願っていた。

 しかし、人生とは分からない。予想外のことは起きるものだ。


 一対多数ならば奇襲は当然。まずは弓矢で距離を稼ぎ、数を減らすことが戦の常識である。だが、若い剣士のとった行動はあまりに常識から懸け離れていた。

 暗い獣道を盗賊達の後について歩くその姿に肝を冷やす。一歩間違えれば取り返しのつかない過ちとなる状況で、スリルを楽しむかのようなその行動に男は肝を冷やした。

 男の心配をよそに、漆黒の影となって森を飛び出した剣士が圧倒的多数の盗賊達に襲い掛かる。凶悪な盗賊達の間を、稲妻のように駆け抜け、あっという間に斬り捨てる。まるで、畑に立った案山子を斬るかのように盗賊達は次々に斬り捨てられ、肉片と化した。

 盗賊達の恐怖の表情とは裏腹に若い剣士は冷徹に、無表情に、踊るように盗賊達を斬り捨てた。血飛沫が舞う中で、目にも止まらぬ速さで振るわれる白銀の閃光に目を奪われた。こんな光景は自分が生きている間には二度と見ることなどないだろう――男は確信した。そうさせる特別な何かが、若い剣士が振るう剣の中にあった。平凡な己では決してたどりつけない境地にいる若い剣士の技量に怖れおののいた。

 事がすべて終わり凄惨な現場でさも当然のように平然と手間賃を物色する姿に、さらに怖れを抱く。一体、彼はどんな人生を歩いてきたのか。村の狭い人間関係の中であくせくと平凡な人生を送ってきた男にはとうてい想像もつかなかった。

 盗賊相手に無慈悲な惨殺を行いながら、剣を収めた若い剣士の顔はそれほど悪い人間には見えなかった。それどころか臨時収入まで与えてくれた。文句をつける事などどこにもない。

「あの、お名前を聞かせてはいただけませんか?」

 畏怖と感謝をこめて年若い剣士に尋ねる。大きな幸運を与えてくれた彼に感謝するのは当然のように思えた。

「シュレンだ」

 名乗るのを忘れていただろうか? 僅かに怪訝な顔をしながら青年は答えた。その名を一生忘れないようにしよう、男はそう決意した。

「村に戻ろうか。礼金を頂かなければならないからな」

 シュレンと名乗った青年はすたすたと森の中へと歩いていく。男は急ぎその背を追った。二度とこの場所には来ないことを決心して。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 薄暗い一室で村長は苦虫を噛み潰していた。

 日はまだ高いが生憎の曇天。直に激しい雨が降りだすだろう。己の心を映すかのような空に目をやる事もなく、頭髪が真っ白に染まった老齢の村長はシュレンの前で頭を抱えていた。

 ――こんなはずじゃなかった。

 後悔と共に浮かぶのは型どおりの言葉。そんな村長に気兼ねすることなくシュレンは正当に要求した。

『報酬の金貨、後払い分の十八枚をすぐに支払え』

 村を出る前に交わした契約書の文言通りの要求だった。シュレンに一切の非はない。村長が債務の履行を渋っているだけだった。

(さて、どう出るかな?)

 予想通りとはいえ、ここからは少し面倒なことになるだろう。シュレンは相手の出方を探りながら村長と向き合った。


 事の発端はシュレンが偶然村に立ち寄ったことにあった。とりたてて特徴のない、国境周辺の寒村の一つ――立ち寄った村の印象はそのようなものだった。所属傭兵団に回してもらった仕事を無事に終え、本拠地としている町への帰還中、シュレンは一夜の宿を求めてこの村に立ち寄った。

 所属傭兵団の名を明かし、村長宅に挨拶がてら訪れる。僻地の寒村に一見の旅人が訪れるときの常識である。

 それを怠ったがために村人たちに白い目で見られ、翌朝にあらぬ疑いをかけられ、身ぐるみ剥がれて村外に放り出されるという笑えない話は、そこかしこに転がっている。シュレンのような傭兵や冒険者という名の遊び人連中には、世間の目は厳しい。同業者たちの過去の不始末ゆえに、あらぬ中傷を受けることも度々である。

 野宿という選択肢もあったが、いかんせんこのあたりは獰猛な肉食獣が多く生息する。不慣れな場所で緊張しながら一夜を過ごすよりはまだいいだろう――最悪よりも僅かばかり優れている選択肢をシュレンは選んだ。

