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1話 はじめてのアルバイト 1

 俺は別に無神論者でもなんでもない。

 いやむしろ信心深いほうだといってもいいと思う。普通に神様はいると思っているし、悪いことをしたら必ず神様の罰があたるもんだと考えてすらいる。

 例えばだ、俺は高校生の時、不注意で借りていた図書館の本にお茶をこぼしてしまったことがあった。こぼした瞬間はさすがに動揺したが、すぐに平静をお取り戻して俺はこう考えた。別に黙ってそのまま返してもバレはしないだろう、と。というのも、お茶をもろにこぼしてしまったわけではなく、部分的にかかっただけだったからである。加えて、元々その本は何十年も前のものであったので、少しくらいしみが入っていても別段おかしくはないと考えたからだ。 

 案の定、返却の際に受付の司書の人には特に何も言われることもなく、すんなりと本を返すことが出来た。がしかし、俺は正直に言わなかったことを次第に後悔しはじめた。何故あの時、正直に本当のことを言わなかったのだと。別に嘘をついたわけじゃない、司書の人だって別に気にしてはいなかったじゃないか、などと自分の中で言い聞かせながら、結局そのことは言わずじまいになった。

 そうして数日が過ぎた頃、俺は自宅のリビングで漫画を数冊テーブルに置いて読んでいたことがあった。ふとトイレに行きたくなってトイレに行った。そしてリビングに戻ってみると、

 漫画のテーブルに接している部分が濡れていた。

「あら、ごめんなさいね。コーヒー、漫画の上にこぼしちゃった」母が言った。

 普通に考えたら単なる偶然なのかもしれない。ただ俺はそうは思えず、あの時本当のことを言わなかったから、神様の罰が当たったんだ、と考えた。

 まぁ、長々と俺の下らないエピソードを語ったが、要するに俺はそれくらい信心深かったのだ。

 だから、然るべき格好をした貫録のある人物が然るべき所で「私は実は神だ」などと言ったら俺は信じてしまう自信がある。

 だが、そういう俺でもさすがにこんなのが神様なわけがない、と思うことがあった。

 想像してほしい。

 学校でちょっとおとなしそうな、しかしみんなから好感を持たれるような少女のことを。

 その少女が突然目の前でこんな宣言をした時のことを。

「私は神だ。君、アルバイトをしないか?」

 信じられるわけがないだろう。




 普通、冒頭では話の主旨を説明したりするものなのであろうが、俺にはこの話をどんな風に説明したらいいか分からない。とりあえず説明できることは、俺がいて、神様がいて、俺は神様の手伝いをする話だということだ。

 後は、不躾だがこの話を読んでいってどういうものか理解してもらいたい。

まぁ、語るに値しない内容かもしれないが。




 五月も間近である。

 つい先日まで舞っていたあの青春の代名詞も今では絶え、木々は緑の葉をその身に纏い始めていた。とはいえ、まだまだ続いている春のうららかな気候が俺の全身を包み込んで気持ちがよかった。

 俺の名は島尾敏彦。福岡の大学に通っている現在二回生の、まぁどこにでもいる普通の大学生だ。ちなみに実家生である。

 俺はゴールデンウィークだというのに大学へ来ていた。別に所属しているサークルの活動があったわけではない。サークルはゴールデンウィーク中休みである。では何故か……それは講義を受けに来たからである。

 休み中に講義というのはなんともおかしく聞こえるかもしれないが、俺は普通の講義ではなく集中講義を受けに来たのである。集中講義はその名のとおり、短期間に一気にやってしまおうという趣旨の講義で、よく土日や長期の休みに開講される。たまたまゴールデンウィークに開講される講義があるというので俺は受けることにしたのである。

 何故、講義を受けたか……それは実に単純である。要するに暇だったのだ。

 先ほど言ったように、サークルは休みである。かといって、アルバイトをしているわけではなかった。いや、正確に言うと少し前までアルバイトはしていたのだが、店舗の移転が理由で辞めてしまったのだ。移転先が容易に通える場所ではなかった。

 それでせっかくだから俺ははじめ、大学でよく一緒にいる友人とどこかに行こうと考えていた。しかし、彼は鹿児島から福岡の方に来ており、ゴールデンウィーク中は帰省するということだった。やつは去り際にこう言った。

「自宅生はいいよね。いちいち帰省する必要もないし」

 余計なお世話である。自宅生は自宅生なりに色々苦労があるんだ。それに、別に好きで自宅生になったわけではない。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 小さい頃の友人など、まぁ他にもあてを探したのだが、みんなそんなに暇がないそうで結局駄目だった。

