おじいちゃん
愛おしさってなんだっけ?最近、なんだかよく分からない。頭で考えなきゃ分からないことだっけ?
一番大切な人を失ってから、私には愛おしさなんて感情を持つこともなくなっていた。
あれからどれだけの時間が経ったのだったろうか――。
朝一番に家を出ると、傷一つない真っ新な雪景色が世界のすべてに広がっている。歩くのがもったいないくらいにきれいに降り積もった雪に、私は、遠慮がちに足を踏み入れる。そして、傷ついてしまった雪原に、恐縮しながら私は学校へと向かった。
最大級の寒波が今日本を襲っているらしい。恐ろしく冷たい風が私の肌を刺す。痛いくらいの寒さがこの街にもやって来ていた。
「雪・・」
雪が降って来た。大粒のぼた雪が、舞うようにして、冷たいコンクリートの街をさらに寂しく冷たく染めていく。
「・・・」
あの町では当たり前だったこんな寒さを通して、私はあの町を思い出す。そう、冬は毎日が、冷たい痛みの忍耐だった。
雪が積もれば、喜び勇んで外に飛び出していたあの頃。私にもそんな頃があった。
大人は、いつの間にか礼儀をわきまえてしまっている。
なんで、雪の景色はこんなにも人の心を寂しくさせるのだろう。
なんで、雪の寒さはこんなにも人を切なくさせるのだろう。
なんで、雪の冷たさはこんなにも痛いのだろう。
なんで・・、
なんで、雪の色は、こんなにも白く美しいのだろう。
なんで、雪のやわらかさはこんなにも心地よいのだろう。
音のない世界――。世界が雪に閉ざされている。音の死んだ世界。それは、命のない世界。冷たく閉ざされた世界。それは雪国に生きた人間にしか分からない痛み。
「・・・」
重いぼた雪は積もる。今夜は、この街にも雪が積もるだろう。でも、この街の人はそれを知らない――。
こたつだけの寒々とした簡素な和室で、静かにこたつに入り、ただ向かい合う、私とおじいちゃん。音もなく、会話もなく、しんしんと雪の静けさと冬の寒さだけが漂う薄暗い部屋――。
でも、その時の感じを五感で思い出す時、私は言い知れぬ寂しさと切なさの滲む胸の痛みを感じる。そこには、おじいちゃんがいた。私のこの世界で唯一、純粋に安心して愛することのできる、そして、私を無条件に愛してくれる人だった。
共働きの両親に代わり、私を育ててくれたのはおじいちゃんだった。私はおじいちゃん子だった。私はいつもおじいちゃんの傍にいて、おじいちゃんはいつも私の傍にいた。
冬は海風がとても強く、冷たい。でも、おじいちゃんが隣りにいれば幼い私は何も怖くなかった。
「あんなもん絶対にダメだ」
おじいちゃんはいつも言っていた。おじいちゃんは漁師だった。学校にもほとんど行かず、幼い頃から漁に出てずっと魚を獲っていたような人だった。
原発立地計画には最初から一貫して反対していた。何があっても絶対に反対し続けた。どんなに周囲の人々に説得されても、絶対にうんとは言わなかった。
「海さえあれば生きていける」
おじいちゃんは、よくそう言っていた。
「自然があれば生きていける。人間はそれを絶対に忘れちゃいけねぇ」
おじいちゃんは知っていた。原発の危険性とその胡散臭さを――。
小さな町だった。その町に、国のお偉い役人さんや学者、専門家、テレビに出ている有名人、政治家たちが入れ替わり立ち替わりたくさんやって来て、いかに原発が安全で、すばらしく、すごいもので、この町を豊かにし、町民の暮らしをすばらしく変えるかをこれでもかとしゃべっていった。そこにはバラ色の未来があった。いつしかそんな未来に、町の人たちは酔っていった。
そして、どこからどう湧いて来るのか、たくさんのお金が町に降り注いだ。町の人たちは、毎晩のように飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り返すようになる。そんなことに疎い、子どもの私にでさえそんな噂が聞こえてくるほどだった。そのお金は全部東京電力から出ているという噂だった。
おじいちゃんのところにも、何度も隣近所の人たちや同業の漁師さんたちから誘いがあった。
「全部電力会社持ちだ。いくら食っても飲んでもタダだ。お前も来い」
「・・・」
でも、おじいちゃんは絶対に行こうとはしなかった。
「女も抱けるぞ」
そんなおじいちゃんに、漁師仲間のおじさんはそう言って下卑た笑いを浮かべた。
「魂売りやがって」
