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帰宅

 寂しい風が吹いている。心をぎゅっと締めつけられるような風。北から吹く風はなぜいつもこんなに寂しいのだろう。

 私のいた町に比べたら、この街の寒さなど寒さではなかった。でも、北風に吹かれると、妙に故郷の寒さを思い出す。

 痛いほどの寒さ。それをいく数年生きのびて私は今ここにいる。あの町の冬は、過酷だった。ただ、ただ、過酷だった――。


 世界がもし私を憐れむのなら、私はその憐みを睨み返す。そうすることでしか、そうすることでしか、私のとっくの昔に砕け散った自尊心なんてものを保つことなんてできないから。


「・・・」

 まだ虚構のような華やかさの余韻が残る駅前を私は一人歩く。その雰囲気は、私の町で毎年行われていた祭りの余韻に似ていた。ほとんど楽しい思い出もないあの町で、でも、その祭りのあの華やかな雰囲気だけは私は好きだった。


 終電の過ぎたはずの駅の周辺をまだチラチラと、人が歩いている。人の視線は私の弱さのすべてを見透かされているようで怖い。人の目は、私のすべての惨めさを見透かしているようで怖かった。


 深夜のコンビニ。その明る過ぎるほどの光。その中に私の中の満たされない何かを満たしてくれる何かがあるような気がして、私はしきりと店内をうろつきまわる。でも、買うのは結局いつもカップ麺と牛乳プリンだけだった。

「・・・」

 店を出ても、空回りした欲望の虚しさだけが私の心を襲う。

 この街にはありとあらゆるたくさんのものがあるけれど、私の本当に求めているものは何もない――。


 仕事終わり、一人自室で深夜にすするカップ麺の残滓と、食後の牛乳プリンの一口が舌の先でケミカルに混ざり合う、そんな一瞬の科学的な味の表出に、貧しさは、意外とこんなところに感じたりする。


 私はただのメンヘラ女子。それがこの社会の中での私という立場――。


 ただそれだけ。


 本当にそれだけ・・。


 沈むように静かな夜。このまま永遠にどこか知らない世界に沈んでいきたいと、つむった瞼の裏に映る薄ぼんやりとした闇の中で私は思う。

 誰からも愛されなくていい。ただ、思いっきり誰かを愛したい。そんな贅沢な愛を、私は都会の夜の下に夢想する。

 今はとにかく何も考えず眠りたい。私の安穏できる場所。それは私という意識のない世界。


「・・・」


 あの日、私の町は流された。あのおぼろに歪んだ記憶――。

 私にとって憎しみしかない場所だった・・。その世界を構成するすべてのミクロな粒子の隙間に至るまでそれ以外がなかった。

 でも、私は泣いていた。

 そのテレビの向こうの壮絶な光景を見て私は泣いていた。

「ざまあみろ」

 でも、私は泣いていた。絶対に許さない場所だった。絶対に憎み続ける場所だった。でも、私は泣いていた。自分で戸惑うほど、はっきりと泣いていた。


 あれほど夢想した世界の破滅を、今目の前にして私は恐怖する。あれほどに望んでいた、毎日毎日、時間の刻む隙間のその寸暇に絶えず、この世界が壊れますようにと願った私のあの時のあの思い――。


 地球という巨大過ぎる力のうねりの前で、無力に潰されていく人間の営みの儚さに何もできない人間の無力。あまりの力の圧倒に、その目の前の光景を言語化すらできない。ただ茫然と、その目の前の光景をバカみたいに私は口を開けて見つめるしかなかった。


 どれだけの切実が願っても、決して叶えられることのなかったその破壊が、今、目の前にある。


 今、目の前にある。


 でも、それを前にして私は、悲しんでいいのか喜んでいいのか、訳が分からなくて、よく分からなくて、とにかく、私は泣いた――。



 この世界で誰かが必ず傷つかなきゃいけないとして、でも、なぜそれが私なんだ・・?

思春期の不安定は、分からないことだらけだった。


 私には苦しみしかない。なぜならそれが私だからだ。


 徹底的に破壊された自尊心。


 私という物語の主人公は――、つまり、いじめられっ子だった――。


 時系列の錯綜した記憶と感情。

「あれは確かな現実だったろうか・・」

 私は呆然と呟く。


 人間の残酷さはその無邪気さにある。大人になりきらないその精神の幼さから繰り出されるグロテスクな暴力。それは遊びの延長だった。


 遊びだからこそできる人間の残酷。


「泣いちゃえよ。泣いちゃえよ」

 楽しそうに、私を見下ろすニヤついた笑顔たちがしきりと私に向かって言う。

「泣いちゃえよ。泣いちゃえよ」

 みんな笑っていた。

「泣いちゃいなよ。泣いちゃいなよ」

 楽しそうだった。みんな楽しそうだった。

「泣いちゃえ。泣いちゃえ」

 私の全身を圧迫するような言葉が私を囲む。

「泣け、泣け」

「泣いちゃえよ。泣いちゃえよ」

「泣いちゃいなよ。泣いちゃいなよ」

「泣けよ。泣けよ」

「泣け、泣け」

「泣け、泣け」

「うわぁ~」

 私は泣いた。

「ああ~、泣いちゃったぁ~」

 それと同時に、彼ら彼女らの盛り上がりは、まるで男の子が絶頂に達する瞬間のように最高潮に達した。

「あははっ」

 彼らは笑う。

「はははっ」

 楽しそうに。

「泣いた。泣いた。はははははっ」

 本当に楽しそうに、彼ら彼女らは笑う。

「はははははっ」

 手を叩き、体をゆすぶり、その楽しさを全身で表現し、笑う。

「あははははははっ」

「・・・」

 その横で、私は堪らない惨めさに包まれながら、無力にうつむくしかなかった。


 何でこんなに私の人生は悲しいのだろう。


 私の知っている世界は、どこまでも残酷だった。


 ガチャッ、ガチャッ、ギー、バタンッ

 隣りの子が帰って来た。深夜の静寂にけたたましい女の子の笑い声が響き渡る。お店の寮として借りられたマンションの一室。隣りの部屋も同じ職場の女の子だった。

 安普請のワンルーム。深夜の静寂。話は筒抜けだった。

 隣りの部屋の楽しそうな笑い声。

「・・・」

 その壁一枚隔てた場所の隣りで、たった一人、ベッドに横になる私。

 沸き上がる、これ以上ない堪らない孤独と惨めさ。

 何で、ここまで来て、私がこんな思いをしなければいけないの?


 私の生きている世界は、どこまで行ってもやっぱり残酷だった。


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