1-2
【リッガルト】
衝撃で窓ガラスが割れ、食器がテーブルから落ちて砕けた。
ドドドドーン!!!
あたりに鳴り響く轟音は聞いたことのない音だった。
大砲の音に似ているような気もするがやっぱり違う。全身を殴られるようでどこから聞こえてくるのかまるでわからない。
「兄さん、こわい・・・・・・」
向かいの席でテュテュリンがおびえている。
そうだ。呆然としている場合じゃない! 俺が守るんだ。
バックパックを引き寄せ、強ばったテュテュリンの身体を抱きかかえるようにして、テーブルの下に潜りこむ。それほど頑丈そうじゃないが頭を守るくらいはできるだろう。
息を深く吸ってまずは自分を落ち着かせる。それから、いつもと同じ声を絞り出す。
「心配するな。俺が付いてる」
俺たちは適当に入ったレストランで遅い昼食をとっている最中だった。他に客はいない。
フォート・マリオッシュに来てまだ3日目。長くいるつもりはないが、いつまでここにいることになるかわからない。
ホテル暮らしじゃ金がかかるし、とりあえず部屋を借りようということになった。適当なアパートを探しているところだ。
それがなかなか難しい。ドアが左開きだったり、壁の色が白でなかったり、キッチンが1セタ低かったり、・・・・・・
テュテュリンは「妥協して」と言うがそうはいかない。
ドアは右開き、壁の色は白、キッチンの高さは120セタと決まっている。でないと気持ち悪くて、落ち着いて暮らせない。
こういう性格なんだからあきらめてくれ。
轟音と振動は長くは続かなかった。
「おまえはそこにいろ」
テュテュリンを残して外の様子を見に行く。何が起きたのか確かめるんだ。
雪?
違う。
灰だ。灰が降っている! 真昼間なのに降りしきる灰が日光をさえぎって薄暗い。
「こいつは驚いた!」
「こんなことははじめてだ!」
付近の店から出て来た連中が騒いでいる。
「おい、あれを見ろ!!!」
ひとりの男が引きつった声をあげた。男が指し示す西の空に目をやった人々はみんな目をむいている。
「ああ、神よ!」
「この世の終わりだ!!」
赤―――
俺の目に飛び込んで来たもの。それは見たことのない鮮烈な赤だった。生き物のようにうねり流れて来る。溶岩流、という言葉が頭に浮かぶ。あれは確か、セレンツ山だ。
マリオッシュにある3つの山のなかでいちばん高い。そのセレンツ山が噴火した!
山頂から流れ出した溶岩が、山肌の草木を焼き払いながら下って来る。低い方へ低い方へと。
なってこった!!
このままいけば溶岩流は市街地へ、今俺たちがいるこの場所にやって来る!
すぐにレストランに戻って、状況を知りたがっているテュテュリンの腕をつかむ。
「行くぞ! ここから離れるんだ」
「なにがあったの?」とテュテュリン。
「セレンツ山が噴火した」
レストランを出ると、血相を変えた人々が大声でわめき散らしながら右往左往していた。
テュテュリンが一変した街の様子に面食らうのも無理はない。中に入る前は猫もあくびをしそうな昼下がりの光景だったんだ。
「・・・・・・なに、あれ?」
山肌の赤を瞳に映したテュテュリンは、信じられないものを見たという顔をしている。
「大丈夫だ」
落ち着かせようと声をかけるが、テュテュリンの目は溶岩流に釘付けだ。俺は妹の前にまわって力強く宣言する。
「おまえは俺が守る。どんなことがあってもな」
やっと俺の顔を見たテュテュリンはしっかりとうなづいた。
俺たちは小走りに歩き出す。
とにかく高いところへ! できるだけ早く!!
「どうしたんだ?」
急に立ち止まったテュテュリンを振り返る。
「しっ! 助けを呼ぶ声が聞こえたの」
俺にはそんな声は聞こえなかったし、もし誰かが助けを求めていたとしてもこの混乱の中じゃ聞き取れるはずはない。
「空耳だろ」
俺は先を急ごうとするがテュテュリンは動かない。
「やっぱり聞こえる」
走りだしたテュテュリンが俺を呼ぶ。
「こっち!」
どうやら本当に聞えているらしい。はじめて体験する異常な状況の中で、無意識のうちに特殊能力を使っているのかもしれない。
「ひとりで先走るな!」
あわてて後を追う。
俺たちがたどり着いた裏通りは、集中砲火でも浴びたようなありさまだった。噴火で降って来た岩のせいだ。
「・・・・・・助けて・・・誰か・・・・・・」
通りに向かって倒れた家の下から声がする。女の声だ。
「兄さん!」
テュテュリンが俺を見た。俺は周囲に誰もいないことを確認して背中のバックパックを下ろす。
「まかせろ」
指を組んでポキポキ鳴らす。力を使うのは久しぶりだ。俺のヴァイオスは馬鹿力。とんでもない力を発揮できる。ガレキの山を掘り起こすのに大型重機なんか必要ない。
ガレキをどかしてみると、生き埋めになっていたのはひとりじゃなかった。うつぶせになった女の下にはふたりの子供がいた。ふたりは見分けがつかないほどそっくりだ。
俺は3人をガレキの外へと運び出した。
双子に大きなケガをはなさそうだが、母親は起き上がれない。まさしく自分の身を犠牲にして子供を守ったんだ。
「ふたりとも行(生)きなさい。お兄さんお姉さんの言うことをちゃんときいてね」
小さな手を握って言い聞かせた母親は俺を見る。
「子供たちをお願いします」
「あんたはどうするんだよ?」
「なんとかなります」
やんわり微笑む母親に悲壮感はない。この状況をわかっているのか?
