出会いと契約
ライと同じくらい大きな死獣の身体が、目の前に急接近してくる。あぁ、このまま僕は、爪で八つ裂きにされるのだろうか、それとも頭から噛み砕かれてしまうのか。もう助かることはないだろうし、あとは死を待つだけだ。そう覚悟を決めて、目を瞑る。
しかし、ライが次に感じたのは鋭利な爪の感触でも、鋭い牙の感触でもなかった。
ドサッ
「ぐえっ」
死獣は襲い掛かってきた体制のまま、ライに倒れ込んできたのだ。身長だけ見れば、ライと死獣は同じ程度だが、体重では死獣の方がが何倍も重い。ライは死獣と共に倒れ込み、仰向けにとなる。とてつもない重量に押し潰されそうになって、変な声が出てしまう。
ものすごい重圧で、死獣の下から這い出ることもできない。それでも生きているだけマシと考えるべきか、それとも、死獣には捉えた獲物をいたぶる趣味でもあるのだろうか。
死獣のごわごわとした体毛に身体を埋めながら、思考を巡らせる。なんにせよ、自分が死ぬのはもう確定したようなものだ。死ぬなら死ぬで、できるだけ痛くないのがいいのだが。
ヌルッ
生温い液体が首筋を這う。涎だろうか、それとも血液、知らないうちに出血でもしていたのだろうか。
固く閉じていた目を少し開けてみる、目前に死獣の顔が急に現れる。わかっていたこととはいえ、怖いものだ。しかし、その目には正気が宿っていない、手足もだらんと地面に投げ出している。
自分の首を見てみると、赤黒い血で汚れていたが、傷はついていなかった。よく見ると死獣の首元が赤く染まっている。出血しているのは死獣の方のようだ。
「これは死んじゃったかな……、死んじゃってるよね。ちょっと遅かったかな。……どうしよう、結構急いだんだけどな、またレオナになんか言われちゃう」
死獣で死角になっている足元の方から声がする。誰かいるのだろうか、できれば抜け出すのを手伝って欲しいところだが。
「すいません、誰かいますか。ちょっとこいつをどかすのを手伝って欲しいんですが……」
「おぉ、おぉぉ〜、生きてる! よかった〜、これでレオナに小言言われずに済むよ。ありがとう!」
「えっと、この死獣を倒してくださったんですよね。お礼を言うのはこっちの方ですよ、ありがとうございます」
「そっか、じゃあ、どういたしまして」
声の主は、死獣を回り込むようにして顔を覗きに来て、何やら安堵の息を吐いている。声から予想はついていたが、とても可愛らしい少女だ。自分では抵抗することもできなかった死獣を、こんな可憐な少女が簡単に倒したというのは、男の意地的にどうなのかと思う。その後、満面の笑みで謎のお礼をしてきた。そんな純真無垢な顔を向けられると間違えそうになるが、助けてもらったのはこちらなのだ、そこは訂正を入れておく。
花の咲いたような笑顔のまま、手を差し伸べできたので、その手を取ると華奢な体からは考えられないような力で引っ張られる。おかげで死獣の下から這い出ることができた。
「本当にありがとうございます。あ、僕はライっていいます」
「私はシーラ。えっと、呼び捨てでいいかな、ライ? 困った時はお互い様だからね。それと、私も呼び捨てでいいよ。あと敬語も、なくていいよ」
「うん、わかった。シーラ。」
改めて見ると、本当に可愛らしい容姿をしている。背丈はライと同じ160くらいだろうか、目線が同じ高さにある。薄灰色のショートヘアは、光のあたり加減では銀色に光っているように感じる。瞳も髪と同じ色でとても神秘的に見える。手足も細く力を込めたらすぐ折れてしまいそうなほどだ。本当にどこにあんな力があるのだろうか。無能力の身としては羨ましい限りだ。
「ライはこんなとこで何やってたの?」
「薬草と魔力草を採取してたんだ。ギルドの依頼で」
「もっといい依頼あるんじゃない? またなんでそんなの受けたの」
「実は僕、無能力だからこれ以上難易度の高い依頼を受けられなくて……」
「えっ! へぇー、珍しいね。あ、いや、貶してるとかじゃなくて、単純に驚いて」
シーラは僕に背を向け、死獣の方へ歩み寄る。よく見ると死獣の首筋にナイフが刺さっている。死獣はあんな小さなナイフ一本だけで倒せるものなのだろうか。死獣との戦闘についてはあまり知らないが、おそらく凄いことなのだろう。
ナイフを抜き取りながら、なんとなくといった感じで会話している様子のシーラだったが、無能力というワードに過剰に反応してきた。慌てて否定しているので、馬鹿にしている感じはなかった。
「でもそれだけじゃ、生活大変でしょー」
「ええ、お恥ずかしながら。けど生活できないわけではないのーー」
「ーーそんなライ君にいい提案! 私の特別依頼を受ける気はない?」
「特別依頼ですか?」
全て分かりきってますよー、とでも言いたげな顔で頷くシーラ。言っていることは本当のことなので、渋々同意しておく。と、その言葉を待っていたと言わんばかりに、食い気味な言葉が返ってきた。しかも、こちらを指差して決めポーズまでしている。
「期間は1ヶ月間くらいでいいかな。依頼内容は簡単、私の召使いになること! もちろん期間中の生活費はこっちが持つよ、報酬も弾むよ〜」
「……僕としては願ったり叶ったりですが、本当にいいんですか?」
提案の内容は、こちらにとって百利あって一害なしの内容だった。少しは奴隷にされて売り払われる可能性なども考えたが、無能力の僕を売ってもそんな儲けられないだろう。それに、最底辺とも言える生活をしている僕に、失うものなどないのだ。
「私はライがいいんだよ。じゃあ、交渉成立でいいかな? そうと決まれば契約だね。右手手、出して」
「えっ、契約? なんですかそれ」
「そっか、特別依頼受けたことないもんね。知らないのも当然か。特別依頼では契約が必要になるんだよ、とりあえず、右手出してっ」
いつも、最低級の依頼しか受けない僕にとって、馴染みのないものだから知らなかった。特別の名を冠するだけあって、普通とは違うのだろう。言われた通りに右手を出す。シーラは死獣から抜き取ったナイフで自分の親指を薄く切り、血の滲む親指を僕の右手の甲に擦り付けた。すると、右手の甲に黒色に光る魔法陣が現れたかと思うと、一際強く光を放ちそのまま手の甲に染み込むように消えていった。
「これで完了だね。晴れて君は僕の召使いになったわけだ。それじゃ、一ヶ月間よろしくね」
「あ、はい、よろしくお願いします」
流れるように契約までしてしまった。もう少し用心深くなった方がいいのだろうか。ずっとシーラのペースで話が進んだ気がしたけれど。
まあ、でも、今の最底辺の生活を続けるよりかは、不思議なこの人の召使いになる方がよっぽどいいだろう。
そうこの日、この瞬間から、僕の人生が変わり出した。