ドキッ☆転校生
スーツケースがアスファルトの上を滑り、静かな始まりを告げる朝の街に音を響かせる。
俺は小さくなっていく母の背を見送った。
父は俺が幼い頃に他界した。逞しく優しい父だった、家族想いの父だった。だが、父の死は酷く呆気ないものだった。それからと言うもの、俺は母に迷惑をかけないため我が儘や感情を抑え子供らしさを失った。母もまた、やりたい事を我慢し俺を育てる事だけに全てを注いでくれた。
そうして俺は昨年、華ノ歌高校という男子校に入学した。その学校は高校にしては珍しく制服が黒の学ランである。
昼の購買部が戦場だったり、体育の後の教室の異臭等、色々戸惑う事もあったがいつの間にか友人も出来、俺は無事本日から二学年になる。それと同時に母は仕事の関係で海外へ行く事を決めた。初めこそ母は断ろうとしていたが、いい加減母も自分のやりたい事をやるべきだと俺が強く言った事により、海外に行く事を決意した。
母にとって有意義な体験となるだろう。そして俺も。
母は過保護だった。心配性も度が過ぎれば苦痛になる。決して言葉や態度には出さなかったが多少の息苦しさを感じていたのは事実だ。
母の姿を見送った俺は、最早通い慣れた通学路を歩み始める。
だが、すぐにこのまま歩いていたら間に合わないという事に気付かされた。
原因は出発前の母とのやり取りだろう。同じ事を何度聞かされた事か、鍵の閉め方等、とうの昔に知っていると言うのに。俺は内心溜め息をつきながら、裏道に入った。
裏道は普段通る大通りとは対照的に、常に薄暗く、古い建物が左右を囲み酷く閉鎖的な道だ。あまり好んで通らない道だが、此処を通ると学校に普段より十分以上早く着く事が出来る。進級して早々目立つ行為は取りたくない。遅刻を免れるならばと裏道に入ってみたが、俺はすぐにその事を後悔する事となる。
裏道とはいえ、朝だ。まさか何かある筈は無いだろうと祈りに近い思いで足早に歩く俺の前方を、男達が塞いでいた。
「おい、金出せよ金」
「俺等金が欲しいんだよねぇ~」
ひょろりとした背に、薄緑の髪の男と顔がピアスだらけの筋肉質な男が、栗色の髪の少年に金を請求している。見るからに穏やかではない状況だ。黙って立ち去ろうかと思ったが、栗色の髪の少年の空を思わせる青い瞳とばっちり目が合ってしまう。更にその少年は俺と同じ学ラン姿だ。俺は小さくため息をつく。これも何かの巡り合わせだろう。
「おい、こんな朝っぱらから何をしているんだ」
声をかけると、二人組のガラの悪い男が此方を向く。今更だが完璧に巻き込まれた。
「あ? なんだテメェは」
「なになに、おにーちゃんが出してくれんのかな~」
「今五百円しか持ち合わせていない」
一ヶ月の小遣いは千円だが昨日新しい筆記用具を買ってしまったため、残金は五百円しか残っていない。嘘ではないのだが、俺がきっぱり言い放てばひょろりとした男のこめかみがひくつき、なにやら怒鳴りながら地を蹴り上げ勢い良く俺に向かってきた。仕方ない。
俺は腰からダガーと呼ばれる刃渡り三十センチ程度の刃物を取り出そうと手を伸ばす。
だが、腰には当たり前だが何もない。何故なら此処は日本だ、刃物を持ち歩いていたら犯罪になる世の中である。
そうこう悩んでいた間に、ひょろっとした男の右ストレートが炸裂する、俺はそれをサッと避け……れる筈もなく見事に腹部に拳をくらった、自慢ではないが喧嘩などした事が無いのだから避けれる筈がないのだ。腹部の痛みによろけ足がもつれ、そのまま俺は惨めに地面に倒れた。頬に当たるアスファルトが妙に冷たい。
「ちょ、弱すぎじゃね」
「なんか、良心が痛むんだけど」
良心を持ち合わせているなら、こんな場所で少年から金を取ろうとする筈が無いだろうと内心呟く。ちらり見上げると男達は顔を見合わせ、地面に落ちた俺の鞄を物色し始めた。良心はどこへいったんだ。
こんな事なら、一度は喧嘩を経験すべきだったのかと、平和主義な自分を呪ったその瞬間、
「だめっ」
声変わり前の、先程の栗色の髪の少年の声が響いた。制服に付いてるワッペンから察するに俺と同じ学校の筈だが、あどけない瞳や声変わり前のような声から中学生のように見えてしまう。
華奢なその少年が、ぷるぷる震えながら二人組の男に立ち向かおうとしている。俺はすぐさま立ち上がり少年の傍へ行こうとするが、俺が少年の元へ行くより二人組の男がニヤニヤ笑いながら少年に近寄って行く方が少し早かった。男の手が少年に触れる瞬間、少年のスラッとした足が見事ひょろ男の頭を蹴り上げ、男は三回転しながら宙を舞い、弧を描いて地面に落ちた。
「な、なにしやがんだ」
ピアスの男が少年を睨みつけ猪のように突っ込んでいくが、ひらりとかわされ少年に後ろから蹴られ勢い良く地面を転がっていった。僅か数分の出来事である。
そして少年は涼しい顔をして軽く髪をかきあげ唇を歪めた。
俺は立場がなくなり、もう一度地面に突っ伏して死んだふりを決め込む。
助けに来たはずが呆気なくやられ、逆に助けられてしまった状況で平然としていられる程俺の心は逞しくはない。いっそ、俺の存在を無視して通り過ぎて欲しいくらいだ。
だが少年は俺に近寄ってきた。
「眠い? 起きてるー?」
「……」
「返事しない……じゃあチューする」
「……起きてる」
顔を上げると、空色の瞳が目の前にあった。少年はにっこり笑っている。
「ボク、華ノ歌高校二年のヒヨ! 転校生」
「俺はシランだ」
「宜しくねシラン、さっきはありがとう。すごく面白かったよ」
そう言ってヒヨは俺を立たせると、落ちていた鞄を拾いながら振り返り、紅い携帯を見せてくる。画面には先程の男と俺のやり取りが映っていた。どうやら動画を撮られていたようだ。そして唇を歪めたまま、
「今日からシランの家で住まわせてもらうよ」
「……は?」
今、なんだって。
「ボク、昨日まで公園に住んでたんだけど公園無くなっちゃったから住む場所なくて。……住まわしてくれないとショックでこの動画色んな場所に流しちゃうよ」
「……わ、分かった」
脅された。あどけなく笑っているくせになかなか抜け目ない男である。結局断れなかった。
ヒヨはまるでこうなることを予想していたかのように、俺が受け入れればにっこり笑い、俺に抱きついてきた。
その時、ちょうど遠くで鐘の音が聞こえる。
「遅刻だ、シラン」
「…………」
「サボっちゃう?」
「それはダメだ、行くぞ」
駄々をこねるヒヨを抱えて俺は走った。
慌ただしい日常の始まりである。