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終焉の十三階段  作者: 速水静香


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第五話:不在

 私とユイは一緒に帰路についていた。

 もう日は沈みかけていて、あたりはオレンジ色に染まっていた。

 周囲は、新築の家々や集合住宅が整然と並んでいた。


 私とユイの家があるのは、同じ新興住宅地だった。

 だから、しばらくは同じ道を歩く。


 ただ、私もユイも言葉数はいつもよりも少ない。

 あの図書室での出来事が原因だろう。


 住宅地の中を歩きながら、私は時折、周囲を見回していた。

 何の変哲もない住宅地なのだけれど。

 けれども…。


 あの色褪せた世界。決定的に何かが終わってしまった感じ。

 実のところ、その感じは今も微かにある気がする。

 でも、どこかある微かな違和感を、私たちは互いに気付かないふりをしていた。


「私はこっちだから。」


 ユイが立ち止まって、そう言った。


 …ああ、もうここまで来ていた。


 そうだ。私とユイは、ここから先は別々の道へと分かれるんだ。

 ユイは不安そうに、私の顔を見ていた。


「じゃあ、また明日ね。」


 私はそう言った。ユイもそれ以上、何も言ってこなかった。

 私たちは、何かに気が付いていた。

 だけども、それを口に出すと、急速にそれが悪化するような気がして…。


 結局、何も言えずに、私たちは分かれた。


 私は、一人で自宅へ帰る。

 正直、心細かった。

 普段なら気にもしない住宅地の静けさが、今は不気味に感じられた。


 私の家は、周囲と同じような木造二階建て。白いモルタルの壁に平たい陸屋根。日当たりの良い、ごく普通の一軒家だった。


 玄関の前に立って、ふと我に返った。家の中から、いつもなら聞こえるはずの家族の気配がまったくしない。

 今日、この時間なら、お母さんはバイト先から帰宅しているはず。


 玄関のドアを開けた。


「お母さん?お父さん?」


 声が虚しく響き渡る。不安なほど静まり返った家の中。


「ただいま。」


 私は玄関の戸を閉める。


 返事はない。

 いつもなら、少なくとも母はいるはずだったのに。


 玄関の床に靴はない。

 というのは、外出していることを意味する。

 それは、何かがおかしいように思えた。

 その根拠はないけれど、何か確信めいたもの。


 もはや、私の両親は…。


 その場でスマホを取り出した。

 メッセージでは確認が遅くなる。

 母へ電話にかけた。


 それほどまでに、切羽詰まった状況だと感じていた。


 電話が呼ぶ音がずっとずっと、鳴る。


 だめだ、つながらない。

 そのまま、私は電話を父にかけた。


 でも、つながらない。


 心の中が重くなった。

 もし何かあったら、私はどうすればいいんだろう?


 心なしか、周囲の勇気が徐々に色褪せてきているように感じた。

 と、同時に私の心にも揺らぎが生じた。


 こんな弱気ではだめだ。

 そう思うことで、私は、とりあえず意識を玄関に戻した。


 玄関から、家の中に上がり込む。

 廊下を通り、リビングへと向かう。


 リビングに入ると、窓から差し込む夕暮れの光が、何も変わらない部屋の様子を照らしていた。

 テレビの前のソファ、ダイニングテーブル。キッチンの様子が見える広い空間。母によって頻繁に掃除されて、清潔な空間。朝から何も変わっていないはず。それなのに、人の気配が欠落している。

 いや、それ以上にあるのは、どこか全てが終わってしまったかのような、そんな雰囲気だった。

 その雰囲気は微弱で微かなものだったけれど。

 学校のあの光景を見てから、今に至るまでずっと、ずっと消えていない。


 私はスマートフォンを握りしめたまま、茫然とリビングの中央に立ち尽くした。

 誰もいない、リビング。


 キッチンを見た。

 そこはきれいに片付いていて、料理の支度をした形跡がない。

 そこからは、母が料理をしていた気配さえ感じられなかった。


 私はもう一度、母に電話をした。

 スマホは手に馴染んだ。そして、私の不安な気持ちを表すかのように発信を続けた。

 

