血鏡~願うなら~第6話
(また、あの夢)
鏡が私の働く美術博物館に展示されてから見る夢がある。何処かの屋敷で女性が炎の中で、微笑んでいる夢。
夢だということを忘れてしまうほど、鮮明で怖い夢。
そして目覚める前に聞かれる、【貴女の願いは何?】と。
まるで彼女は、私の心の奥を見てきたように語りかけてくる。
【あの男に復讐したい?】
【私なら、貴女の願いを叶えてあげられる】
【大事な人を取り戻したくない?】
半月が過ぎた辺りから毎日聞いてくる声、それを聞いてはいけないと耳を塞ぐと、女性はつまらなさそうに消えて、私は やっと目を覚ますことが出来る。
冬なのに嫌な汗をかく。このままだと本当に私は壊れてしまいそうで怖い。
しかし今夜は違っていた。感覚まで有りそうな程とても鮮明で、いつもより気味の悪い夢。
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「今日は、蒼子様から呪を教えていただいたの。知り合った陰陽道の方から習った、願いを叶えてもらう呪」
女性は新しく手に入れた鏡を手で撫で、嬉しそうに誰かに今日の出来事を話している。
「柳子様は、どんな願い事をしたんですか?」
女性を柳子と呼ぶ男性は、御簾を隔てた場所から柳子に何を願ったかを聞いている。
それを聞いた柳子は少し不機嫌な顔で男性を見る。だからと御簾の先の男性に表情が分かるわけがなく、男性は静かに座っている。
「政、分かっていて聞いているの?私と居る時は、柳と呼んでくださらない人には答えません」
柳は御簾を少し上げ、政と呼ばれた男性に手招きをする。政は柳の手招きに気付き、首を横に振った。
「なりません」
「大丈夫よ、お父様もお母様も親王様の所。侍女たちは、用事を言いつけたから出掛けている。この屋敷にいるのは私と政だけ。誰にも見られないから安心して私の傍へ」
男はため息をついたあと部屋の御簾を上げ、柳の前に座った。
柳は微笑み、政の手を握り頬に触れさせる。
「私の願いは、貴方と一緒になること。この心は貴方のもの」
「貴女は貴族で、私は柳より下の…」
「分かってる。だから願うことしか出来ない」
柳が政の首に腕を回し唇に一度キスをして離すと、政はキスに応えるように強く抱き締め、深いキスをする。
「身分なんて関係ないわ、私は貴方が好き。例え知らない人のもとへ嫁いだとしても」
「私もです柳。貴女を愛しています」
柳子は政治家貴族の娘、政貞は同じ貴族でも祖父の代から柳子の家に仕える武家の息子。
二人が恋仲になるのに時間は掛からず、人目を盗んでは愛を育んでいた。しかし政貞は柳子の幸せだけを願い、柳子の全てを欲しいとは望まない。
それでも一緒に居られることが幸せな柳子は、陰陽のおまじないをした。
毎夜 月が出ているのを確認し、釣殿で鏡に月を写し願う。
(どうか政と、いつまでも・・・いいえ、少しでも長く一緒にいられますように)
しかし柳子の願いを、月は叶えてはくれなかった。
「母上、私は未熟者です。帝の護衛など」
政貞は母に呼び止められ、言われた言葉に驚き、戸惑った。帝の護衛に選ばれたから、今日から柳子の屋敷に向かうなと言うのだ。
昔の政貞なら、柳子を諦める為に引き受けたことだろう。地位を上げて柳子の父と対等の貴族となり、縁談を申し込んだだろう。
しかし 今は恋仲、少しでも長く傍にいたい気持ちが大きい。
「父上が決めたことです。しっかりと護衛隊の一人として頑張りなさい。そして気に入られて私達の武家の地位を上げなさい。分かりましたね?」
「母上……私は」
「よいな」
「…はい」
逆らうことが許されない世、政貞は悔しい気持ちを殺し、護衛として仕えることを受けた。
いつかは離れなければ いけない身、それが今なのだと政貞は自分に言い聞かせ、そして一時の離れと信じ、今出来ることをやろうと決めた。
「遅いな政。何をしているのかしら?今日は出掛けたい場所があったのに」
中島に立ち、高く飛ぶ鳥を見て、柳子は空に手を伸ばす。
(私も鳥のように翼が欲しい。そしたら政の所へ飛んで行けるのに)
早く政貞に会いたい、1人で屋敷から出る事が出来ない柳子は、鳥が羨ましく感じた。
鳥は籠の外では自由に飛んでいける、自分より自由、窮屈に感じる日々は無いだろうと。