 少々警戒しながら訪れた村長宅において、シュレンは予想外の歓待を受けた。納屋の一つも借りられれば良かったのだが、それなりに良質な食事と地酒を振る舞われ、温かな寝床が提供された。執拗に旅先の様々な話をシュレンから聞きだそうとする、平凡な日々に退屈を持て余した村長には閉口したが……。

 一夜を無事に過ごし、翌朝の質素な朝食の席上で、村長はシュレンに一つの話を持ちかけた。

『村の近辺に出没する盗賊団を排除してほしい』

 シュレンのような傭兵にはさして珍しくもない依頼である。だが、その報酬は一人の傭兵に支払われる物としては破格だった。

 所詮は相場を知らぬ田舎者――当初はそう考えたシュレンだったが、事情を聞くにつれ、その考えは消えた。

 標的である中規模程度の盗賊団は近隣の村々や街道を荒らしていた。交易路を荒らされれば村に行商人はやってこない。この村が荒らされていないのは、運が良かったか、あるいは内通者がいたからか、といったところだろう。

 傭兵ギルドへの依頼はそれなりの報酬を要求される。寒村の財政事情には厳しい。一帯は国境周辺という事もあり、周辺各国との軍事的摩擦を嫌って、事なかれ主義ゆえか軍を動かそうとはしないのだろう。国王に見捨てられれば自分達で身を守るしかない。

 ギルドに仲介料をはねられることのない高額の報酬を餌に、シュレンのような孤独な傭兵をけしかける。彼が盗賊団の人数を削り取った上で、周辺の村々と協力して数で押しつぶそうという狙いだろう。当然、シュレンは捨て駒である。帰ってこない事が前提の者に対しての約束であるからこそ、報酬も破格だった。

 だが、事態は村長の期待を大きく裏切った。雇った傭兵の能力は常識をはるかに超えるものだった。

「本当に、あれを、たったお一人で……」

「見届け人から全て聞いたのだろう。それとも彼と俺が口裏を合わせているとでもアンタは言いたいのか?」

 シュレンから与えられた臨時報酬に報いるべく、今頃、見届け人の男は己の目にした光景を村中に触れまわっているだろう。地味でまじめなだけの要領の悪い男を見届け人(捨て駒)に選んだ己の判断を呪いつつ、村長はさらに頭を抱えた。

「そ、その報酬のことなのですが、改めて所属の傭兵団を通すという事で……」

 渋る村長に対してシュレンは無言で対峙する。ただ黙って己を凝視するだけの若い剣士の威圧感に村長は怯えを隠せない。尤もそれは見せかけだけ。どうにか同情を引いてお引き取り頂こうというのが本音だろう。寒村の年寄りは至って強かなものだ。

「約束は約束だ。守ってもらわねば困るな」

「で、ですから、それは……」

 村長が口を開いた瞬間だった。銀光が走り、二人の間の木のテーブルがあっさりと二つに割れた。

「ひーー」

 一瞬で腰の長剣を引き抜き、テーブルを鮮やかに二つに割ったままの青年の姿に村長は驚愕した。顔を引きつらせる彼の股間の先には、振り抜かれたままの長剣の先端が突きつけられている。心底肝が冷えたらしい。

「ああ、すまない。テーブルの上に虫が居たんでな……」

 腰に剣を収めると落ちていた契約書を拾い上げ、怯える村長の手に握らせる。

「ところで、報酬はまだだろうか……」

 笑みを浮かべる青年の要求を拒絶するだけの度胸を、村長は持ち合わせていなかった。

「た、只今……、ご用意いたします」

 慌てて立ちあがり、背後の戸棚から約束の報酬を取り出す。震える手で金貨を数え上げ、シュレンの手に乗せた。

「テーブルは弁償した方がいいだろうか?」

「いえ、滅相もございません」

「そうか、ではこれで。又、困ったことがあったらいつでも相談にのろう」

 立ちあがり己の荷を取り上げると、シュレンはその場を立ち去ろうとする。

「お待ちください、せめて、もう一晩、村の恩人におもてなしを……」

「悪いな、ここには少し長居し過ぎたようだ。次の仕事があるので失礼する」

 引きとめる村長の申し出を丁重に断り、傍らの窓の向こうに僅かに人の気配を感じ取ると、シュレンは村長の家を後にした。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ぽつりぽつりと降り始める雨にシュレンは舌打ちする。雨よけの外套を着込んだ彼は、無人の街道を一人歩いていた。

