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ゆきのまちシリーズ

宇宙の幻雪

作者: 謎村ノン

 雪は、全ての音を奪ってゆく。

 窓の外に広がる白い世界は、まるで息を潜めた獣のように、私を見つめていた。

 暖炉の火が、かすかな音を立てて薪を舐めている。オレンジ色の炎が壁に影を揺らし、その影が、時折、私の視線の端で形を変えた。

 私は、叔父の家に行くのが好きではなかった。古い木造の家は、どこか湿った匂いがして、床板は歩くたびに軋んだ。

「母は……『トシに、雪の姫のことを聞きなさい、あなたは、知るべきだから』……と言い残して、亡くなりまして……」

 そう、母が事切れる前に残した一言が、この家に、私を導いたのだった。

 トシ叔父さんは、暖炉の前に腰を下ろした。彼の顔は、炎に照らされ、深い皺の影が刻まれていた。

「ふむ。雪の姫か……確かに、ミユキも知っておく必要があるな……」

 トシ叔父さんの声が、静寂を裂いた。

雪の姫プリンセス・オヴ・スノウを、知ってるか?」

 私は、叔父さんが、なぜ英語の名称をだしたのか戸惑いながら、首を振った。

「この辺りに伝わっている、雪の中に現れる美しい姫の話だ。こんな山奥なのに、なぜか絵本のような西洋の白いドレスを着て、氷の冠をかぶっている姫が、雪の日に現れるってんだ。だが、彼女に出会った者は、必ず……」