「柳子さま、旦那さまが御呼びです」
柳子は侍女に呼ばれ「すぐに行く」と答え父の待つ部屋へ向かった。もしかしたら、政貞が屋敷に来ない理由を知っているかもしれない。
「喜びなさい柳子。お前によい縁談が来ておる」
「えっ?」
父は柳子に縁談を用意したと言う、その言葉に すぐに反応が出来ず、落ち着こうにも混乱するばかりで父を見た。
「私のために女官となり帝の寵愛を受ける身になってほしいとも考えたが、貴族の元に嫁として出した方が柳子に会える回数が増える。私の知人の息子なんだが、歳上でしっかりしている。お前に相応しい男だと思っているよ」
父の喜びようから政略結婚だと察した柳子、この男が自分より下の貴族と縁談させるわけがないと知っていたからだ。
「嫌です。それってつまり、お父様の為に嫁げと仰っているように聞こえます。それに私は…」
言いかけて口を紡ぐ。政と恋仲だと知られてしまえば、政貞が父と兄に殺されてしまう可能性がある。
貴族でも、身分が上の娘に手を出したと知られれば……。
「それに、何だ?」
父の目が鋭く柳子を睨む、拒むことを許さない目に柳子は目を伏せる。
「……いえ、何でもありません。少し気分が優れません、部屋に戻ってもよろしいでしょうか?」
「ふむ、そうか。では、部屋に戻りなさい」
さっきの睨みは消え、ニコニコと笑う父に戻る。娘を出世の道具として人脈を作ることは誰でもしていること、当たり前だと知っていたとしても、柳子は悔しさで心を痛める。
「はい…」
どうしようと思った、政貞に会って話しをしたかった。もしかしたら一緒に逃げてと言えば、何処へでも連れて行ってくれるかもしれない。
「ねぇ、政貞を見なかった?」
近くを歩いていた使用人に政貞のことを聞いたが、首を横に振るだけで他の誰に聞いても同じだった。
(どうして誰も政のことを知らないの?いつもなら既に屋敷にいて、警備やお父様の近くにいるのを見掛けるのに)
父の付き人をしていた政貞の父と話す機会をやっと見つけ、政貞のことを聞き出すと「別の仕事で暫くは此処には来れません」と答えた。
「そんなこと一言も聞いてない。私が出掛ける時は誰が護るの?」
「別の者が付きます。政貞は、柳子様の縁談のことは存じております。良縁だと思い、若い男が近くに居てはいけないと考えたのでしょう」
「そんなこと、あるはずないじゃないっ!」
柳子は有り得ないと怒りを込めて否定する。そう有り得ない、政貞は柳子を愛していると言った、良縁だと言って偽ったとしても既に離れる人じゃないと柳子は知っている。
政貞の父が驚き、柳子を見ていることに気付く。
「柳子様?」
「あっ……。そうね、気をきかせたのかもしれないわね」
この気持ちに気付かれたかもしれない。だからと恋仲だと気付かれてはいけない、柳子は聞きたいことは終ったからと言って部屋に戻る。
柳子は信じたくなかった、自分の縁談を知って政貞が身をひいたなどと。何か理由があって来れないのだと思いたい。
(何かの間違いよ。政は私が誰かの妻になっても良いと言うの?)
政貞と会えない日が続いたある日、友達と遊んでいた柳子は馬宿で使用人が話しているのを聞いてしまった。
それは柳子が一番聞きたかった真実で、聞きたくなかった父が柳子を嫁がせたい理由。
「あんなに聞いてくるなんて、本当に柳子様は政貞様に恋心を抱いていらしたのね。同じ貴族でも政貞様の武家は下、少しの身分違いで一緒にさせてあげられないなんて不憫でなりません」
馬宿で話しているのは屋敷で働いてくれている夫婦、二人は柳子に気付かず馬の世話をしながら会話を続けている。
「旦那さまが決めたことだ」
「だからって政貞様を帝の護衛に推薦するなんて、賊の噂で増やした護衛と聞いてます。暫くは帰って来れないのでしょ?」
「手柄をあげれば政貞様は出世して、此方には来なくなるだろう」
柳子は政貞の話をしていると知って、壁を隔てた馬宿で話す二人の会話を聞いた。
賊の話は柳子も知っていた。貴族を狙う者たちが現れ、いつか親王様たちに被害が起きると危懼した武官たちが信頼出来る護衛隊を集めていると。
政貞が此処に来なくなった理由さえ分かれば充分、柳子はその場を立ち去るために踵を返す。
「政貞様は知らないんですよね?柳子様の縁談」
(えっ?)
