第六話:警報
私は、ユイと一緒にリビングにいた。
私とユイは、リビングにある大きなテーブルに隣り合って座っていた。
テーブルの上には、私たちが作ったチャーハンと野菜炒め、お味噌汁が並んでいる。
ユイの家のリビングは私の家と同じようなダイニングキッチンで、リビングの向こう側にはキッチンの様子が見えた。
キッチンのカウンターには、さっき調理で使った調味料の瓶がまだ並んでいる。
ついさっきまで、ユイと一緒にチャーハンや野菜炒めを作っていた。そこの冷蔵庫にあった野菜や卵を使って、なんとなく料理をしたのだ。
ただ、その名残が残っているような空間を眺めると、少しだけ心が休まるような気がした。
私たちがキッチンで夕食を作るとき、ユイは少しだけ元気を取り戻してくれた。
卵を割ったり、野菜を切ったり、いつもの日常に近い時間を過ごせたからかもしれない。
もちろん、その間、ユイは片時も私から離れることはなかったけれど。
正直、私も今の状況を完全に理解できていない。
ただ、何もかもが完全に変わってしまったという直感だけが、強く心に残っている。
ユイの家。
リビングにある大きなガラス扉からは、徐々に暗くなり始めた住宅地が見えていた。
寂しい、と思った。
けれども、このユイと一緒に居る間だけは、そのどこか色褪せたような感じを忘れることができる。
…いや、忘れることができると、私は信じたかった。
そう、だから、私は…。
そうやって本当にそうかどうなのか、分からないそれを、本気でそう思い込むことにした。
ふと、気が付く。
すると私の隣に座っているユイが、じっとこちらを見ていた。
「アイリ、冷蔵庫の残りモノのチャーハン。美味しいね。」
「そうね。卵を入れたから、ふんわりしているし…。」
まるで普段の夕食のように振る舞おうとする。
けれども、何か世界が終わってしまった後かのような、雰囲気は完全に消えることはない。
私は、テレビを見た。
そこでは、笑顔のタレントたちが談笑していた。お笑い芸人やコメンテーターたちが、どこにでもある話題でやり取りを繰り広げていく。
チャーハンを口に運びながら、私も画面に目を向けた。
出演者たちは、とあるアイドルグループのメンバーと、その近況について話し合っているようだった。
私はあまりこの番組を知らないけれど、多分、よくある感じの番組なのだろう。
「あはは。」
ユイはニコニコと笑っている。軽い話題に表情を和らげていた。
突然、画面が切り替わった。
どこかのスタジオが映し出された。ニュース番組のような雰囲気。
そして、緊急放送であることを告げるかのような電子音が瞬間的に鳴った。
その青っぽい背景の中で、歳を重ねたアナウンサーが映し出された。
「緊急のお知らせを申し上げます。」
男性アナウンサーは、特別なニュースを伝えるはずなのに、異様に落ち着いた調子で話し始めた。
「近日の失踪事件に関する注意喚起です。」
まるで天気予報を伝えるような、あまりにも淡々とした口調。
「各地で報告が相次いでおります。失踪者が急激に増加している模様です。」
ニュースが続いていった。
その臨時番組の様子は、どこか感情が欠落したかのような感じで、朝のニュースを澱みなく読み上げているのとは、何かが決定的に違う気がした。
まるで機械が放送しているかのような、とても異質な感じがするのだった。
共通することがあるとすれば、世界が終わってしまっているかのような雰囲気。
その時、ユイが私の腕を掴んできた。その手に力が込められている。
それで私はふと意識をニュースへと戻した。
「一人でいることは避けてください。できる限り、近くの人と一緒に過ごしていただけますようお願いいたします。」
アナウンサーの言葉は、まるでマニュアルを読み上げているかのよう。
「繰り返します。屋内で待機してください。決して一人で外出しないでください。繰り返します。屋内で待機し、一人でいないようにしてください。」
その淡々とした語り口は、これから起こる、何か…。その全てを諦めさせてしまうかのように感じてしまう。
見ると、隣にいるユイの表情が恐怖に染まっていた。
「なお、各都道府県で報告された失踪者の数は、以下の通りです。」
アナウンサーは、まるでデータを読み上げる。淡々とした様子で、地域ごとの数字を列挙していった。
「数値は定期的に更新されます。このたび、最新の情報をお知らせいたします。」
そう言って、同じ内容を、もう一度読み上げ始めた。まるで時報のように、延々と同じ内容を繰り返していく。
その番組をぼんやりと、私は見ていた。
と、そのとき、その放送が途切れた。
静まり返ったリビングに我に返った。
ユイの手には、テレビのリモコンがあった。
どうやら、テレビの電源をユイが切ったらしい。
「もう、怖くて見てられない。」
ユイは、テレビのリモコンをテーブルの上に置いた。
私は黙って頷いた。
