第八話:復路
住宅地を逃げまどう私たちの前に、大通りが見えてきた。そこへ向かえば…。
「アイリ…。」
ユイが声を詰まらせた。
大通りには人通りが多いはずだった。
なのに、そこには誰一人としていない。
その代わり、道路の上にはこれまでに見たことがない、不思議な光景が広がっていた。
車両が道路の中央に停まっているのだ。
それも一台ではない。何台もの車が、まるで運転中に運転手が突然消えてしまったかのように、無造作に止まっている。
どの車もエンジンがかかったままだ。
けれども、車の中を見ると、ハンドルの前には誰もいない。
私は車のドアを開けた。
その中は、無人だ。
シートベルトは装着されたままの状態で、誰もいない席にかかっており、ドリンクホルダーには、まだ飲みかけのペットボトルがあった。
そして、エアコンの風が吹き出し、ラジオがノイズを発し続けている。
車に乗っていた人達が、何の前触れもなく、突然この世界から消えてしまったとしか思えない光景だった。
周囲を見る。
いや、車だけではない。
歩道には無人の自転車が、荷物を周囲に散乱させたまま、道路に倒れている。
そう。全ての人が瞬間的に消え去り、その痕跡だけが取り残されたかのような。
世界が終わり、全ての人が消え去ってしまったような光景が、私たちの目の前に広がっていた。
「まさか、みんな…。」
全てが繋がり始めていた。
失踪した人々は、完全に居なくなってしまったのだ。
そして、私たち以外の人たちはもう…。
私たちはその場から必死で逃げ出した。この異様な光景から目を逸らすように。まるで私たちも消されてしまうことを恐れるかのように。
ただ、前へ前へと。
そんな中、コンビニが目に入った。
「アイリ、あそこなら…。」
ユイが声を絞り出す。建物の中なら、少しは安全かもしれない。
私たちは自動ドアの前に立った。
「入ってみましょう。」
センサーに反応して、ドアが開く。
店内からは、冷蔵ケースの低い唸りと、いつもの店内BGМが聞こえてきた。
「電気、まだ通じているのね。」
私たちは店内に入った。商品は棚に整然と並び、レジには買い物かごが置かれている。
人がいる気配こそまったくないけれど、いつもの雰囲気が残っていた。BGМが流れる店内は、どこか心強く感じられた。
「誰かいますかぁ?」
ユイが叫んだ。
私とユイは、駄目だとは思いつつも、店員を探した。
その時、ふと私は何かに気が付いた。
商品が並ぶ棚にいる私たち。その棚の隣に何かがいる気がしたのだ。
棚の隙間から、一瞬だけコンビニの制服を着た人が見えた気がする。
「あ、あの!」
私は、その方向へ声を掛ける。
「…うっ。」
でも、気がついた。
急に息が止まりそうになった。
私は思わず目を凝らす。誰もいないはずの通路。
けれど、確かに誰かがいる気配。
まるで私たちを見ている何かがいるかのような感覚。
「アイリ?」
ユイの声も上ずっている。
目を凝らしても、そこにはもう誰もいなかった。
私は必死で冷静を装おうとした。気のせいだと思い込もうとした。
でも、確かに見えた気がする。制服の裾。誰かの姿。
次の瞬間、私の背後に人がいる気配を強く感じた。
息が止まりそうになる。振り返ることができない。
いや、振り返ってはいけない気がした。
ユイの表情が強張るのが見えた。彼女も何かを感じ取ったのだろう。
私の背後にいる異質な存在に、気付いているのが分かった。
それは確実に私たちを見ている。
振り向けば、きっとコンビニ店員の制服を着た何かがいるはず。その視線が、私の背中に突き刺さるように感じられた。
でも、振り返っちゃいけない。
まるで私たちを引きずり込もうとするかのような、異様な気配。
この場から逃れなければ。
「出ましょう。」
強く私は言った。
ユイは、何も言わないかったけれど、意味は理解している。
店内を走る。
前へ前へと、進んだ。
決して後ろを向いちゃいけない。
私たちは急いで、そのコンビニを出た。
外に出ると、街全体が一層色褪せて見えた。
建物も、道路も、空さえも赤褐色に染まりつつある。
しばらく、走った。
どこまで走っても、無人だ。
そして、世界が終わってしまったかのような雰囲気。
「アイリ。ちょっと、ごめん。」
ユイが立ち止まった。
私もそれに合わせて、その場に立ち止まる。
周囲を少しだけ確認した。
少なくとも、先ほどコンビニ店内にいた存在の気配は消えていた。
少しだけ、それに安心した。
だけれども、状況は改善していない。
この異常な状況から逃れる場所を探さなければならないのだ。
私とユイは、そこで少しだけ立ち止まっていた。
これから、私たちはどこへ向かえばいいのか?
