第4章 その4 流されやすいカルナック
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シア姫ことルーナリシア公女が兄フィリクスの部屋で眠ることになった最初の夜。
ベッドを譲って自らはソファにと移ろうとしたフィリクスに、シアは言い張った。
「いや、にいさまと寝るの!」
四歳の幼い姫のお願いには、誰もあらがえない。
「叶えてあげてくださいませ。今まで、シア姫様は、さんざん寂しい思いをしていらしたのですから」
「大公様も大公妃様もご一緒にはいてくださらなかったのですよ」
キュモトエーとガーレネーは、全面的にルーナリシア公女の味方だった。
さらには、ルーナリシア公女は眠い目をこすりつつ、おねだりする。
「カルナックさまも、いっしょに寝るの……」
「わかりました、今夜だけですよ」
これには、カルナックも従うしかなかった。
(まあ、しかたないか……)
ラゼル家のアイリスとルーナリシア公女は同じ日に生まれた。
三歳で迎えた『魔力診』の宴のおりには、アイリスの方を優先してルーナリシア公女の宴席を早くに切り上げてしまった、という件では、少しばかり罪悪感もあったのだ。
「それに、シアは素直でかわいいし。父や兄とは違って」
シア姫を抱きしめて横たわるカルナック。
「だいすき……カルナックさま……むにゃ……」
すぐさま寝息を立て始めたルーナリシア公女とは違い、フィリクス公嗣は、この喜びを一人、密かに噛みしめていた。
本当なら大声で喜びをあらわにし叫んだりごろごろ転がりたいところ。その衝動を抑えるのがやっとである。
カルナックに警戒されないようにと寝ているふりをしていたが、目をつぶったままでいるなんて、そんなもったいないことなど、とうてい出来るはずはなかった。
そっと目を開けてみれば、手を伸ばせば届きそうなくらいの近さに
(間にいるルーナリシア公女の存在は、見事に失念しているフィリクス公嗣である)
心から敬愛している、初恋の相手がいる。
神々しいほどに美しい、その、寝顔を、眺める。
プラトニックだけではない感情を抱きつつも、ともかくは、それだけでも、夢のようだ。
想像すらできなかった、至福。
しかし、幸福な時間は、突然に断ち切られた。
ベッドに横たわっていたカルナックが、ふいに身を起こし、ベッドから滑り降りたのだ。
「うっかり流されるところだった!」
と、叫んで。
「なんでこんなことになってるんだ? 私はシア姫の親でも保護者でもないというのに……」
握りしめた拳を震わせている。
くすくすと、笑い声がした。
ベッドサイドに佇んでいる、二人の銀髪美女が話し合っている。
「カルナックは昔から、情にもろい子だったわね、ガーレネー。家族の愛情に恵まれなかったから」
「そのくせ自分に向けられている恋愛感情には、ぜんぜん、鈍くて。この子に恋した相手は、わかってもらえなくて苦労していたわねえ」
「でも、この子ったら、流されやすいのよ」
「ヒトたちの言葉では『優柔不断』っていうのよね。どうしましょうね、キュモトエー。フィリクス公嗣にも、どんどん押せばいいかもよって教えてあげる?」
「あらあら。……そんな。面白いかもね?」
手を取り合って、優しくも、不穏な笑みを交わす、銀髪美女たち。
彼女たちこそは、カルナックを幼い頃から知る存在であった。
「姉さまがた! やめてください」
カルナックは抗議の声をあげた。
「そんな昔のことを持ち出して」
「だって面白そうなんですもの」
「きっとシア姫も喜ぶわ。ね?」
いっこうに聞き入れるふうもない『姉』たち。
「楽しんでますね? ……そんなことより、私はそろそろ行かなくては」
「もう?」
その背中へ呼びかけたのは、フィリクス公嗣だった。
「まだシアが寝付いてまもないのに」
「……そんな捨て犬みたいな情けない顔をするな」
カルナックは振り返り、微かに笑う。
「私は忙しい。おまえと一日中一緒にいられるわけもないのは承知しているだろう?」
「せめて朝までくらい。シアの寝床が整っていない、今夜だけでも」
「……では、シアが夜中にもし目覚めたら、私を呼ぶことを許す。常にシアの側にいるキュモトエーとガーレネーに頼むといい」
「はい! お師匠様!」
フィリクスはその言葉を忠実に守り、この日以降、シア姫のお願いを伝えるのにためらわなかった。
兄と一緒にボードゲームをしたいとか、寝る前にカルナックさまにご本を読んでほしい、だのという、ささやかな願いを。
もちろん、かわいい妹姫のためでもあるが、ほぼ、自分の『想う相手とできるかぎり長く一緒にいたい』という欲求に従っているのに他ならない。