「アイリ、この放送って、なんなの?私、もう意味わかんない。」
泣きべそを浮かべて、ユイは弱音を私にぶつけてきた。
私は返事に詰まった。あの異様な放送内容は、まさに私たちが体験していることと符合している。
失踪事件。
そして、完全に世界が終わってしまったかのような雰囲気。
私の腕にしがみついてきたユイの力が、さらに強くなっていた。
「それに、あの数…。」
ユイは、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「どうして、こんなことになっているの? お母さんも、お父さんも、アイリのお母さん、お父さんも…。」
私は、泣きじゃくり始めたユイの肩に手を置いた。涙をこらえながら、彼女は続ける。
「嫌だよ…。私たちも消えちゃうの?」
ユイが、私の腕にしがみついた。肩が小刻みに震えている。
「もう、私たちしか残っていないんじゃないかって…。」
「そんなことないわ。だって、テレビの中には、アナウンサーの人がいたでしょう?それに番組が流れているということは、カメラを動かしている人なんかもいるはずだわ。」
私は強がった声で言った。
「アイリ、もうテレビは見たくない。あんな放送、もう見たくないよ。」
私は、黒い画面を見つめながら、頷くことしかできなかった。
「私、もう一人になるのはイヤ。消えたくない。アイリまで消えちゃったら…。」
私は黙ってユイを抱きしめた。私も同じ不安を抱えていた。この状況がどうなっていくのか、私にも分からない。
「大丈夫よ。ずっと私は一緒にいるから。」
私は、ユイを宥める。
正直、私も泣きたい気分だったけれど。
私が崩れてしまえば、全てが決定的に終わってしまう気もして。
ユイから視線を外した。
テーブルの上の料理が見えた。それら料理は、すっかり冷めていた。
冷めたチャーハンと、半分も食べられていない野菜炒め。
「ユイ、少しは食べましょう。」
私は、ユイを着席させる。ゆっくりと動かすと、ユイもそれに従ってくれた。
そして、再び、私は箸を手に取った。ユイも私に釣られるように、箸を持つ。
冷めた料理を、二人で無言のまま口に運んだ。
無言。リビングは静まり返っている。
何か話しかけようとした、その時だった。
音が聞こえた。
スマホ、そして、聞きなれない電子音。
いや、それらは電話の音だった。
「えっ?」
ユイが戸惑っている。
というのも、着信しているのは、ユイと私のスマホ。
そして、リビングの電話への着信。
静まり返った家の中に、三つの音が重なり合った。
私とユイのスマホとユイの家にある電話へ同時着信。
とても、まともな状況だとは思えない。
「アイリ…。」
隣に座っているユイが、再び、私の腕を掴む。
その間も、リビングにある電話、そして私たちの二つのスマホ。全てが同時に鳴り続けていた。
確認しなきゃ。
私は、とっさに、自分のスマホの画面を見る。
しかし、そこには見慣れない番号が表示されていた。
「知らない番号よ。」
私は画面を見つめていた。
「出ない方がいいよ。」
ユイは震える声を上げた。
「怖い…。全部同じタイミングで…。」
私も迷った。三つの通信機器が同時に鳴るというのは、明らかに異常だった。
けれど、もしかしたら両親からかもしれない。
「でも、確認しないと。」
私がスマホを操作しようとすると、ユイが腕にしがみついてきた。
「アイリ、怖いよ。」
けれど、私は通話ボタンを押した。
耳元から、緊急放送と同じような機械的な音声が流れてきた。
「ただ今より、緊急のお知らせを申し上げます。」
「アイリ、もうやめて!」
ユイが叫んだ。
「ユイ!」
私の声も届かないかのように、ユイは勢いよく立ち上がると、真っ先に壁のコンセントから電話の電源を引き抜いた。リビングの電話が一瞬で沈黙した。
「もう、聞きたくない!」
ユイはそのまま、自分のスマホの着信を切った。
すると、私のスマホから流れて続けている『緊急のお知らせ』が、やけにはっきりと聞こえた。
「アイリ!」
ユイは叫ぶかのようにそう言って、私のスマホを奪い取るように手に取ると、その通話を切った。
リビングは再び、静まり返った。
じっと、私はユイを見た。
私のスマホを手にしたユイが、私のそばで立っていた。彼女は肩で呼吸をしていて、粗い呼吸が聞こえた。
ちょっとしたパニック状態なのかもしれない。
私はユイの心を落ち着かせよう、と思った。
「ユイ。座って?」
「あっ、うん。」
ユイは、私の隣に再び座った。
私の指示に催眠術でも掛けられたかのように従った。
その座礁したような、疲れた様子。
元気な彼女には似合わないように思えたけれど…。
どこか、この今の終わってしまったかのような世界には、それがふさわしいように感じてしまった。
「あっ…。ごめん。アイリ。はい。これ…。」
我に返った様子のユイは、私のスマホを渡してきた。