「当てが外れたかな……」

 ぽつりと呟きながら空を仰ぐ。空はますます暗くなっていく。村を離れておよそ一刻。太っ腹な村長がお土産を付けてくれる事を期待したものの、どうやら空振りらしい。

 ――仕方がない、先を急ぐとしよう。

 懐が温かくとも、身体も同じというわけではない。急げば日が暮れるまでにはなんとか根城に辿りつけるだろう。そう考えて足を速めようとした時だった。遥か後方で馬の嘶きを耳にしたシュレンは何気なく振り返る。

 一頭の荷馬車が近づいていた。荷台には数人の若い男の姿がある。

 ――どうやら土産が来たらしい。

 外套のフードの中でシュレンの口の端に小さく笑みが浮かんだ。彼の歩く街道はあの村からの一本道である。歩く速さを徐々に遅め、長剣の柄を握る。近づく馬車との距離を耳で測り、シュレンは街道を外れて歩き続けた。

 不意に空気を切り裂く音を耳にしたシュレンは、反射的に身をかがめた。頭部があった場所を矢が通過した。正確な射撃だった。腕のいい漁師なのだろう。狙う獲物が獣から人間になったところで、大きな問題はないようだ。

 それを合図に外套を撥ね飛ばして剣を抜く。すぐ後ろに迫っていた馬車に向かってシュレンは駆けだした。

 荷台の上の男達は見覚えのある顔ばかりだった。あの村で暮らす男達は皆その手に武器を持っていた。向かってくるシュレンに驚き、慌てて荷台から飛び降りる。ボウガンに矢をつがえようとする若者をシュレンは最初に狙った。

 慌てて狙いを定める彼の間合いに踏み込み、剣を一閃する。その両腕はボウガンごと切り落とされた。止めは刺さない。

 身をひるがえし、槍を構えようとする二人に襲いかかる。一刀の元に槍をたたき折り、両眼を切り裂いた。悲鳴を上げて転げまわる仲間に一瞬気を取られた男の槍を左手で抑え、その右足をひざ下から切り落とす。

 一瞬のうちに3人の仲間が倒され、残りの二人は戦意を喪失した。股間を濡らしながら剣を放り出した男を一瞥し、御者台の上に座ったまま呆然としている男に下りるよう促した。

「早く血止めをしないと死ぬぞ」

 シュレンの言葉に無傷の二人は慣れぬ手つきで仲間の介抱をする。傷の痛みに転げて暴れまわる男とそれを取り押さえようとする仲間達の姿は壮絶だった。泣き叫ぶ彼らを放置してシュレンは御者席に座る。

「待て! どうするつもりだ!」

 馬に鞭を入れようとしたシュレンに一人の男が叫んだ。

「そろそろ雨足が強まりそうなんでな、有り難く使わせてもらうよ」

「こっちには怪我人がいるんだぞ!」

「だから、どうかしたのか?」

 シュレンの答えに男は唖然とする。

「お前達は俺を殺りにきたんだろう? ボウガンを撃った奴はなかなかいい腕だったぜ。そんな奴らの面倒を見ろとでも?」

「それは……、お前が村のカネを盗んだからだろう」

 シュレンは吹き出した。どうやらあの老人、シュレンを盗人に仕立てあげたようだ。

「バカ言うな。俺は依頼された仕事をきちんとこなして正当な報酬を受け取っただけだ。騙されたんだよ、お前達は。村の為に命をかけた恩人とも言うべき傭兵を 盗人呼ばわりしてな。騙されるお前たちが悪い」

「ウソだ!」

「お前達は聞かなかったのか。俺がどうやって盗賊達を始末したのかって事を。そんな人間相手にけしかけられて酷い目に遭っても、まだ、信じるつもりか? 人が良すぎるぜ、お前達」

 皆、絶句する。

 あの見届け人の男はこの場にはいなかった。今度は上手く立ち回れたのだろう。

 尤も盗賊団を一人で倒したシュレンの手並みを間近で見れば、彼をどうにかできるなどと考える方がどうかしている。数人がかりでならば叩きのめせるなどと考えるのは愚か者の所業である。常に周りの視線に怯えながら狭い常識の中で生きる者達の思考の行き着く先は、そのようなもの。全く異なる環境で生きる者にあっさりとひっくり返され、哀れな末路を迎えるのがオチである。

「急いだ方がいい。怪我人に雨は良くないぞ」

 わずかに同情の色を浮かべて見せると、シュレンは鞭を入れる。軽くなった荷台を引いた馬は彼に従順に従った。残された者達は皆誰もが呆然とその姿を見送った。


 報酬を惜しんだ村長はシュレンを引き止めた。もてなしと称して酒に毒でもいれるつもりだったのだろうか。それを見抜いたシュレンを足止め出来ぬとみるや、村の若者達をけしかけた。結果、村は貴重な労働力たる若者を三人も失い、狭い村内の人間関係はこれから大いにこじれるだろう。あの村はおそらく長く保つことはあるまい。

