悪い夢
今日も世界は滅びていない。目覚めるたびにそう思う。昨日までの私の現実が今日も続いている。今日も私はあの私で、現実は相も変わらず絶望的なあの現実のままだ――。
もう、永遠に眠っていたい。このまま目の覚めることのない心地よい夢の中に永遠に漂っていたい。
現実こそが、決して目の覚めることのない悪い夢。
もし、世界が二つあって、私の正しい世界と、私の間違った世界があったとして、だから、私は今、間違った世界にいる。
早く正しい世界に私は行きたい。
それが私の望み。
「早く、この私の人生という悪夢が覚めますように」
私は祈る。
時々、私は本当にこの現実は夢なのではないかと思う。目が覚めると、私はクラスで楽しそうに笑う同級生たちと一緒に笑っている。私は普通に学校に通い、普通に友だちがいて、家に帰れば、普通に母がいて、父がいて、姉がいる。当たり前の日常が当たり前に過ぎて行く。私は普通に学校を卒業し、就職し、結婚し、子どもを産んで、みんなと同じ人並みの普通の人生が何の疑いもなく流れていく。
それが本当の私。それが本当の現実。今の惨めな自分は夢の中の私か、何かの間違いなのだ。間違いなのだ。そう、これは間違いに違いない。違いないのだ。
「・・・」
そうでなければ私の人生はあまりに惨め過ぎる・・。あまりに惨め過ぎる――
「これは本当に現実なのか・・」
私は街のど真ん中で立ち尽くす。
それでも、そんな私など誰も目もくれず、私の前を人は流れ、当たり前みたいに何ごともなく街は動いていく。空は今日も青く、太陽は光り輝き、私たちを生きることのために照らし出す。
「これが本当に現実なのか・・」
「こんなことが、本当に私の人生なのか・・」
「私・・」
私は私の現実に愕然とする。
夢であってほしい。私の人生のすべてが夢であってほしい。こんな人生が現実であるはずがない。夢から覚めたら、ちゃんとした私がいる。幸福な私がいる。あれは夢だったんだ。あれは悪夢だったんだ。
これが本当の私。
こんなことが・・、こんな現実が許されていいはずがない・・。
「許されていいはずがない」
私は街の真ん中で震える。
美し過ぎるということは、時に、それは、権力であり、凶器であり、恐怖であった。
いつもの店への道。私と同い年くらいの若者たちのグループが、歩道脇でたむろしている。その前を通る時、私は恐怖に委縮した。
彼らの視線が怖かった。私を見るその視線が怖かった。惨めな私のすべてを見透かす、彼らの視線と笑顔に私は怯える。
否が応でも見せつけられる目の前に繰り広げられる美しく着飾った女の子とカッコよくめかした男の子たち。この世の春を一身に受け、優越に裏打ちされた心の底からの笑顔を武器に、その存在の輝きを周囲に発散する。
絶対に、私が交わることのない壁。私が受け入れられることのない溝。それは、アメリカにおける白人と黒人のそれのような、決して交わることのない、溶け合うことのない疎外を含んだ空気。それは階級であり、身分であり、階層。一億光年先の星よりも距離のある心。それは物理でも、法律でも、まして理屈でもなかった。それは神の法則のように理屈を超えた絶対だった。揺らぐことのない絶対。まごうことなき当たり前。自明的なこの社会での常識。
私はその空気に怯え、彼ら彼女らの前から足早にその場を歩き去った。
「・・・」
今日も待機所に流れる無機質な関係性。ここに生命の息吹はまったくない。待機所に充満するこの剥き出しのコンクリートのような殺伐とした冷たい空気。それだけで、人の心は壊れていく――。
人人人、人の地獄。ここはそういうところ。ここは人地獄。
今日も、男という欲望の求道者たちが、女という人形を求めてやって来る。
「おいっ、客だ」
今日もぶっきらぼうに店長に呼ばれる私。
今日も露骨にがっかりされる私。
今日も卑屈に奉仕する私。
今日も、男たちの人形に徹する私。
でも、私はこんな形でしか、安心できない・・。