 叔父は言葉を切り、薪を火にくべた。炎が一瞬、強く揺れた。

「必ず、何かを連れて帰るんだ」

 その言葉に、背筋が冷えた。

「何かって?」

「わからん。ただ、ついてくるんだよ。見えないものが。最初は気づかない。だが、夜になると、耳元で声がする。雪の匂いがする。やがて、そいつは……」

 叔父は、口を閉ざし、炎を見つめた。

 私は、無意識に窓の外を見た。雪が降り続いている。その白さの奥に、何かが立っているような気がした。

「……雪女かと思ったら、まるで、ホラー映画みたいな話、ですね」

「ああ」

 叔父が頷き、沈黙が、部屋を満たした。

 暖炉の火が小さくなり、影が濃くなった。叔父の顔は、炎の明滅に合わせて歪み、まるで別人のように見えた。

「母さんも、その話を知っていたの?」

 私の声は、かすれていた。

 叔父は、ゆっくりと頷いた。

「お前の母さんは……あの姫を見たんだ」

 その瞬間、心臓が跳ねた。

「いつ?」

「若い頃だ。車で雪山に行って、立ち往生したとき、姫が現れたと言っていた。白いドレスのまま、微笑んでいたそうだ。母さんは助かった。だが、その後……」

 叔父は、言葉を飲み込んだ。

「その後、何?」

「……何かが、ついてきたんだよ」

 炎が、ぱちりと音を立てた。

 私は、息を呑んだ。母の死因は、動脈瘤といわれていた。

 しかし、最後の母の言葉は、「雪が、呼んでいる」だった。

 その意味を、私は今、理解し始めていた。

 夜が、深まった。

「もう遅い。泊まって行きなさい」

 叔父の言葉にただ頷き、私は、叔父の家に一泊した。

 客室に通されると、暖炉の火が消え、闇が部屋を満たした。

 ――静寂の中で、誰かが囁く声を、私は聞いた。

「ミユキ……」

 私は、凍りついた。

 声は、柔らかい声色だったが、底知れぬ冷たさを孕んでいるように思えた。

 私は布団を握りしめ、目を閉じた。

 ――その夜、私は夢を見た。

 果てしない雪原で、空は黒く、星が瞬いていた。

 その星々の間に、何かが蠢いていた。

 巨大な影、触手のようなものが、銀河を絡め取っていた。

 その中心に、白いドレスを着た姫が、仁王立ちしていた。

 彼女の足元には、無数の骸が雪に埋もれていた。

 そして、彼女は、私に微笑んだ。

「来なさい……」

 その声で、私は目を覚ました。

 窓の外には、まだ雪が降り積もっていた。

 だが、その雪の白さの奥に、私は、確かに見た。

 ――誰かが、立っていた。


***


 宇宙の冒険家、アーマッド・L・ラシードは、漆黒の虚空を漂う船の中で、ただ一点を見つめていた。

 視界の先には、星々が散らばっていた。

 その中心に、奇妙な輝きがあった。雪の結晶のように冷たく、どこか歪んだ空間が見えていたのだ。

 彼は、長い航海の果てに、ついに辿り着いたのだった。

 銀河の外縁、負のエネルギーが充満する時空の裂け目に生じる宇宙の白い嵐――幻雪の領域と呼ばれる場所だった。

 そこでは、時空が揺らぎ、失われた死者を呼び戻す、と遙か昔に滅び去った〈先住者〉と呼ばれる古代異星人の記録が語っていた。

「ナルディア……」

 アーマッドは、妻の名を呟いた。その声は、船内の冷たい空気に溶け、虚空に消えた。

 ナルディアは、彼の全てだった。

 失われたナルディアの長い黒髪、深い瞳、柔らかな声が思い起こされた。

「……雪って、不思議よね。触れれば溶けるのに、世界を覆う力を持っている……」

 そう、彼女が死んだのは、地球から離れた永冬(とこふゆ)の植民惑星だった。

 雪が降りしきる夜、彼女は、眠るように息を引き取った。

 その瞬間、彼の世界は崩れた。

 故に、科学者としての理性を捨て、冒険家としての誇りを捨て、ただ一つの執念に身を委ねて、彼はここまで来たのだった。

 古代異星人の専門家だった彼は、それまでの探索紀行の経験から知っていた――この宇宙には、本当に人知を超えたものがあるのだ――その可能性に賭けた。

 ……死者を甦えさせる力を手にするためなら、彼は何でも捨てる覚悟だった。

「よし、いくぞ……」

 覚悟を決めて、船の針路を、幻雪の領域に向けた。

 やがて、視界の外に、白い粒子が漂ってきた。

 すると、船内に巨大な時計のように壁一面に配置された計器が、狂ったような数値を吐き出した。

 時空の歪み率、量子干渉パターン、負のエネルギー密度――どれも、既知の物理法則を逸脱しているようにみえた。

 アーマッドは、震える指でモニターをなぞった。

「これが……幻雪か」

 その声は、かすれていた。

 白い粒子は雪のように見えたが、実際には純粋な量子情報の残滓だった。

 通常は、ブラックホールの事象の地平面にしか存在しない筈の、時空の裂け目から漏れ出した情報の断片だった。