「まあ、自業自得だな……」

 ともあれ、シュレンにとっては実に金払いのよい客である。お土産代りの荷馬車に乗って、口笛を吹きながら徐々に雨脚の強まる街道を急いだ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ずいぶんと豪勢な晩飯じゃないか。疾風のシュレンさんよ!」

 たっぷりと肉汁のしたたる肉塊に舌鼓をうつシュレンに一人の男が声をかけた。シュレンより5つ年上の同じ傭兵団に所属するカルネイだった。対面に座った彼は何処からか取り出したフォークで、シュレンの大皿に手を伸ばす。瞬間、銀の閃光が走り、はじけ飛んだフォークがくるくると宙を舞ってテーブルに突き刺さった。

「一切れ、金貨一枚だ」

「待て、なんだ、その滅茶苦茶な値段は!」

「アンタに貸してる金は三切れ分だったな」

「ケチくさい事言うなよ、シュレン。金は天下の廻り物っていうだろ」

「アンタの財布で止まってる金をこっちに廻してくれれば、全て丸く収まるさ」

 右手のフォークを弾き飛ばされると同時に、カルネイは左手で獲物をせしめていた。他人のおごりでの御馳走の味は格別だな、とばかりにぺろりと指を舐めるその姿に一つため息をつくと、シュレンは酒のお代わりを注文する。「お勘定は別にしときますね」という茶目っ気たっぷりな若い女給仕の機転に、カルネイが舌打ちする。

 それはシュレンのありふれた日常だった。


 根城とする《ティヒドラ》の街についたのは、激しく雨が降り始めた頃だった。

 自前の荷馬車を破損させ、先を急ぐ行商人との契約がスムーズに運び、巻き上げた荷馬車は高値で売れた。元の持ち主である村に立ち寄らぬように忠告したのは、金払いのよかった客へのちょっとしたアフターサービスだった。

 荷馬車を売り飛ばし、その足でなじみの店である《銀髪の乙女亭》で、シュレンはその日の夕食にありついた。

 昔は銀髪の美しい乙女だったと自称する白髪の老婆の営むその店は、手ごろな値段の割に味はなかなかだった。

 舌の肥えた傭兵仲間達にも受けがよく、シュレンの所属する傭兵団の仲間達の多くがこの店を拠点に活動する。カルネイもそのうちの一人だった。

「あの頃はずいぶんと面倒をみてやったというのに……」

「面倒をみる? いつから迷惑をかけるという言葉と同義になった?」

「成程、そういう意味では俺もお前に面倒をみられた訳だ」

 シュレンが傭兵団に所属して以来の旧知である。人の出入りの激しい傭兵団の中で、カルネイはそれなりに古株だった。

 入団以来、何かと問題児ぶりを示すシュレンをうまく周囲になじませた彼の存在は大きい。その一方でカルネイの私事に巻き込まれることも多く、平穏とは無縁の退屈知らずの日々を送っていた。

「ところでシュレン、いよいよ遠征がはじまるぞ」

「遠征?」

「ああ。《ルベータス》と《ガンマイド》がやり合うらしい。今朝から、団長があちこちに招集をかけはじめた」

 シュレン達の暮らす《ヴォーダルファ》王国に国境を隣接する二国は、王太子の政略結婚のもつれをきっかけに小さな小競り合いを続けてきた。どうやらついに溜まりに溜まった鬱憤を晴らすつもりらしい。名誉と誇りを駆けて騎士たちが戦場を走り、彼らに癒着する商人たちが眼の色を変えて儲けに走る。戦火に追い立てられるのは、いつも生活の場を失う庶民である。

 尤も、人の不幸につけ込むのが傭兵稼業。シュレン達傭兵にとって大きな稼ぎ時である。

「そうか。残念だな。せっかくの稼ぎ時だってのに……」

「ん?」

 料理を口にするのを止めて、カルネイが訝しげにシュレンの様子を窺った。

「お前、参加しないつもりか?」

「ああ。ちょいと野暮用でな。王都に行ってくる」

「王都……だと」

 カルネイの表情が険しくなる。王都《ソヴィアーヌ》。これまで決して寄りつこうと、否、寄りつけなかったシュレンの言葉に眉を潜めた。暫し彼の顔をじっと見つめる。やがて何事かに思い当たったのか、その表情が僅かに緩んだ。