 いつまでたっても、母は電話に出なかった。

 もちろん、メッセージに既読などつかない。


 私はそこで、警察に通報することにした。

 110。

 3つの番号を押すのは、ちょっとだけ躊躇したけれど。

 今の状況は確実にピンチだ。


「はい、警察110番です。事件ですか、事故ですか?」

「あの、両親の行方が分からなくて…。」

「ご家族の方が行方不明だということですね。」


 オペレーターの声は、事務的な調子だった。


「はい。両親が帰ってきていなくて、電話も繋がらないんです。」

「お住まいの地域はどちらですか。」


 私は住所を伝えた。


「あなたは娘さんということでよろしいでしょうか?」

「はい。」

「えっと、最後に両親と連絡を取ったのはいつですか?」

「今朝です。学校に行く前に会っています。」

「お母様、お父様のお名前と年齢を教えてください。」


 私は両親の情報を伝えた。


「はい、把握いたしました。」


 オペレーターの声からは、冷淡さしか感じなかった。


「ご両親のご勤務先は?」


 私は父の会社名と、母のパート先を答えた。


「両親の勤務先にも連絡を取ってみましたか?」

「まだ、です。」

「そうですか。では、ご両親の勤務先に連絡を取ってみてください。」


 一瞬の間があった。


「お話を伺う限り、それだけでの捜索は難しい状況です。ご両親の勤務先に連絡を取っていただいて、それでも連絡が取れない場合は、明日、改めて警察官が伺わせていただきます。」

「でも…。」

「今は暗くなってきていますし、ご自宅で待機していただくのが安全かと思います。もし、この後ご両親と連絡が取れましたら、すぐにご一報ください。」


 私の言葉を遮るように、オペレーターは話を進めた。


「はい…。」


 私の声は、弱々しく出た。

 通話が終わった。


 私は電話を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。

 オペレーターの対応は、非常に冷たかった。 


 ただ、私は先ほどの会話通りに、父の会社に電話をかけた。

 スマホに登録されていたそれ。

 会社なんて名前だ。


 連絡をしても、繋がらない。

 その代わりに営業時間が終わっている、という内容の自動応答の声が流れるだけだった。


 気を取り直して、母のパート先にもかけてみた。

 スマホに登録していた番号から、電話を掛ける。


 電話の呼び出し音は、延々と続いた。

 いつまでたっても誰も出ない。自動応答の声すら流れてこない。


 まるで電話先には、もはや誰もいないかのように思えてしまう。


 私はスマホを操作して、もう一度、かけ直した。

 でも、何度やっても同じように呼び出し音が虚しく鳴り続けるだけだった。


 思わぬ疑問が頭をよぎった。


 もしかして、母だけではなく、母が働いていたスーパーマーケットで働く人たちが全員、消えてしまったのだろうか?