 彼は、古代異星人の記録を思い起こしていた。

 ――幻雪は、死者の声を運ぶ――

 その言葉を、科学者として、単なるオカルトだと、笑い飛ばした日もあった。

 古代異星人によれば、知性体の魂とも呼べる死者の記憶は、量子情報となって、ダークマターの河のネットワークにより、この幻雪の領域へ超光速で到達する、というのだ。

「完全に信じ切れては、いなかったのだが……」

 計器の様子を眺めて、今、彼は理解していた――量子情報が、ある一定の密度を超えると、不可視の波が絡み合い、四次元時空にその一部を、顕在させる。

 それにより、銀河を覆う白い雪原が出現するのだ。

「本当に、この幻雪は、量子情報が再構成されたものなのか!」

 ……死者の脳に刻まれた記憶は、時空の深層に沈殿し、その情報は、完全には消えず、宇宙の基底状態に、微弱な波として残る。

 幻雪は、その波を掬い上げる現象だ、としか思えなかった。

「うん?」

 白い幻雪の領域に入り込んで暫くしたとき、突然、モニターの文字が、雪片に変わった。

「な、重力磁場バリアーが効かないのか!」

 数値が、白い結晶となって舞い上がった。

 すると、どこからか声が聞こえた。

「アーマッド……」

 ナルディアの声だった。

 本当に、人知を超えた現象が起きている、と思った。

「そうだ……呼んでいるんだな」

 いつの間にか、船は、雪の平原に座礁していた。

「ナルディア……もうすぐだ」

 船外に広がる白い雪は、ただの粒子ではなかった。それは、声だった。無数の囁きが、船を満たしていた。

「来て……」「……眠りの雪へ」「境界を捨てろ……」

 エンジンを止めて、ハッチを開いた。

 白い霧が、彼を包んだ。すると、冷たい感覚が皮膚を刺したが、その冷たさとともに、甘美な温もりを感じた。

 アーマッドは、歩きだした。幻雪の領域の中心に向かって。

「アーマッド……」「……境界を捨てろ」「ナルディアを……」

 彼は、笑った。

「そうだ……呼んでいるんだな」

 白い嵐が、船を呑み込み、銀河を覆っていた。

 情報の結晶、量子の波が凝縮し、記憶の断片が結晶化したもの、死者の声、忘れられた夢、意識の残滓――それらが、銀河の闇に降り積もっているのだ。

 しばらく進むと、白い世界の中心に、女が立っているのが見えた。

 氷の冠をかぶり、大昔の王侯貴族のような衣をまとっていた。

 そもそも、宇宙服もなく、雪原のように見える空間に立っていること自体がおかしなことだった。

「これは……量子情報が、再構成されているのだろう」

 これも幻雪の領域の(ことわり)なのだろうか、とアーマッドは、ぼんやりと思った。

 そういえば、古代異星人の伝承に、幻雪の領域にいる王女の話があった。地球の言葉に翻訳すれば、そのまま『プリンセス・オヴ・スノウ』だ。

 古代異星人は、姿形からしてまったく地球人類とは異なっていたから、この超常的な存在は、自動翻訳されたようなものだろうか、と思った。

 (プリンセス)は、微笑んでいた。

 その微笑みは、ナルディアと同じだと思った。

「ナルディア……?」

 アーマッドは、震える声で呼んだ。

 姫は、ゆっくりと手を差し伸べた。

「来て……」

 アーマッドは、姫の手を取った。

 その指先は、雪のように冷たい――と思った瞬間、世界が反転した。

 アーマッドは、白い世界の中心に立っていた。

 雪が降り続けていた。だが、その雪片は、ただの氷ではなかった。上空に見える星々が砕け、銀河が崩れ、その何かが宇宙を覆っていくように思えた。

 そして、彼はナルディアの声を聞いた。

「……アーマッド……」

 彼の視界の先に、ナルディアが現れた。雪片に映された、ホログラムのように見える。

 立体映像の彼女は、微笑み、囁いた。

「あなたは、私を求めた……だから、私はここにいる」

「ナルディア……本当に、君なのか?」

 アーマッドの目から、涙が流れた。

 しかし、彼女は、首を傾げた。

「私は、あなたの記憶です。あなたの願望で、さらに、あなたの罪」

 その声は、雪のように冷たく、甘美であると同時に、底知れぬ闇を孕んでいるように思えた。

 アーマッドは、理解した。

 ――これは、ナルディアでは、ない。

 これは、彼の意識を侵食する情報の雪だ。

 だが、彼は抗えなかった。

 彼は、彼女を抱きしめた。

「っっお……」

 その瞬間、彼の意識は、雪に溶けた。

 彼の脳に、情報の雪嵐が流れ込んだ。

 それは、情報の結晶だった――量子の波が凝縮し、記憶の断片が結晶化したものだった。

 ナルディアの記憶、彼自身の記憶、そして無数の死者の声がが、アーマッドの意識を侵食した。

 彼は、境界を失った。