すぐに立ち去るつもりが、政貞が縁談を知らないと聞いて、タイミングを失ってしまった。
あの日、確かに政貞の父は知っていると答えた。二人の話が本当なら、父たちは柳子に嘘をついていたことになる。
「しー。知らない者も居るんだぞ。もし柳子様の耳に入ってしまえば」
「大丈夫です。柳子様が用もなく馬宿に来るとは思えません」
(居ますとは言えないわね。今 二人の前に出たら、お父様に報告されるかも。それにしても……政は私の縁談を知らなかったなんて)
その言葉が逆に柳子を喜ばせた。政貞は縁談を知らなかった、つまり良縁と思って離れることを決めたのでは無かったと。
護衛隊なら寮の場所を知っている。知り合いの女房か陰陽師なら、話せば会う場所を用意してくれる。
政貞に会いたい、会って縁談の話をして今後のことを話し合いたい。政貞なら、救ってくれる。
小さな希望の光が見えた柳子は、その夜 屋敷を脱け出す決心をした。
(政に知らせなければ)
誰もが寝静まる 月が雲で隠れた日、少しでも見付かることを避けようと、庭に出て壁側を歩き門に向かった。
会えなかった時の為に、文も用意した。父の仕事を見て政貞と密かに勉強した日々に、今は感謝している。
あともう少し、門番の見張りで脱け出しやすい者が立っている筈。柳子の心は自分を急かし、速足になろうとする。その気持ちを抑え、一歩一歩と裏の門に近付く。
ところが、門に辿り着く前に人影で盗人と間違えられ、別の見張りの者に捕らわれてしまう。
「こんな夜更けに何をしていた?柳子よ」
「……」
屋敷の牢で、柳子は何も答えず目を閉じたまま黙る。文は見付かっていない、政貞に会うために屋敷から脱け出そうとしたことに気付かれてないと信じ、柳子は口を閉ざす。
「…まぁ、よい。どうせ政貞の所へでも行くつもりだったのだろう」
政貞の名を出され、柳子は父を睨んだ。冷静を装えなくなり、隠しても無駄だと悟る。
「お父様は、私に嘘をお教えしました。どうしてですか?どうして、政貞も縁談を知ってるなどと嘘を」
父の顔がみるみると怒りへと変貌する。まるで何かに裏切られたと言わんばかりに。
「私が気付いて無いとでも思ったか?お前が政貞と恋仲になるから悪い」
「っ……。知っていたのですか?いつから?」
懐から一つの髪飾りを出して柳子の足元に投げた。それは以前に父が柳子にプレゼントした髪飾り、投げつけられ壊れてはいるが、柳子は父からの贈り物だと大切にしていた。
「何故、この様なことを?壊れてしまっては使えないではないですか」
「お前に土産の髪飾りを渡そうと部屋を尋ねた日、お前は政貞と寄り添って笑っていた。本来なら その場で斬ってやりたかった、それをしなかったのは柳子がいたからだ。柳子よ、明日までに決めておけ。断ったら政貞を斬る」
あの日に見られていた。柳子の手は震え、壊れた髪飾りを落としてしまう。
父の目に柳子は恐怖に襲われ涙を流す、あの目は本当に政貞を斬りかねないと思った。
父が去ったあとも柳子は涙を流した。
「どうしたら良いの。お兄様に相談する?いいえ、お父様のことだからお兄様を説得されている。まさかお父様に知られていたなんて」
泣いていると微かな光が顔にぶつかり、それが部屋にあるはずの鏡だと気付く。
鏡は、雲が晴れ 差し込んだ月の光を反射していた。
「どうして此処に?部屋に置いてきたのに。何でもいい…鏡よお願い、私を政に会わせて」
しかし おまじないでも普通の鏡、写すのは柳子の姿だけ。
「お父様は政が嫌いなの?お父様さえ居なければ、お父様が消えれば。…お父様を」
柳子はクスクスと笑うと、鏡に写る自分を見て抱き締めた。
他の方法も考えればあった筈、柳子も別の道を選べた筈だ。
「やっぱり、鏡に願うだけじゃ駄目よね」