 そして、父の会社の人たちも。


 そこにある電話機が人のいない中で、淡々と動いているだけなのだ、と。


 思わず、私はそれを想像してしまう。

 昨日まで、確かにそこに人がいたはずなのだったのに。

 今となっては、誰もいない空っぽの建物が残されているのだろうか、と。


 私は連絡先リストを見つめた。

 親戚の番号がある。でも、なぜか電話をかける勇気が出なかった。


 リビングのソファに座り込む。

 両親の不在を改めて実感させる静寂が、部屋全体を包み込んでいた。一人でこの家にいることが、急に恐ろしくなってきた。


 誰かに相談しなければ。

 そう思って、私は再びスマホを見つめた。


 ユイ。


 ユイなら、きっと分かってくれるはず。

 図書室で見たもの。あの異様な光景を共有している唯一の存在。


 私はユイの番号を押した。

 呼び出し音が二度鳴った後、すぐに出た。


「アイリ?」

「ユイ、大変なの。お母さん、それにお父さんが居なくなっちゃったの。」

「え?」


 驚くようなユイの声。


「あっちこっちに電話をしても連絡が付かないのよ。それで、さっき、警察にも連絡をしたんだけど…。その…。」

「アイリ。それは大変だね。そっか…。」


 何かを思わるように、ユイはそこで言い淀んだ。


「アイリ。実はね、私のお母さんも帰ってきてないの。それで今、私も不安だったの。」


 ユイの言葉に、私の脳裏が真っ白になった。


「そうなの?」

「うん。今のアイリの話を聞いてさ、不安になっちゃった。」


 ユイの声が弱々しい。


「ユイ、私、あなたの家に行ってもいい?」

「うん。アイリ、来てよ。私も一人は怖いから。」

「ありがとう。今から行くね。」


 私は電話を切った。

 そして、慌てて自室へと戻る。


 そこで私は、素早く鞄へ着替えを詰め込んだ。


 一刻も早く、ユイの家に向かうのだ。

 今の状況では、一人でいることが、とても危険な気がした。


 鞄に着替えを詰め込み、慌てるように玄関を飛び出す。


 一人でこの家に居たくない。

 このどこか、色褪せつつある世界から逃げたい。

 その一心で、私は、鞄を持って玄関を出た。


 自分の家から少し離れた住宅地の中を歩いていく。

 その間も、思考は堂々巡りを始めている。

 動画のこと、失踪事件のこと。図書室で目にした女子生徒たち。

 今でも微かに感じる、朽ちていくような赤褐色の世界。そして、世界が終わっていくような感覚。


 その全てを考えたくなかった。けれど、それらが私の脳裏に巻き付くように深いところから疑問が情景がフラッシュバックしていた。


 思わず頭を振って、嫌な考えを振り払う。

 さらに、逃げるように私は走る。


 走って、走って…。

 住宅地を駆けていく。


 やがて、ユイの家が見えてきた。

 木造二階建ての新築の家。その真っ白な壁と、平たい屋根。

 ユイの部屋は二階にあって…。道に面した庭は、真新しいコンクリートで舗装されている。

 モデルハウスのような雰囲気。

 これまでに何度か訪れたことがある、そんなユイのお家。


 それが夕暮れの空の下にくっきりと浮かび上がっていた。

 家に近づいていく。


「アイリ!」


 窓から、ユイが私に向かって手を振ってきた。私は安堵する。

 不安な気持ちは、完全に消えなかったけれど、友人の姿を見るだけで、少しだけ心が落ち着いた。


 玄関のドアが開いて、ユイが私に向かってきた。


「ごめんね、こんな遅くに。」

「いいよ。私も一人は嫌だったから。」


 ユイの言葉。

 それはどこか、力がなかった。


 そんなユイへに、『お母さんは?』とは、私は聞けなかった。

 だって、おそらく…。


 私は視線を、ユイから周囲の玄関に移した。


 夕暮れの光が、玄関を照らしていた。

 ユイと私以外に誰もいない家の中は、深い静けさに包まれているように感じた。


「ユイ、上がらせてもらうね。」

「うん。アイリ、そこの段差に気を付けてね。」


 ユイが小さな声で言った。

 普段から何度か来ていた家なのに、今は全く違って見えた。

 玄関。静まり返った廊下。なぜだろう、全てが別の場所のように異質だった。


「先に私の部屋で待ってて。お茶を淹れてくるから。」


 私は頷いて、ユイの部屋へと向かう。

 階段を上がり、二階の廊下を進むと、開け放たれたドアの向こうに部屋が見えた。


 ユイの部屋。


 ベッドや壁沿いに置かれた大きな勉強机が見える。ちなみに勉強机に備え付けられている棚には、マンガしかないところがユイらしい。

 そして、部屋の中心には背の低い、円形のテーブル。他には、化粧台、クローゼットがある。

 女子高生としては、ごく普通の部屋の雰囲気だ。


 その部屋に入る。

 私は部屋の中心に置かれた、円形のテーブルの周りに座った。

 ちゃぶ台のような感じ。

 だけども、ユイの部屋のカラーにあった、それ。


 ユイの部屋に来ると、このテーブルの周囲に座って、話をするのが定番だった。


 窓の外に目をやる。街灯が少しずつ点灯を始めていた。


 不意に、胸の中に不安が広がる。

 私の両親も、クラスメイトも、そしてユイの両親もおそらく…。

 次々といなくなってしまった。


 これから一体、どうなるんだろう?