誘いに来た近所の人が帰ると、そう、おじいちゃんは一人呟いた。
そして、原発の立地が決定し、みんなが原発マネーと呼ばれるあぶく銭に浮かれ踊って大騒ぎしている時、おじいちゃんは一人、悲しそうな顔をしていた。
原発の立地が決定すると、国からの巨額の交付金や固定資産税が町にドカッと入って来た。それで、小さな町には似つかわしくない巨大な様々な施設が立ち並んだ。豪華な温泉プールに、県内最大級の図書館、世界にも通用するような音楽ホール、小さな町には大き過ぎる公民館・・。
私の通っている学校の体育館も大きくて立派なものになった。その落成式の時、私たちの前で校長は意気揚々と、露骨に東電と原発のおかげですみんなで感謝しましょうと言った。
それらは後に結局、採算も合わず維持費もかかり、町の赤字を垂れ流す大きな負債へと変わっていく。そして、回らなくなった小さな町の財政収支の果てに、次第に、もっと、もっと原発を建ててくれと、今度は町民の方から、国や東電にお願いに行くようになっていった。
「人間はどこまで愚かなんだ・・」
建設されていく原発を見つめながらおじいちゃんが呟いたのを今でも覚えている。その時のおじいちゃんの何とも言えない悲しそうな顔が今でも忘れられない。
そして、事故は起こった――。
猛毒の大量の放射能が、広大な範囲で、人や土地、海、川、畑、田んぼ、ありとあらゆるものに降り注いだ。
前々から、建設前から、ずっと言われていたことだった。津波の危険、地震の危険、ディーゼル発電の設置場所の低さ。全電源喪失の恐れ。
国会でも取り上げられた。
でも、何も動きはしなかった・・。
「大丈夫です」
「危険はありません」
「問題ありません」
彼らは、みなそう言った。
東電の奢りだと、うれしそうに毎晩どんちゃん騒ぎしていた町内会のおじさんたちが、今度は賠償金だと言って、非難した先の都会に大きな家を建てているという。
「おじいちゃんは・・、おじいちゃんは・・」
あの人たちはおじいちゃんに何と言ったのだったか――。
「おめえももう少し利口になれ」
利口・・、利口・・、私ももう少し利口になっていればいじめられなかったのだろうか・・。
おじいちゃんは、集落から孤立し、いつも一人だった。みんなから白い目で見られ、陰口を言われ、嫌われ、意地悪や嫌がらせをされ、露骨に村八分にされた。
「あいつはバカだ」
そんな風に言われていた。でも、私はおじいちゃんが大好きだった。大好きだった。
「おじいちゃん」
両親ですら敵になってしまったこの呪った世の中で、たった一人大好きな人だった。この世でたった一人、何があっても私の味方でいてくれる人だった。
「誠実な人間はみんな貧乏だ。金持ちなんかなる奴はみんなろくでもねぇ」
おじいちゃんはよくそう言っていた。
「人生は苦しい。それでも地に足つけて生きるんだ。人間は地に足つけて生きるんだ。ずるく生きちゃなんねぇ」
「・・・」
「それがまっとうな生き方だ。それを忘れちゃなんねぇ」
そのおじいちゃんももういない。私が高校一年生の時に胃がんになり、最後苦しんで苦しんで、骨と皮だけにやせ細り、痛みを抑えるモルヒネで頭がおかしくなって狂ったように死んでいった。
おじいちゃんは、本当に誠実でマジメで勤勉なやさしい人だった。お金なんかほとんど縁がなく、つつましやかに生き、一生お金持ちとは縁がなかった人だった。そんな人が何であんな残酷な死に方をしなければならなかったのか。
私は不安になる。もしかしたら、薄々気づいていた、この世には、正義も神さまもいないのではないだろうかという、突きつけるその疑念が真実であるという湧き上がる確信。
正義もない、救いもない。私はこの時、幼いながらに見ない方がいい、人の世の真実を見てしまった気がして堪らなく不安になった。
おじいちゃんが生きていたら、なんて言っただろうか。
「だから言っただろう」
きっと、おじいちゃんは満腔の怒りを込めてそう叫んだに違いない。
「海さえあれば生きていける。自然さえあれば生きていける」
その海と自然と、そして、自分たちが先祖伝来受け継いできた土地を、あの町の人たちは永遠に失ったのだ。一時のバカ騒ぎのはした金と引き換えに、お金や言葉に代えることのできない、そんな生きることの根源的に大切なものを、広大な範囲であの町の人たちは、未来永劫、永遠に失ったのだ。