第4章 その3 ルーナリシア公女の引っ越し
3
「昔々のお話し。銀の王国、という名前の国がありました……王妃さまが病気で亡くなってからずっと泣いてばかりいた、王女さまがいました。王様は忙しく、親戚たちがお城に居座って、王女さまをいじめるのです」
「ある夜のこと、真月の光が差した窓から、白い魔女フランカが現れて、聖地に向かえば、お母さまに会えると教えてくれました。お城で舞踏会が行われていて、意地悪な家族たちが留守にしているとき、白い大きな犬を連れて、冒険の旅に出ました。目指すのは遙か遠く、雪の峰ルミナリスのふもと、聖地『輝く雪』です」
「それで、それで? カルナックさま! どうなるの?」
「途中、火を噴く山のふもとを通ったときに、赤竜ルーフス(rufus)があらわれて通せんぼをしました。『おい、犬! それに子ども。このオレ様と遊んでいけ。負けたらオマエたちはオレの召使いだ。だが、もし美味しいものをくれるなら、友だちになってやろう』というのです」
「そしたら、お友だちになってくれるの?」
「そうだよ、シアなら、この竜に、どんなものをあげる?」
「えっとね、えっとね! いつも、おやつのときにキュモトエーとガーレネーがくれるの。外側は柔らかくて、くるっと巻いてあって、あまくて、まんなかに生クリームとくだものが、はいってるの」
「ああ、ロールケーキだね。じゃあ、それにしよう」
「はい! シアは竜に、ろーるけーきをあげる!」
「それはいいね。赤竜ルーフスは、とても喜びました」
「ロールケーキを一口で食べると、こう言うのです。『うまかった! オレはオマエの友だちになって、どこまでもいっしょに旅をして、守ってやるぞ』そして、付け加えました。『これはオマエの母親との約束だ』と……」
「……うにゃ~……すぅ……すぅ……」
しばらくして、カルナックは、手元の絵本を閉じた。
膝の上で、絵本を読んでくれるようにねだっていたルーナリシア公女は、眠ってしまっている。
「おやすみシア姫。よい夢を。あとは任せたよ、キュモトエー、ガーレネー」
声をかけるのを待っていたように、二人の女性がやってきて、手早くシア姫を抱き上げ、部屋の奥に設えられた、子供用のベッドに運び、横たえる。
「……で? 何をじっと見ているのかな、フィリクス?」
振り返ると、ソファに腰掛けた、この部屋の本来の主であるフィリクスが、うっとりと眺めているので、冷ややかな視線を向けた。
「我が妹が、うらやましいと思いまして。毎晩、寝る前に、『漆黒の魔法使いカルナック』お師匠様に、絵本を読んで寝かしつけてもらえるなんて」
「今まで、劣悪とまでは言わないが、決して良い環境ではなかったようだからね。この私の庇護に置いたからには、できるかぎりのことをしてやりたい」
「ありがたいことです。わたしも、そのつもりです」
ここは、フィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーン公嗣の離宮である。
カルナックの英断(無茶振り)によって、ルーナリシア公女の、ここへの引っ越しは可能な限り速やかに行われたのだった。
それもこれも、つい先月までルーナリシア公女にあてがわれていた使用人たちを叩き出して、側仕えとなった二人キュモトエーとガーレネーの『姫様の離宮にはろくなものはありませんでしたから、離宮ごと全て廃棄して、新しい家具をこちらにあつらえていただけば良いのですわ』の一言で決定した。
この二人は、ルーナリシア公女の側仕えになってすぐに公女からの絶大な信頼を勝ち得たのである。
もとより、普通の人間ではない。
そのことを、フィリクス公嗣は、よくよくわきまえていたため、すぐにその要請に従った。
カルナックの申し出という名の命令が下ったのは夜中だったが、その場で、シア姫に寝床を譲り、自分はソファに寝ようとした。が、シア姫のおねだりで、添い寝することになったのだった。
シア姫のおねだりはさらにカルナックにも及び、その夜だけ、シア姫を間に挟んで眠れるという、至福のご褒美を得ることになったのだった。