「いいのよ。ユイ。ありがとう。」
反射的に私は、そう言ったけれど。
これからどうやって、ユイを宥めようかと思案したときだった。
その瞬間、私たちのスマホに一斉に通知が届き始めた。
私は、スマホを見た。
『緊急速報 各地域別失踪者数』
メッセージが届いていた。
「こんなの、おかしいよ。」
ユイは、泣きそうな表情で、手にしたスマホの電源を切り始めた。
そんなユイに合わせて、私もスマホの電源を切った。
電源コードが繋がっていない電話機と、真っ暗になりつつあるスマホ。真っ暗なテレビ。まるで全てを拒絶するかのように見えた。
そう世界のすべてを。
そうでなければ、一瞬の油断で、そこから世界の終焉が一気に流れ込んでしまう気がして。
色褪せたような、終わりが私たちの間に満ちてしまうかのような。
「どうして私たちが、こんな目に遭わなきゃいけないの?」
ユイの声が、静寂に包まれたリビングで小さく震えていた。私は黙って、隣にいるユイを見つめることしかできなかった。
「私、もうこんなの、見たくない。」
ユイの声は、悲しみに満ちている。
「だって、それじゃないと…。次々と、人がいなくなっていくの。見たくないよ。」
ユイの声が途切れた。
「見てないことにすれば、何もないことにできるんじゃないかって。アイリは…アイリは怒ってる?」
ユイの目には涙が滲んでいた。私は首を横に振った。
「怒ってないわ。私も、もう見たくなかったから。」
私の言葉に、ユイの肩の力が少し抜けたようだった。
「ごめんね。アイリのスマホまで…。」
「いいの。今は、そうする方がいいと思う。」
静寂が部屋を満たしていく。まるで外の世界と完全に切り離されたかのような感覚。
けれど今は、それが私たちにとって必要な選択だと強く思った。
それから、私たちはぎこちない夕食を終えて…。
身支度を整えることになった。
それは、日常を過ごすための行動だった。
でも、よくよく考えれば、明日、学校に行けばいいのかすら分からない。
少なくとも、ユイの家の電気は通じているし、水も流れている。お風呂を沸かすこともできた。
当面の問題はなかった。
ただ、間違いなく、この世界の何かが完全に終わってしまったのだと、感じていた。
それを私もユイも口に出すことはしなかったけれど。
そう感じていた。
だから、私たちは常に一緒に行動した。
この狭い家の中であっても、それは小さな子供じみたものだったけれど。
もしかしたら、目を離した一瞬でいなくなってしまうかもしれない。
そんな状況では、やむを得なかったのもしれない。
そして、時間もいい時間となり、私とユイは、ユイの部屋へと移動していた。
ユイと会話こそするものの、やっぱりユイは本調子じゃない。
私もそれは知っていて、適当な会話を続けるのだけれど。
やっぱりどこか、人がいなくなった後のような雰囲気があって。
それが拭いきれなかった。
ベッド。勉強机。そして小さな背の低いテーブル。クローゼット。化粧台。
「ユイ、借りるね。」
「うん。」
私はそう言って、化粧台の前にある椅子に座った。
鏡に映る自分の姿を見た。そこには疲れがあるように思えた。
もっと元気な表情を作るべきなのかもしれない。
けれども、この状況ではしょうがない。
ふと、振り返ると、窓の外が見えた。
夜空。でも、そこには月や星々が見えなかった。
どんよりとした、曇り空なのだろう。
その暗闇の向こうに何があるのか、私には分からなかった。
「アイリ…。」
ユイがベッドの上に腰を掛けて、私を見ていた。
「なに?」
「今からさ、一人で眠るのが怖いの。」
弱々しい声だった。
「眠っちゃったら、そのまま、一人になっちゃう気がしてさ。」
私は何も言えなかった。
「アイリ。私、怖いの。」
「分かったわ。ユイのベッドで、一緒に寝ましょう?」
私の答えにユイは頷いた。
その様子はまるで小さな子どものような感じだった。
「うんそれじゃあ、もう寝る?」
ユイはベッドの中に潜り込み、私のためにスペースを空けてくれた。
私も机を離れ、ベッドの中へと入る。ユイの体温が近くで感じられた。
「ねえ、アイリ。」
「何?」
「私たち、今までみたいに、また普通に戻れると思う?」
その問いに、即座には答えられなかった。私たちの見てきたものが、本当は何なのか。これから何が起きるのか。それらの答えが、どこにもないことが分かっていた。
「きっと…大丈夫よ。」
私の声は、自分でも空虚に響いた。
「私も、そう信じたいな。」
ユイの声には、深い疲れが滲んでいた。
私たちはそのまま、部屋の照明を落として寝ることにした。
真っ暗になった部屋。
私は、黙って天井を見上げていた。
窓の外からは、かすかに街灯の明かりが差し込んでいた。
脳裏には、これまでのことが浮かぶ。
あの廊下で見た幽霊のこと。クラスメイトの失踪のこと。そして、両親の不在。
それらすべての意味は、なんなのだろうか?