 不安が私を包み込んでいた。


「お待たせ。」


 ユイが二つのマグカップを持って部屋に入ってきた。温かい紅茶の香りが、少しだけ私の気持ちを和ませる。


「ありがとう。」


 私は差し出されたマグカップを受け取った。

 ユイが私の隣に座った。


 マグカップを手にした私。

 部屋の中に、静けさが満ちる。


「ねえ、アイリ。」


 ユイは、おずおずとした様子で切り出した。


「私のお母さんとお父さんも、居なくなっちゃった。」


 予想できた言葉。


「ユイのお父さんも?」

「うん。連絡が取れないの。」


 ユイからは、いつもの元気が消え失せていた。


「警察に電話したの?」

「ええ。でも、取り合ってもらえなかった。アイリと同じだよ!」


 ユイは、話を続けながらも、ポケットからスマホを取り出して、小さなテーブルの上に置いた。


「あのさ、アイリが来るまでさ。SNSを見てたんだけど、失踪事件が各地で起きてるみたいなの。まるで、人がどんどん消えていってるみたい。」

「え?」


 私は思わず声を上げた。

 私は、自分のスマホを取り出した。


「アイリ。#失踪とかで調べてみて?」

「うん。」


 私はユイに言われたとおりに、見て見る。

 確かに、タイムラインには不安げな投稿が溢れていた。連絡が取れないという報告。突然の失踪。


「アイリ、これって…。」


 ユイが言いかけて、口ごもった。


「図書室で見たこととかさ、関係あるのかな…。」


 その言葉が、私の中の不安を再び、具現化させた。セーラー服の女子生徒たち。そして、あの色を失っていく世界。

 説明のつかない事象が、次々と起きている。

 私たちの知っている世界が、少しずつ終わっていく予感が頭をもたげてきた。


「アイリ、私たち、どうしたらいいの?」


 ユイの声が、自然と小さくなっていた。


 彼女もまた、私と同じ不安を抱えているのだと分かった。

 窓の向こうでは、街灯がいつもと同じように点灯している。

 でも、その光が届く範囲の向こうは、普段より暗いような気がした。


「ねぇ、ユイ。今夜は一緒にいましょう?」


 私は、自分に言い聞かせるように提案した。


「うん。」


 ユイが頷いてくれた。

 私たちは、お茶を飲みながら黙り込んでいた。ユイの部屋の静けさが、二人の不安をさらに大きくしていく。


「ねえ、アイリ。」

「何?」

「私、怖いの。お母さんもお父さんもいなくなって、クラスの子もいなくなって。それに、学校で見たあの子たちのこと。」


 ユイの声が震え始めた。


「あの子たちは、私たちに何か伝えようとしてたのかな。それとも、私たちも連れて行こうとしてたのかな。」


 ユイの目から、涙が溢れ出した。


「やだよ。私、消えたくない。アイリと離れたくない。」


 彼女は机の上で顔を伏せ、肩を震わせ始めた。涙で染みたユイの声が、部屋の中で小さく響く。

 私は、ユイの隣に寄り添った。


「大丈夫よ。私がついているから。」


 そう言いながらも、私の声も不安定だった。世界中で人々が消えていく中、私たちにできることは何もない。ただ、互いの存在を確かめ合うことしかできない。


「アイリ、約束して。私のそばを離れないって。」

「約束するわ。」


 私はユイの背中をさすりながら、答えた。けれど、この約束を守れる自信はなかった。

 窓の外の世界は、着実に色を失っていっている。この部屋さえも、いつまで安全な場所でいられるのか分からない、そんな気がする。


「ねえ、アイリ。私たち、最後まで一緒にいられるよね?」


 ユイの問いかけに、即座には答えられなかった。私も同じ不安を抱えていたから。


「きっと大丈夫よ。」


 私は、強がった声で答えた。

 私の中では、その言葉が空虚に響くのを感じていた。


 けれども、そんな私の強がった態度でも、ユイは泣きじゃくるのを止めて、私の腕にしがみついてきた。


「ねえ、アイリ。お腹すいたよ。夕食にしよ?」


 いつもと変わらない声音で、ユイが言う。私は微笑んで頷いた。


「そうね。何か作りましょうか。」

「うん。冷蔵庫に食材あるはずだから。」


 私たちはキッチンへと向かった。

 もちろん、ユイは私にぴったりとくっついてきた。

 私も、そのユイを心強く思った。

 

 今、一人になってしまうと、この色褪せた世界に取り込まれて…。

 私も消えてしまう、そんな気がしてならなかったから。 


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