 やんぬるかな、そんなこんなで俺は暇だったわけである。

 もうこのまま家でダラダラ過ごすのも悪くはないかな、なんてことも考えたのだが、五月病を発症する恐れがあったのでやはり何かしないといけないなと思い、漫然と大学のサイトを検索していたら今回の集中講義に行きあたった、ということである。二日間、つまり今日と明日の開講で、二日目は昼までに終わるということである。

 さて講義の内容は何だったか。確か博多どんたくの歴史を学ぼうとかいう題名だったはずだ。

博多どんたくは日本を代表する祭りである。九州はおろか、日本全国から観光客が訪れるが、見物客はゆうに二百万人を超えるといわれる。

 しかし俺は福岡に生まれてこの方、一回しか行ったことがない。特にこれまで行きたいとも思わなかったし、そもそも行った一回も小さい頃に家族に無理やり連れられて来たものだった。日本最大級のお祭りだと言われても、地元住民が誰もかれも行くなんてことはないだろう。観光地に住んでいる人がわざわざ自分の住んでいる地域の観光名所に行かないのと同じだ。

 さて、大学ではジャージ姿の学生や楽器ケースを背負った学生たちをみかけた。ゴールデンウィークなど関係なしにサークル、あるいは部活などに励んでいる学生も結構いるようだ。そういえば先ほどから応援団の威勢のよい声やラケットがボールを打つ音が聞こえてくる。うちのサークルも少しくらいこの態度を見習ってもいいのかもしれない。……別に自分が暇になったから文句を言っているわけではない。

 俺は講義が行われる建物へ入った。この建物も普段は講義が行われているのだが、休みともなるとさすがに行き交う人もなく、どことなく寂しい感じがした。

「えっと、確か四階の会議室だったっけか」

 俺はエレベーターを使って四階に移動し、エレベーターを出てすぐの壁にあった地図で講義の行われる場所を確認した。会議室のある場所は普段行くこともない所にあった。とはいえ、特に広い建物というわけでもなかったので、簡単に目的の場所に着くことが出来た。

 ただどういうわけか、人とは全く会わなかった。

「ここか。そういえばどれくらいの人が受けているんだろうなぁ。こうして開講されているってことはある程度の人数はいるんだろうけど」

 ドアを開けた。もう講義の始まる時間も近いので全員集まっているはずである、そう考えた俺は次の瞬間、唖然とした。

 会議室には四十代くらいの男性が一人と、あとは女の子が一人しかいなかった。

「おお、来ましたか。では人数が揃いましたので集中講義をはじめましょう」

 男性はこう告げた。




「えと、ちょっと待ってください」

 俺は会議室の中央にあるテーブルの一角に座っている、先生らしき男性に言った。

「どうしましたか?」

「いえ、人数が揃ったって、二人だけですか?」

「ええ、その通りです。それについてはお話しなければいけませんね。と、その前に」

 彼はあたりを見回しながら言った。

「やはりこの人数ではここは少し広いようですね。私の部屋に移動しませんか?」

「え、あ、はい。俺は別に構いませんけど」

「私も大丈夫ですよ」

 先生と向かい合って座っていた女の子は微笑みながらそう言った。

「じゃあ、決まりですね。では早速向かいましょう」

 俺たちは先生の部屋に向かうことになった。部屋は同じ階で、会議室からすぐ近くの所にあった。

「さ、遠慮せずにお入りください」

「あ、はい、失礼します」

「失礼いたします」

 部屋の中は校長室を少し狭めたくらいで、中央にテーブルと椅子があった。奥の方にパソコンやコピー機が置かれており、部屋の脇には本棚が置かれていた。仕事のものばっかりなのかな、と思っていたら部屋の隅に鉄道の模型があったり、壁にはポスターが貼られていたりしていた。

「どうぞおかけください」

「ありがとうございます……なんかちょっと、サークルの部屋みたいですね。あ、悪い意味ではなく」

「そうですね。それは言えています。さて、お茶でも飲みますか?」

 そう言うや否や、先生は俺たちの返答を待たずにお茶を入れはじめた。

 俺は横に座った女の子にそっと目をやった。淡い栗色の、ロングの髪のもとにある顔は絶えず微笑みをたえている。

 目鼻立ちはすっきりとしているが、どこか幼さの残る顔だった。大学生というよりは高校生といった方が納得するかもしれない。

「はい、どうぞ」

 先生はお茶が入った来客用の湯呑みを俺たちの前に出した。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は井上靖隆と申します。以後、お見知りおきを」