真実は、私たちが知りたくないものなのかもしれない。
けれども、それを知る必要はあるのだろう。
そんなことを考えているうちに、隣でユイの呼吸が規則正しくなってきた。
疲れ果てていたのだろう、彼女は眠りに落ちていた。
私も目を閉じる。
けれど、この夜が明けた時、世界は一体どうなっているのだろう。その不安を抱えたまま、私も意識が遠のいていくのを感じた。
◇
目が覚めた時、外はうっすらと明るくなり始めていた。
ふと、違和感を覚えた。部屋の隅に、何かがいる。
それに気が付いたとき、自然と部屋の隅に視線が引き寄せられた。
何か、ではなかった。誰かがいる。
ユイは、私の隣で寝ている。
誰だ?
私は目を凝らした。
そして、その瞬間、息が止まった。
セーラー服を着た人。長い黒髪が背中まで伸びている。図書室で見た、あの女子生徒だった。
思わず目を閉じる。恐怖で動けない。
しばらくして、私は勇気を振り絞って目を開けた。
すると、その女子生徒は消えていた。
けれど、部屋全体が赤褐色の色に染まっているように見える。まるで記憶にある過去の風景のような、生気のない色調が染み出してくるかのようだった。
「アイリ?」
ユイの声が、不安げに響く。
「どうしたの?」
「いいえ、何でもないわ。」
私は嘘をついた。でも、ユイにもこの異変は伝わっているはずだった。部屋の空気が、確実に変化していた。
いや、もしかしてこの雰囲気を感じているのは…。
あの女子生徒を見てしまった、この私だけなのだろうか?
私は静かに起き上がった。体を動かすたびに、異様な重さを感じた。
まるで水中で動いているような、緩慢な感覚。
「ユイ、着替えましょう。」
私は立ち上がろうとしたとき、不意に化粧台の鏡に目が留まった。角度によって、私の姿が見える。
昨日までと同じユイの部屋と、そこにいるいつもの私。
けれど、その鏡の世界を通して、何か見てはいけないものを見てしまう気がする。
いや、すでに私は見てしまったのかもしれない。
先ほど見た、セーラー服の女子生徒が脳裏に浮かぶ。
私は鏡から目を逸らした。
今の映り込みは見なかったことにしよう。
単なる錯覚だと。そう思い込もうとしても、不安は消えなかった。
無言のまま、私たちは着替え始めた。
「ねえ、アイリ。」
ユイが制服のボタンを留めながら、声をかけてきた。
「学校には行かない方がいいかな。」
私は動作を止めて考えた。北校舎のあの階段、部室での出来事。
「そうね。今日は学校を休んだほうがいいかもしれない。」
話をしながらも、この選択が正しいのか確信が持てなかった。
けれど、今の状況で学校に行くことは、さらなる恐怖と向き合うことになるような気がした。
制服に着替え終わった私たちは、再び部屋を見回した。
朝日が差し込んでいるはずなのに、どこか薄暗く感じる。
ただ、今のこの瞬間にも、どこか世界の変調が、徐々に強くなっているように思えた。
「でも、アイリ。このまま家にいても…。」
ユイの言葉が途切れる。
確かに、このままユイの部屋にいたところで、状況は良くならないかもしれない。
むしろ、先ほどの女子生徒の幻を見てから、徐々に悪化して言っている気がした。
「どこかへ行きましょう。人がたくさんいる場所なら…。」
私の提案にユイは頷いた。人のいる場所なら、少しは安心できるかもしれない。けれど、本当にそうなのだろうか。昨日のテレビの放送を思い出す。失踪者の数は刻一刻と増えていた。
「駅前の商店街とか…?」
ユイの声は弱々しかった。
「そうね。着替えが終わったら行きましょう。」
私は鞄を手に取りながら言った。
そしてその時、思わず、窓の外を見た。
住宅地の風景が広がっている。整然と並ぶ家々。
けれど、ここには世界の終焉を迎えてしまったかのように、人の気配が全くしなかった。
「アイリ?」
ユイの声に我に返る。
「ごめんなさい。ちょっと考え事を…。」
私は言葉を濁した。この不吉な予感を口にすることが怖かった。
まるで、それを言葉にした瞬間に、何か取り返しのつかないことが起きてしまうような。
そんな気がした。




