第3章 その6 シロとクロのいる、いつもの朝食
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顔の両側から、ふんふんふんふん、くんくんくんくん、と。
子犬の、鼻息が、聞こえてきて。
目が覚めた。
「ふわぁ。シロとクロ、おはよう」
声をかけたら、匹がベッドの上に飛び乗ってきた。
足で、ふみふみされてる!
「わんわんわん」
「わふんわふん」
「わかった、起きる! 起きるから、ベッドから降りて! 重いっ」
シロとクロは、見た目は子犬だけど本当は魔獣で、もう成獣だから、重いのです。
部屋の中には明るい光が差している。
あれ? もう朝?
「おはようございます。アイリスお嬢さま」
ローサが、もうやってきている。
癖の強い赤毛を後ろで一つにまとめ、三つ編みお下げにしている。大きな黒い目の下あたりには、薄いそばかすがいっぱい。日に焼けているのは洗濯の手伝いや庭の草刈りみたいな外仕事も任されているから。
ローサはあたしより七歳上で、現在、十一歳。よく気がつくし、とても働き者だ。魔力が少しだけあるから、妖精がいることはわかるみたい。だけどあたしと妖精たちが話している内容まではわからない。
「お嬢さま、今朝も妖精さんがご一緒ですの? また早起きなさいましたね」
「わかるの?」
ローサは嬉しそうに、にっこり笑う。
「お嬢さまのことは、わかりますよ」
そのときだった。
「おはようございます! アイリスお嬢様」
「おら、気持ちのいい朝だぜ!」
「ちょっとルビー、もっと上品に!」
メイド長のエウニーケさんと、三歳の時からあたし付きの専属メイドになってくれたサファイアさんとルビーさんが入ってきたの。
それから恒例のお着替えタイム。
金髪に結ぶリボンからエプロンドレス、靴下、室内履きまで。
サファイアさんのセンスは抜群で、エウニーケさんも信頼しているの。
髪もブラシで綺麗に梳かしたり編みこみしてみたり、いろいろな髪型を試している。
「お嬢さまはせっかく精霊様のようなきれいな髪をしておいでですのに、日々のお手入れも、おろそかですわ。少しブラシをあてるだけで、ずいぶん違いますのよ」
エウニーケさんは、憤慨する。
「大丈夫ですわメイド長。お洒落のことなら、このサファイアにお任せあれ」
「あたしも忘れるなよ。健康と筋肉を鍛えることなら、このルビーさんに任せとけ!」
「いえ、筋肉は、まだ早いですわ……サファイアさん、お願いしますね」
エウニーケさんは軽く、ため息をついたみたい。
「はい。さあ、アイリスお嬢様。お守りのネックレスを、ちゃんとつけていますわね? これは大事なものですから、絶対にはずしてはいけません。人が見せてほしいといってきても、触らせないように!」
「ま、だいじょぶなんだけどな! 何せカルナック師匠……じゃねえ、大魔法使いカルナック様の魔法で守られているからな」
気がついたときからつけている、ネックレス。
繊細な銀色の鎖の先に、真っ黒な材質でできたロケット。ふたを開けたら、ブルームーンストーンみたいな、とても綺麗な宝石がはめ込んであって。
『この宝石には素手で触れないように』って、エステリオ・アウル叔父さまから注意を受けている。
とても特別なもの。
それからサファイアさんとルビーさんは、張り切って、シロとクロの、純白と真っ黒な毛並みにもブラッシング。二匹ともすごく気持ちよさそう。
「では食堂にまいりましょう。ローサ、お嬢様のお支度ができたとお伝えしてきて」
「はい!」
ローサはすぐに出て行った。廊下を走るのは厳禁なので、足早に。
廊下で控えていた乳母やのサリーが、あたしを抱いて。
両脇をサファイアさんとルビーさん、後ろをエウニーケさんが歩く。
見えないけれど、あたしの影の中には、シロとクロ……二匹の従魔がいます。
ずいぶん、厳重なの。
※
「おとうさま、おかあさま。おはようございます」
食堂に入ると、大きな長いテーブルの端に、お父さまとお母さまがいらした。
「おはよう、アイリス。昨夜は良く眠れましたか?」
「ありがとうございます、お母さま。よく眠れました」
「魔法や勉強も始めたがっていると聞いたが、無理はいけないよ」
「はい、お父さま」
四歳児のあたしのために、子供用の椅子が用意されていて、給仕の担当が、椅子を引いてくれる。
お父さまの名前はマウリシオ・マルティン・ヒューゴ・ラゼル。茶色い髪とおひげ。大きな商会の会長だから、威厳を出すように大人っぽく整えてるけど、まだ三十三歳。
ラゼル商会、つまり我が家が営んでいる大きな商会の、会長さん。いちばんえらい人なの。
お母さまの名前はアイリアーナ・ローレル・フェリシア・ラゼル。
女性の年齢は秘密です。
長い金髪と緑の目は、あたしと同じ。商会の奥さまたちが開いているサロンでの外交がお仕事。お父さまを助けていらっしゃるの。
席についているのはお父さま、お母さま、それにあたし。
最後に、エステリオ叔父さまが遅れてやってきた。
レンガ色の髪は、もさもさ。明るくて優しい、焦げ茶色の目。
お父さまの年が離れた弟であるエステリオ・アウル叔父さまは、十七歳。
あたしを入れた、四人は、この屋敷で一緒に暮らしている身内なの。
父方のお祖父さまとお祖母さまが郊外に住んでいるらしいけど、まだ会ったことないの。お母さまのご両親は早くに亡くなっていて、親戚のひとたちが、ここ、都から馬車で一週間くらいかかる地方都市で暮らしているって。
親戚づきあいは、あまり頻繁にはしていないみたい。
家族が揃うと、食事のお皿が運ばれてくる。
コンソメに似たスープ、前菜、サラダ、ゆでたまごやジュース。
パンを盛った大皿。炒めたベーコンとソーセージ。
お父さまと叔父さまだけが飲む、食後のカフィ。
黒くて刺激的な匂い。
「では、女神に祈りを」
全員で、手のひらを組んで。お父さまが、女神さまへの祈りを捧げる。
「慈悲深き世界の大いなる意思に感謝を。この世の最高神、母なる『真月イル・リリヤ』さまに感謝を。今日も、生命をつなぐ糧を皆にお与え下さいましてありがとうございます」
「死者と咎人と嬰児の護り手。果てなき闇を照らす真月の女神さま。我らを守り、お導き下さい」
おごそかで、厳正なるお祈り。
背筋がピンと伸びる感じがする。
死者と咎人?
……お祈りのことばは、どこか不思議で、謎めいているけれど。
それはいつか、エステリオ・アウル叔父さまに尋ねてみようかしら。
ともかく、目の前のごはんに挑まなくちゃ。
お父さまのお仕事はきっと大変なのね。食べ過ぎじゃないかって心配になるくらい、食欲が旺盛なの。
となりのお母さまは精霊さまのようにほっそりして、たおやかな美人なの。食も細い感じ。
気をつけないとお父さま、中年太りになっちゃうわ。
今のところはお腹も出ていなくて引き締まった、ガッチリした筋肉質の身体。
三十三歳だからいいけど、お父さまのお食事のこと、考えておかなくちゃ。
将来は、リアル『美女と野獣』だわ。
たぶんみんな、幼児用の椅子にかけて足をプラプラさせているあたしが、そんな事を思ってるなんて、想像もしてないでしょうね。
あっ。いまエステリオ・アウル叔父さまが笑った。失笑?
あたしを見てた?
思ってたこと、だだ漏れだったら、どうしよう!