「島尾敏彦です。よろしくお願いします」

「庄野純です。よろしくお願いいたします」

 凛とした声で彼女はそう言った。さっきは意識しなかったが、とても心地の良い声音である。

「それで、まずは講義の参加者が二人だけということですが、これはもう講義に参加した学生が君たち二人しかいなかったとしか言いようがないですね」

 あけすけに先生はこう言い放った。

「え? 俺とこの人、庄野さんしかいなかったんですか?」

「ええ。ちょいと講義を受けた特典を付けていたからもう少しくらい来ると思ったんですがね。やはりゴールデンウィークに開くのはまずかったみたいですね」

 そう言って先生はおかしそうにハハハと笑った。普通、自分の講義に学生が来なかったら落ち込むと思うのだが。

「では何故、講義を中止しなかったんですか? さすがに二人だと講義の体をなさなくなると思うのですが」

「えぇ、私も最初はそのつもりでお二人にその旨を書いたメールを送ろうと考えておりました」

 そう言ってから、彼は俺の隣の席の庄野さんを見た。

「そんなことを考えている時に偶然彼女に会いましてね。あぁ、庄野さんとはそれ以前、講義で会ったことがあって顔見知りだったんです。それで、集中講義の参加者はどうなってるのか? と彼女が聞いてきました。せっかくの機会でしたので私は彼女に、参加者が二人しかいないから中止する旨を伝えました。そうしたら彼女は、それでもいいから中止などせずにそのまま開講してほしい、もう一人の人だってわざわざこの時期に講義を受けるつもりなのだから、中止はしてほしくないはずだ、と言いました。私はなるほど、と考えて中止を止め、今に至るというわけです。もしかして中止したほうがよかったですか?」

「いえ、決してそんなことはないです」

 元々、暇を持て余して受けに来た講義だ。中止にされたからといって、どうせ他にやることなんてなかったわけなのでむしろその方がよかった。しかし、それは言わなかった。言うと、なんか惨めな気分になる気がするからである。

 しかし、横に座っている庄野さんは何故この講義を受けようとしたんだろう? わざわざ先生に中止を取りやめるよう訴えてまで。少なくとも、俺と同じ事情ではないだろう。もしそうだったら、なんだか俺まで辛い。

「それでは、気を取り直して講義を始めましょうか。とはいっても、二人ですので、堅苦しくせずに、気軽に対話形式という形で行きましょう」

 それからは小休止を挟みながら講義は進んでいった。内容についてはあまり詳しくは言うまい。講義の内容をつらつらと述べたところで退屈なだけであろうし、この話の主旨ではないからである。せっかく講義をしてくれた先生には申し訳ないが。

 さて、昼は先生が奢ってくれるということで最寄りのファミレスに連れて行ってもらった(最寄りといっても車で五分くらいかかる場所であったが)。もちろん庄野さんも一緒である。彼女はあまり自分から話しかけるということはなかったが、人当たりがよく、会話の合間に的確ともいえる質問を挟んだり適当に相槌を打ったりしていた。万事こんな感じであったから、聞き上手なんだな、と思ったと同時に俺は彼女に対して好印象を持った。多分こんな女の子なら男の引く手も数多だろうから、素敵な彼氏もいるのだろう。

 昼に食事に取った以外の小休止は、俺はトイレに行ったり、外に風に当たりに行ったりしてあまり先生の部屋にはいなかった。先生も庄野さんもどちらかというと話しやすい雰囲気ではあったが、二人きりになるかもしれないということに若干のためらいがあったからだ。こういう所は直したいとは思うのだが、いざ、となると中々上手くいかない。

 そうして何回か小休止を挟んだ時だった。俺は席を外すタイミングを逸して部屋から出ないことがあった。先生はちょっと事務の方に用事があるといって出ていってしまい、部屋には俺と庄野さんの二人だけになってしまった。庄野さんが部屋を出る様子はない。

 どうしようかと俺は戸惑っていた。今このタイミングで部屋を出ていくと、俺が彼女を避けていると思われかねない。

 何か話題を振らねば、と思ってめまぐるしく頭を回転させていると、彼女の方から俺に話かけてきた。

「ちょっといいかな?」

「はい、なんですか?」

 彼女は俺をじっと見つめている。そういえば心なしか、講義が始まったあたりからしばしば俺は彼女の視線を感じていた。ただ、断わっておくが別に何かを期待していたわけではない。断じて。

 俺は彼女の言葉を待った。彼女は少しの無言の後、口を開いた。

「私は神だ。君、アルバイトをしないか?」

ただ、その内容は思いだにしないものだった。


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