 自分とナルディアの区別が消え、さらに姫の意識が混ざり合った。

 境界を失った何かとなった、彼の残滓は、理解していた。

 ――姫は、情報生命体だ。量子の雪片に宿る、死者の記憶を集積する存在なのだ。

 彼女は、意識を喰らう。

 その相手に、彼を選んだのだ。

 自分とナルディアの区別が消え、さらに姫の意識が混ざり合った。

 彼は、もう自分が誰なのか分からなかった。


***


 遠い地球で、ミユキは目を覚ました。

 窓の外には、雪が降っていた。

 だが、その雪は、白ではなく、淡い光を帯びているように見えた。

 その雪を見ていると、何か音がするように思えた。

 最初は、風の音だと思った。

 だが、その音は、言葉の囁きを伴っていた。

「ミユキ……」

 彼女は、凍りついた。

 たしかに、聞き慣れた母の声がした。

 彼女は、窓に近づいた。すると、雪片が、ガラスに貼りついていた。

 その一片に、文字が浮かんでいた。

『アーマッド』

 彼女は、息を呑んだ。

 部屋の空気が、冷たくなって、暖炉の火が、音もなく消えた。

 闇が、雪の匂いを孕んで広がった。

 その瞬間、彼女の脳に、映像が流れ込んだ。

 銀河の雪嵐、(プリンセス)、そして男の顔が、サイケデリックに流れた。

 ミユキには、まったく理解できなかった。

「な、何……?」

 ミユキが呟いたそのとき、彼女は、背後に気配を感じた。

 振り返ると、部屋の闇の中に、白い影が立っていた。

「あなたは、選ばれた」

 映像でみた、あの(プリンセス)が、氷の冠を被り、微笑んでいた。

 ミユキは、後ずさった。しかし、部屋の中にいたはずなのに、足元に雪が積もっていた。


***


 アーマッドは、白い嵐に呑まれていた。

 その嵐の中で、アーマッドは姫を抱きしめていた。

 彼の意識は、雪に溶けていた。しかし、科学者としての理性を最後まで捨てきれなかったからなのか、アーマッド自体のコアとなるべき情報は、溶けずに残っていた。

 再び、彼の視界に、ナルディアが現れた。

 彼女は、雪片でできていた。その髪は、量子の糸で編まれ、瞳は情報の深淵を映していた。

 アーマッドは、最後の理性で、言葉を紡いだ。

「君は……情報生命体だな」

 姫は、微笑んだ。

「私は、境界を超えたもの」「私は、記憶の雪」「私は、あなたの願望」

 彼女は、同時に聞こえる言葉で、アーマッドに語りかけた。

 彼は、理解した。

 幻雪は、死者を蘇らせる呪いではない。

 それは、意識を喰らう現象だった。

 情報が、情報を求め、そして、境界を消す。

 彼は、笑った。

「ナルディア……」

 その声は、雪の中に溶けた。


***


 その時、遠い地球で、ミユキは夢を見ていた。

 雪が降る夜、母が暖炉の前で微笑んでいた。

「雪って、不思議よね」

 母の声が、記憶の奥から響いた。

「触れれば溶けるのに、世界を覆う力を持っている」

 その言葉が、今、彼女の脳に突き刺さった。

 雪片が、母の顔を形作っていた。

 その瞳が、彼女を見ていた。

「ミユキ……」

 彼女は、凍りついた。

 母の声が、姫の声と重なった。

「境界を捨てろ……」

「眠りの雪へ……」

 ミユキは、理解した。母は、かつて(プリンセス)を見たのだ。

 そして、何かを連れて帰った。

 ――ついてきたもの。

 それは、今も彼女の血の中に潜んでいる。


***


 遠い宇宙で、アーマッドだった情報の欠片は、姫を抱きしめていた。

 ナルディアの笑顔が蘇った。彼女は、雪を愛していた。

「雪って、不思議よね」

 彼女は、笑って言ったものだった。

「触れれば溶けるのに、世界を覆う力を持っている」

 その言葉が、情報として、姫にまとわりついていた。



***


 その瞬間、地球と、はるかな未来との時の流れの境界が、消えた。

 ミユキの部屋に、銀河の雪嵐が侵入した。

 星々が砕け、雪片に変わり、闇が光を呑み込んだ。

 彼女は、白い姫を見た。

 その微笑みは、甘美で、恐ろしかった。

「来て……」

 彼女は、抗えなかった。

 彼女は、姫の手を取った。

 その瞬間、世界が反転した。

 雪が、すべてを覆った。

 声が、すべてを呑み込んだ。

「境界を捨てろ……」「眠りの雪へ……」

 そして、闇が訪れた。

 

(了)


後書き:こちらも、今はなき、ゆきのまち幻想文学賞に投稿し……そこねた20ン年前の最古のメモ書きを掘り起こして、AIも使って書き直したものです。アーマッドは、私の別シリーズ(未発表)の主人公の父親という設定です。ちょっとギャラクシーな鉄道のスリーナイン風?


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