第3章 その10 女神降臨。よみがえる記憶
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『アイリスは跪いて。両手のひらをひろげて、上にのばして』
「……こう?」
『いいわ。じゃあ少し待っててね。わたしたちの契約を、セレナンの根源の女神さまにお誓い申し上げて、祈りを捧げるの。それが赦されたら、契約は成立するのよ』
あたしは両手をひろげて空にさしのべ、シルルとイルミナの契約宣言と祈りを聞きながら待っていればいいのだそうだ。
『大いなるセレナンの根源の女神、その御名をスゥエ。女神の加護によりて結ばれし縁に、我、風のシルルと』
『我、光のイルミナは』
『セレナンの蒼き大地エナンデリア大陸、エルレーン公国に生を受けしアイリス・リデル・ティス・ラゼルとの縁を更に深く結び、この罪無き幼児の生命尽きるとも、その魂を未来永劫に守護する精霊とならん』
『『世界の大いなる意思よ、この誓いをお認めください』』
黙って待っていればいいと言われたけれど、未来永劫に守護するとか、なんか凄すぎる内容に、ちょっと、ひくわ。……そっと、思ったのだけど。
『あっ引かないでアイリス! あたしたちは本当にあなたを守りたいから』
『ずっと一緒にいたいだけなんだから』
そういえば、あたしの心の声は、シルルとイルミナには筒抜けだったわね。
ごめんなさい。ちょっと驚いただけ。
「ねえ、シルルもイルミナも、それでいいの? この先も、ずっと、あたしに縛られるんじゃない。イヤじゃないの?」
『『そんなことない! わたしたちはアイリスを全力で守りたいの!』』
ふたりの小さな叫びが空気を震わせた、そのときだった。
ふわりと、目の前に銀色の目映い輝きが現れた。
青みを帯びた長い銀色の髪が、くるぶしまで覆っている。
水精石色の瞳、見覚えのある美しい顔立ち。
『『スゥエさま!』』
シルルとイルミナがものすごくあわてている。
羽ばたきを止め、あたしの膝に落ちてきて震えている。
『『女神さまが現世にいらっしゃるなんて』あり得ないことなのに!』
魂に直接届くような深みのある声が、響いた。
『……赦します。妖精シルル、並びにイルミナ。現世を彷徨う移ろいやすき幻の姿から、その性質にふさわしき精霊となることを、このわたくし、セレナンの根源に最も近しき女神、スゥエが赦しましょう』
慈愛に満ちたまなざしで、女神様は進み出る。
パティオ全体は、銀色の靄に包まれて、雲の中に入ったかのよう。
『この霧は精霊火スーリーファと同様に、赤い魔女セレ二ア、セラニス・アレム・ダルの手によりこの惑星の全土を巡る『魔天の瞳』の走査スキャンを遮るものです。これにより、わたくしたちの邂逅は赤い魔女のあずかり知らぬところとなっています。シルル並びにイルミナ、この者、アイリス・リデル・ティス・ラゼルをよくよく守護するように。そしてこの場に集う他の魂たちよ、そなたらも望むならば、この者の守護精霊となるを赦しましょう。水の妖精ディーネ、そなたも、縁を結ぶことを赦します』
赤い魔女セレ二ア?
変ね、初めて耳にしたのに、どこかで聞いたことがあるような……?
あたしの手に、女神様が、触れた。
とたんに、膨大な情報が、渦巻いて流れ込んできた!
過去も未来もすべてが渾然一体となって。
胸が張り裂けそうになる。
心臓をえぐるような悲しみ。これは誰の感情?
ラト・ナ・ルア。ああ、泣かないで……あなたが苦しいと、あたしも、悲しい……
『アイリス!』
『アイリスどうしたの! おかしいわ!』
シルルとイルミナがあわててる。
意識が遠のく。
完全に気を失う寸前に、聞こえてきた声は……
『どこでラト・ナ・ルアの記憶が紛れ込んだのやら。あなたと、あれは近すぎて、同調してしまいかねない。危険だから、今度のルートでは選ばないでおいたのに』
誰の声? まるで女性でも男性でもない、中性的な、淡々とした声が……
『我は、この世界の名前であるセレナン、すなわち《世界の大いなる意思》そのものである。幼子よ、個人的思考を止めよ。ただ、あるがままの世界の姿を受け入れるのだ』
※
あたしは、または、あたしの中の、冷静で、情報を整理するのに長けた、だれかが、従う……。
情報を、受け入れる。
この世界セレナンにおいて人間の住む一つだけの大陸、エナンデリアの西海岸を南北に貫く、白き女神の座と呼ばれる万年雪を頂く山、ルミナレス。
東側の中央寄りを同じく南北に伸びる、夜の神の座と呼ばれる、活火山系があるため真冬でも雪を被ることのない黒き峰、ソンブラ。
そして王国。
北端のアステルシア、滅びた国、エリゼール。戦士の国、ガルガンド。
中央部、ノスタルヒアス、レギオン。
レギオン王国より発祥したエルレーン公国、竜人の国グーリア王国、魔法を禁じたサウダージ共和国……水晶の谷キスピを統治する太陽の巫女王と、王の配偶者たる月の王。
黒き森の狩人の民クーナ。
密林の王国、タワンティン・スウユ。
沢山の人たち。
王たち、竜たち、精霊たち、彷徨う精霊火と妖精たち。エルフとドワーフ。魔獣たち。
そして、あたし。
あたしは、何度転生したのか数え切れないほどの生を追体験する。
そして思い出す。気づく。
そのたびごとに、あたしは、寿命を全うしたことはなかった。
たとえば、21世紀の初め、Tokyoに生きていた十五歳の女子高生、#月宮有栖__つきみやありす__#は、交通事故で死んだ。
21世紀半ば、マンハッタンにいた二十五歳のキャリアウーマン、イリス・マクギリスは、ジョギング中に突然の心臓発作で息絶えた。
最後に覚えているのは、滅び行く地球の管理者、#執政官__コンスル__#システム・イリス。
有機アンドロイドというのか。
合成された完全細胞から造られた人工生命。
人工の身体、都市コンピュータによる頭脳補助回路を持つあたしの身体に宿ったものは「たましい」か、そうでないか?
何度も出会って、何度も失ってきた大切な人たち。
事故で、病気で、自死で、どうせ死ぬなら、なぜ輪廻を繰り返すの?
生きること。
絶えきれないほどの悲しみ苦しみ、僅かな喜び。
飽きて手放したくなるくらいに何千と何万回と繰り返した。
それでもあたしは、もしも今生も終わるときがきて、もう一度生命を与えると、女神さまから差し出された誘いがあれば、必ずや、その手を取ってしまうのだろう。




