キャロリーヌ
揺らめく薄い湯煙の立ち込める調理場。
お鍋の前に立ち、キャロリーヌは懐かしい「キノコ採り」を思い返している。
目の前の生肉に向かって、優しく語り掛ける。
「あの日、アタゴー山からの帰り路、連なって飛んでいた雁たちの中に、あなたのご両親もいたのかしら?」
家族四人揃っての最後の行楽になった日の夕暮れ。懐かしい思い出。
茜空の鮮やかさが、ありありと脳裏に蘇ってくる。
不意に目頭が熱くなる。あの頃は父も母も、元気だった。
そして、少し病弱ではあったけれど、弟も透き通る琥珀色の瞳を輝かせながら、将来の夢を語っていた。
あれから一年が過ぎ去り、このメルフィル公爵家は、酷い神経痛に悩まされ床に伏せっている当主グリルと、娘のキャロリーヌだけになっている。
今や「公爵」とは名ばかり。経済的にとても苦しいため、使用人も雇えず、不幸なご令嬢キャロリーヌ自らが、日々父親の看病をしなければならない。
かつては、いつも温かく幸せな気持ちでいられた。そういう変わらない穏やかな日々の「掛け替えのなさ」を、当時のキャロリーヌは気づきもしなかった。当たり前であるかのように、平和に暮らせていた。
ましてや愛する家族との別れなど、想像すら及ばなかった。
病気一つすることのなかった母親マーガリーナの、唐突な発狂と心臓発作にしてもそう。皇帝陛下に仕える護衛官を志願していた弟トースターの自死にしたってそう。どちらも、あり得ない悪い夢のようなことだった。
それまでのキャロリーヌは、あまりにも安穏と過ごしていた。
《どうしてお母さまのお身体の異変に、あたくしが気づいて差しあげられなかったのかしら。トースターの心に潜む弱い部分を、あたくしは、どうして見つけてあげられなかったのよ》
娘として親の身体を気づかうことが、できなかった。
姉として弟の心の内を、十分に思いやれなかった。
この二つのことが無念で堪らず、精神的に未成熟な胸を痛ませる。
そういう自責の念を背負うことで、十六歳のキャロリーヌは、辛うじて心の平衡を保っていられるのだった。
しばしの追憶と、それにより生じてしまった苦い懺悔を終え、お鍋に落としていた視線を、ふと窓の外へ移す。
「あら、冷えてくると思えば」
薄暗くなった空に、無数の白い小粒がチラついている。
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しばし眺めていると、少し遠くから白いお馬が、愛しいお人を乗せて、駆けてくるのが見えた。
「あら、お出でになったわ。うふ」
心を弾ませる乙女、キャロリーヌである。
お鍋の中の煮え具合を慎重に確かめてから、お出迎えに向かうことにするのだった。