汝、罪ありき
一人の男が部屋の中で苦しみ続けていた。
大泣きをしては部屋の物に当たり散らし、叫び続けては自分の身体を傷つける。
物を壊し、自分の身体を傷つけ、そしてそうすることで必死に自らの衝動を抑えている男の下に一人の悪魔が現れた。
「どうされたのですか」
男は突如現れた悪魔を見て思わず口ごもる。
反射的に浮かんでしまった想いをどうにか飲み込んで悪魔から目を逸らして言った。
「別に。何でもないよ」
悪魔は無言のまま男の隣に来て座る。
男はちらりと悪魔を見たが、何も言わずに息だけを殺して目を瞑っていた。
「追い払わないのですね」
「うるさいな。黙っていてよ」
悪魔はくすりと笑って言った。
「分かりました。黙ります」
そう言って悪魔は本当に黙り込み、そのまま何時間と男の隣に座り込み続けていた。
男は時々、悪魔をちらりと見つめたが、悪魔を追い払ったりしなかった。
そして、やがて男は悪魔へ言った。
「ウェルドの奴にやられたんだ」
「ウェルド?」
悪魔が問い返すと男は頷いた。
「パーティーの仲間だった奴さ。俺はあいつに良いように使われたんだ」
「一体どのように?」
悪魔の問いかけは優しかった。
男はウェルドに何をされたかを悪魔の様子を見ながら告げた。
それは何年にも渡る二人の付き合いから始まるため、随分と話は長くなる。
故に今回は要点だけを伝えよう。
要するに男はウェルドという人物にずっと手柄を独り占めにされた上に全てのミスを押し付けられ、最終的には偉大なる冒険者ウェルドとその足を引っ張り続けた上に醜悪な心を持つ愚か者という構図にされてしまったのだ。
「手柄を奪われるのはもうこの際どうでもいい! だけど、なんで俺は世間からこんな目で見られなきゃいけねえんだ!!」
そう叫ぶ男に対して悪魔は「うんうん」と頷き、そして言った。
「私ならばそのウェルドとやらをきっと八つ裂きにしてしまうでしょうね」
その言葉に男は思わず息を止める。
そして、胸の奥に溜まった想いを静かに口にした。
「八つ裂きにしたって収まらないさ。細切れにしてやるんだ。あいつが出来る限り苦しむようにしてやる」
「では、ウェルドの大切な人を目の前で殺してやるのも良いかもしれませんね」
「あぁ。あいつの家族も恋人も全員殺してやってもいいな」
会話は続いていき、やがて悪魔は相槌を打つだけで喋っているのは男、唯一人となっていた。
その内容は酷く具体的なもので、まるでレストランでする料理に対する注文のようなものにさえなっていた。
やがて、全て自分の内にある気持ちを言い終えると男はこれ見よがしに悪魔へ言った。
「あくまで僕の願望だけどね」
すると悪魔はにんまりと笑って答えた。
「さようでございますか」
その言葉を最後に悪魔はそのまま姿を消した。
その翌日。
男の予想通り、ウェルドと彼が愛したもの全てが男が話した……いや、注文された通りの凄惨な姿で発見された。
ウェルドに強い恨みを持つ男の下に兵士達が詰めかけたが、彼はありのままの事実を伝えた。
「僕は確かにそういうことを考えはしたが実行なんてしていない」
事実だったし、そもそも男が何かをしたという証拠もない。
よって、このウェルド達の惨殺に対する犯人はついに見つからず迷宮入りの事件となってしまった。
さて、随分と時が経ち男は死に至り黄泉の国へと向かった。
彼は多少の不品行こそあれど悪い事はしていない。
故に死後の国でも天国へ行けるとばかり思っていた。
しかし。
「お前は地獄行きだ」
神にそう告げられて男は呆然とした。
「何故ですか!?」
「知らぬとは言わせぬぞ。ウェルド達のことを」
男は一瞬怯んだが、すぐに神へ対して弁明をした。
「いいえ! ウェルドには私は何もしていません!」
「黙れ!」
神は一喝すると言った。
「お前はあの状況で、あの言葉を悪魔に言って何が起こるか想像がつかなかった……いや、期待していなかったとでも言うつもりか!」
その言葉に男は何も言えなくなってしまった。
事実だ。
男は悪魔が訪れた時から、ずっとそれを期待していたのだ。
黙り込んだ男を見て、神は僅かな間をおいて言った。
「あの悪魔は最も邪悪な悪魔なのだ。お前はそれに愚かにも引っかかった」
項垂れた男に対し、神は小さく息を吐き出して言った。
「だが、ウェルドがお前に成したことを思えば多少の情状酌量の余地もある。獄に繋ぐが必ず解放することを約束しよう」
項垂れたまま地獄へ向かった男はその入口であの悪魔が座っているのを見つけた。
「久しぶりでございますね」
男は即座に目を逸らすとそのままさらに一歩踏み出す。
「おや、つれない反応ですね」
男はさらに唇を噛んで前へ進む。
「この先でウェルドも苦しんでいますよ。あなたとは違い永遠に、それも最も苦しい地獄でし……」
そこまで聞いた途端、男は両手で耳を塞ぐと地獄の中へと駆けこんだ。
これ以上、悪魔の言葉を聞いてしまえば、また心の中で罪を犯してしまうと悟ったからだ。
そんな男の背を見て悪魔は笑った。
「おや。二回目は引っかかりませんか。お利口さん」
おぞましい笑顔のまま男が消え去るのを見届けると悪魔は次の獲物を探しに再び下界へと向かった。