「そうか、あれからもう、三年になるのか」

「ああ、そういう事だ……」

 グラスの麦酒をあおりながら、シュレンは遠い目をする。三年――その時間はシュレンにとって余りに長く重かった。

「やめておけ……」

 カルネイはぽつりと言った。

「別に急ぐ必要はないだろう。遠征が終わってからでも十分に……」

「理由は分かってるだろ?」

 内心の僅かないら立ちを抑えてシュレンは答える。

「ああ。だから……だな。お前はこの国の疫病神だ。お前のせいで、国王陛下様々や止事やんごと無き御貴族の御方々、あるいはこの国の輝かしき未来にもしもの事があったら、俺達の稼ぎはどうなると……」

 全てを言いきる前に、再び銀の閃光がカルネイの額目掛けて走る。傍らの木皿で素早く受け止めるとカルネイは抗議する。

「バカ野郎! 今のは、洒落じゃすまねえぞ!」

「洒落になってないのはアンタの方だ!」

 わずかな怒気とともにシュレンは答えた。カルネイは肩をすくめる。暫しの沈黙が訪れた。やがてぽつりとシュレンは呟いた。

「面倒臭い事はさっさと片付けておきたいんだ。何時死んでもいいようにな……」

 戦場では平等に死は訪れる。そこに傭兵も騎士も関係はない。迷いなく後腐れなく。それがシュレンのやり方である。

「……ったく。成長がねえな、お前は。人間、色々悩みや未練を抱えてる方が長生きできるんだ。酒を飲んで女を抱いてカネに困ってな。己の不幸に酔ってる奴なんてうっとうしい。俺に近寄るんじゃねえ」

 しっしっと追い払う仕草を向ける。近寄ってきたのはアンタだろう、という突っ込みが無駄であると十分に理解するシュレンは黙って酒を飲んだ。麦酒の苦みが胃の腑から全身へと染み渡る。

「三年か……。早いものだな」

 ジョッキを片手にしみじみとカルネイが呟く。

「命知らずの狂犬シュレンも今じゃ、すっかり……」

 ジョッキを飲み干し、まじまじとシュレンの顔を眺めると溜息をつく。

「変わんねえな、全然……。いや、むしろ酷くなってるか……」

「うるせえ!」

 近くにいた女給仕に代わりのジョッキを注文すると、カルネイは続けた。

「まあ、お前にもいろいろあったんだろうけどよ。忘れちまえ、そんなもん。忘れて今を楽しむ事だ。それが一番だ」

 彼は酔いが回ってきたようだ。酔いが回ると繰り返し始めるその言葉はもう聞き飽きている。だが、その言葉と彼の姿にシュレンはいつも安堵を覚えた。

「ちょっと、カルネイさん、お皿をまたこんなにして!」

 なみなみと麦酒の継がれたジョッキを手にした女給仕が、カルネイの傍らに転がる肉切りナイフの刺さった木皿を取り上げ、目を吊り上げる。

「待て、俺がする訳ないだろう! シュレンの奴に言ってくれ!」

「シュレンさんがこんなことする訳ないでしょう! ちゃんとツケに加えておきますからね!」

「何ぃ!」

 カルネイの傍らで、女給仕がシュレンに片眼をつぶる。シュレンは小さく微笑んだ。

 眼前で頭を抱えるカルネイというこの男、借金にまみれているが、なぜか女によくもてる。傭兵仲間にも人気のあるところをみるとおそらく人を引き付ける才覚があるのだろう。彼の傍らで言い合いをしている女給仕もその一人である。

 なかなか彼との距離を近づけられず、ひそかに悩む彼女に、以前、シュレンは一つの助言をした。

『どうせなら、借金で縛っちまえ』

 この店の料理でとっくに胃袋を縛られたカルネイにさらなる縛りを加える。形の良い尻が魅力的なそこそこに器量の良い彼女に与えたこのシュレンの策は功を奏し、二人の距離はずいぶんと親密さを増した。競争率は高いが、敵が多ければ多いほど燃え上がるのが恋である。狩人と獲物の関係は至る所にあるもの。そろそろカルネイの酔いも回り始め、シュレンは今夜あたりの女豹の奮闘に期待した。


 なんだかんだと言い合う二人の姿を肴に、シュレンは再び食事を続ける。カルネイの皿からそっと大きな肉切れを拝借して……。




2013/03/17 初稿




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