「なんとかってなんだよ!」
「とりあえず、ここで救助を待ちます」
そうか。。
救助なんか来ない。そんなことは母親にもわかっている。動けない自分が一緒にいては足手まといになると考えたのだろう。
子供たちが助かる可能性をつぶしたくないんだ。
「やだ、やだ。ママといっしょがいい!」
母親は泣きながら自分にすがりつく子供をなだめにかかる。
「あらあら、ハーラが赤ちゃんになっちゃった。ハーラはお兄ちゃんでしょ」
立ちつくしたまま声もなく涙を流すもうひとりにも声をかける。
「ああ、トーニ! そんな風に泣かれたらママまで悲しくなっちゃうわ」
「そんなのダメ!!」
テュテュリンの声が響いた。びっくりするくらい強い表情をしている。
「あなたこの子たちのお母さんなんでしょ? どんなことがあってもそばにいてあげなくっちゃ! さあ、わたしにつかまって!」
必死に助け起こそうとするが母親の身体を浮かすことすらできない。
「代われ。俺がやる」
テュテュリンの手を借りて母親を背負うと、耳元で声がした。
「・・・ありがとう・・・・・・ありがとう・・・・・・ありがとう・・・・・・」
身体を震わせて泣いている。子供たちには涙を見せないようにしていたんだ。母親というのは本来強いものなんだろう。俺たちの母親は弱かったが。
表通りに戻ってみると様子は一変していた。まるでゴーストタウンだ。
グレーに塗りこめられた町に音もなく灰が舞い降り、動くものは何もない。右往左往していた連中はどこへ行ったのか。噴火直後の大騒ぎがウソのようだ。
さすが要塞の島。非常事態にどう行動したらいいのかみんなわかっているんだ。予想外の出来事にいくらかの混乱はあったようだが。
取り残された俺たちも早くここを離れるんだ。
けれども、小さな子供連れじゃ急ごうにも急げない。俺の腕がもう二本あれば母親を背負ったまま、子供たちを抱えて走ることもできたんだが。
両手に子供たちの手を引いたテュテュリンの顔にもあせりが見える。
置いてきぼりにされたのか、ぬいぐるみみたいな足の短い犬にも追い抜かれて俺のあせりも頂点だ。
「くそっ!! もっと急げよ。死にたいのか!」
絶望が入り混じった声でわめくと、子供たちが泣きだした。
「だいじょうぶだよ、きっと助かるから。しっかり歩いて」
優しい声で子供たちをはげましたテュテュリンが俺をにらみつける。
ちぇっ!
どうしたって溶岩流の方が速いんだ。すぐに追いつかれるさ。こうなったら、頑丈そうな建物の屋上にでも避難した方がマシかもしれない。
どこかに適当なビルでもないかとあたりを見まわして息を飲む。
山肌を流れ落ちた溶岩流がいよいよ市街地へ流れ込もうとしていた。家も木も焼き払い、すべてを飲み込んでやろうと襲いかかってくる。
目の前が真っ赤だ!
もう、何も考えられない。灼熱の恐怖と絶望に塗りつぶされていく。テュテュリンと子供たちも迫り来る赤い川を見つめて固まっている。
来るなあああっ!!!
熱い。肺を焼くほどの熱気に包まれ視界がかすむ――――
なんだ! 何が起こった?
ワケがわからず混乱している俺たちの目の前で、信じられないことが起きていた。
まるで市街地との境目に見えない壁があるみたいに、溶岩は市街地のすぐ外側を海に向かって流れて行く。
奇妙な光景だった。低い方へ低い方へと流れるはずの溶岩流が、市街地のあるいちばん低い場所を避けて行くのはどう考えても不自然だ。
「ユーシス・・・・・・」
テュテュリンが夢見るようにつぶやいた。今でもその名を聞くだけで胸の中がざわつく。
俺たち兄妹は、ありえないことをいとも簡単にやってのけるヤツをよく知っている。
そいつの名はクリュフォウ・ギガロック。
“セイラガム”と呼ばれる男―――
間違いない。
あいつは、この島にいる。