分からないけれど。
「アイリ、どうすればいいの…。」
ユイの声が震えていた。私にも答えは見つからなかった。
ただ、このままだと、私たちもまた消えてしまうかもしれない。
「学校…。」
突然、私の頭に浮かんだ。
「学校?」
「ええ。そこで全てが始まったのだとしたら…。」
私の言葉の意味を理解したのか、ユイは小さく頷いた。
私たちは顔を見合わせた。
確かに危険かもしれない。でも、このまま逃げ回っているだけでは何も解決しない。
だけど、真相を知るためには、全てが始まった場所。
つまり、学校へ向かうのが適切なのかもしれない。
「行きましょう。」
私が言うと、ユイは不安そうな表情を見せながらも頷いた。
大通りを横切る。人気のない道路には、信号が虚しく色を変えていた。
その先には、ぼんやりと北高の校舎が見えていた。
近づくにつれて、校舎の異様さが際立ってくる。
窓という窓が、まるで瞳のように私たちを見つめているような錯覚。
そして、校舎全体が赤褐色の色調を帯びていた。
「アイリ…。」
ユイの声が震える。
私も感じていた。この校舎には、もう誰もいないような気配を。
けれど、私たちは立ち止まるわけにはいかない。
真相は、この中にあるはずだから。
校門をくぐる。中庭には誰の姿もない。
そして、あの北校舎の階段が、私たちを待ち受けているかのようだった。
校庭を横切る私たちの足音だけが響く。
いつもなら部活動の声が聞こえるはずなのに、今は完全な静寂が支配していた。
「誰もいないの?」
ユイの呟きが、不気味に空間を満たす。
私たちは、まず南校舎へと向かった。
昇降口の靴箱には、整然と上履きが並んでいる。
先ほどまで、生徒がいたかのような。しかし誰もいない。
世界が突然終わってしまい、それについていけなくなかったかのような状況だ。
私たちは上履きに履き替えた。その音が廊下に響く。
ふと、廊下から、教室を見て回ることにした。
教室を一つずつ確認していく。
どの教室も、机や椅子は整然と並んでいるけれど、そこには生徒の気配がない。ノートや教科書が、机の中に整然と並べられている。
「職員室へ行ってみましょう。」
私は、ユイに声をかけた。
「うん。」
ユイの声は弱弱しい。
職員室のドアの前。
部屋の中からは、誰かがいるような感じはしない。
だけど。
万が一、誰が居れば…。
私はそう思いながら、ドアに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
ゆっくりとドアを開けた。
中は、まるで時間が止まったかのようだった、
先生たちが座っている、机の上にある、パソコンの画面はまだついたままだった。
書類や束になったプリントがあちこちに置かれている。
入れたてのコーヒーが置かれていて、独特な職員室の匂いを感じた。
ただ、今でも人さえいれば、いつもの職員室そのもの。
ただ、問題は今、職員室には誰もいなかいことだった。
まるで、人が瞬時に消え失せてしまったかのような雰囲気だった。
「アイリ。ここにも、誰もいないね。」
ユイがぽつりとつぶやく。
「そうね。」
私はユイに頷くことしかできない。
まるで、全ての人が突然消えてしまったかのような光景。
それは私たちの教室で見た光景と同じだった。
ただ、ここにはより重たい空気が漂っていた。
職員室を出ると、廊下の空気が一層重く感じられた。窓から差し込む光も、徐々に色を失っているような気がした。
「出ましょう。」
「うん。」
簡単な会話。
それだけで意思疎通は終わった。
私たちは足早に職員室から離れる。廊下の窓から差し込む光が、さらに赤褐色を帯びていく。
私とユイは特に行く当てもなく、廊下を進んだ。
ただ、何となく進んでいった先に、私たちの教室が見えた。
いつもの習慣なのか、私とユイはそのまま教室へと近づいていった。
ドアを開ける。
教室の中は、まるで授業が始まる直前のよう。
けれど、そこにいるはずの生徒たちの姿が、完全に消えている。
「誰もいないね。」
ユイの声が小さく響く。
誰もいない教室。
私は窓の外を見た。そこから見える北校舎が、異様な存在感を放っていた。
ユイも北校舎のほうを見ていた。
そして、こちらを向いた。
「アイリ。」
ユイの言葉が途切れる。
私たちは、お互いの顔を見合わせた。
すべての始まりとなった、あの場所へ向かわなければならない。
「分かったわ。」
不自然な静けさの中、私たちは廊下を進んだ。
二人分の足音が空っぽの校舎に反響する。
私たちの周りの世界が、ゆっくりと色を失っていくのを感じながら。
私とユイは渡り廊下へと向かった。
南校舎と北校舎をつなぐ通路。いつもはごく当たり前に通る場所なのに、今は重圧を感じさせる空間へと変容していた。
二人の心は同じだった。先に進まなくてはと。
でも、一歩を踏み出すたびに、恐れの気持ちが大きくなっていく。
「アイリ?」
「そうもいかないわ。この状況が始まったところに、原因があるはずだもの。」
私は自分に言い聞かせるように返した。
渡り廊下へと足を進める。目の前には、薄暗い北校舎の姿が広がっていた。
「アイリ、見て。」
ユイは、廊下にある窓から外を見ている。
私も、その視線の先を確認する。
その窓を通して見える北校舎が、赤褐色の色調が強くかかっているかのように見えた。
それは、まるで別世界のように見えた。世界が終わっている。
「急ぎましょう。ユイ。」
私は、足を早めた。
そう、私とユイが消えてしまう前に、北校舎へと辿り着かなければ。
そして、世界の終わりに飲み込まれてしまう前に、真相を知らなければ…。
ユイと私は渡り廊下を進んでいく。
そして、私たちの前に、北校舎の入り口が見えてきた。
しばらく、北校舎内の廊下を進んでいく。
するとそこには、あの動画で見た階段が、まるで私たちを招き入れるかのようにそびえ立っていた。
私とユイは足を止めた。
階段は、まったく変わらない。
その何も変わっていないこと事態が、その階段の異様さを物語っていた。
そこで私は気が付いた。
そうだ、この階段が変わらないのではない、その他がこの階段のようになってしまったのだ。
私たちは階段の前に立つ。まるで深淵を覗き込むような感覚。今まで経験したことのない重圧が、私たちを包み込んでいた。
「図書室へ行きましょう。」
咄嗟に私は、そう言い出した。この階段から目を逸らすように。
今、階段を見ているのが辛かった。まるで吸い込まれそうな気がして。この階段を上った先には、消えていった人たちが待っているのかもしれない。
「早く、図書室に行こう?」
ユイは、そう言って階段から目を逸らすように足を進めた。
私たちは図書室へと移動を始めた。




