第3章 その2 夜明け前のアイリス
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あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルは、夜明け前に目を覚ました。
ひんやり冷たい空気を吸い込む。
ああ、生きている、って実感するわ~。
ベッドに半身を起こして、すとんと床に降り立つ。
ざわざわ、もぞもぞ、気配がするのは、あたしの護衛のためにカルナックさまが貸してくださった二匹の従魔。
「シロ、クロ、まだ寝てていいよ」
そっとつぶやく。
まどろむ、もふもふの従魔たちの気配。
……寝直したわね。
成獣になるとちょっぴり「こわもて」だけど、寝るのが大好きな子犬(?)たち。
あとで、いっぱい遊んであげよう!
夜明け前に起きるのは、最近の、マイブーム。
偶然だけど、暗いうちに目をさましてみたら、すてきな眺めが見えたのよ。
窓辺に駆け寄る。
四歳で小さいあたしのために、踏み台も置いてあるの。
カーテンは開けておいてとローサに頼んであるから、外の様子がよくわかる。
窓の外は、まだ、夜の中。
街灯に照らされた町並み。
おうちの外に出たことがないから、よく知らないけど。沢山の、りっぱな建物が並んでる。
「アイリスおはよう」
「今朝も早いわね」
いつもあたしのそばにいる風の妖精シルルと光の妖精イルミナの柔らかな暖かい光が、ふわふわ近づいてきて、話しかけてくる。
目をやれば、光は背中に薄羽根を持った小さな可愛い少女の姿へと変わる。
「おはよう、シルル。イルミナ。時間がもったいないの。夜更かしはさせてもらえないから、朝は有効に使いたいじゃない?」
妖精達は呆れたように、
「やれやれだわアイリス。時間がもったいないなんて幼児の言うことかしら」
「アイリスって不思議な子ね」
と、口々に言う。
「確かに、あたしはちょっと変わってるのかもしれないわ。おとうさまやおかあさまのこと大好きだし、困らせたくないから普通の四歳児らしく振る舞うつもりよ。でも、あたしはシルルやイルミナと話せるからストレスもないし助かってるわ。いつも、ありがとう」
「水くさいこと言わないの」
「あたしたちはアイリスが気に入ってるんだから、ここにいるのよ」
「嬉しい。ありがとう!」
なんて心地良いのだろう。
あたしは1人じゃない。
お外にも出かけて、お友達もいたらいいなって、思わないこともないけれど。
優しい両親と、叔父さまと、乳母や、ローサ、メイドさんたち、執事さんやコックさん、みんなにかわいがってもらって。これ以上はないくらい、幸せなのに。
それにお医者さまも、叔父さまのお師匠さまであるカルナックさまとコマラパ老師さまも、よく訪ねていらっしゃるから、さびしくは、ないはず……なのに。
心のどこかに、置き去りにされた何かが、くずぶってるみたいで。
いつも、なんだか落ち着かないの。
理由もないのに……。
やがて、外がうっすらと明るくなってきた。
「そろそろだわ」
あたしは窓辺に張り付いた。
窓の外が明るくなったのは、夜明けが近いからではない。
真夜中にしか見ることのない、壮大な光の河が、街中を漂い流れていくのだ。
よく見ればそれは青白い光球が、数限りなく集まって作り出している光の流れだとわかる。
あれは精霊火。
精霊たちの魂の火なのですって。
三歳の『魔力診』を祝う晩餐会に、おうちに初めて来てくださったカルナックさまが、見せてくれた。
残念なことに、あんまり詳しく覚えてないの。
大広間に精霊火がいっぱい集まって、ふわふわ、そこらじゅうに浮いて、とてもきれいで、あたしはすごく嬉しかった。
でも、晩餐会にいらした親戚の人たちは、怖がっていたみたい。
あんなに、きれいなのに。
「なんて美しいながめかしら」
あたしは見とれて、うっとりしてしまう。
「それにしてもアイリスはやっぱり変わっているわね。普通の人間は、あれを畏れるものなのよ。特に、このエルレーン公国の人間は、恐怖しているもの」
「だから真夜中から明け方にかけては誰も外へは出ないの。夜中に遊びに出る男の人たちだって、商売宿から外へは出ないもんね」
「イルミナ!」
「あ、今のはなし。失言ね」
「だいじょうぶよ。男性達の欲望なら、わかっているわ。昔はよく観察してたもの。退屈だったから。男女の遊びも歪んだ快楽も見てきた。人間なんてそう変わらない……」
そこまで言って、ふと、あたしは首をかしげた。
「あれっ? なんだっけ? なんであたし、こんなこと言ったのかな?」
あたしは、ただの、アイリス・リデル・ティス・ラゼル。
おうちがちょっと広く商いをしていて、お金持ちなだけの。
体の弱い、普通の女の子なのに。
きゅうに、知らないはずの言葉が、口をついて出ることもあるの。
乳母やは、それは『前世の記憶』なのかもしれないって。
大きくなったら、忘れていってしまう、って。
なんのことか、よくわからないけど、忘れてしまうの?
それは、寂しいな……。
「アイリスって面白いわ。普通の人間の子についてても、こんなに楽しくないと思う。だから、わたしたちはアイリスのそばにいることにしたの」
「わたしたちが聞いてあげるから、なんでも自由に話して聞かせて、アイリス」
「あなたのことを」
「普段はエスメラルダの緑の目なのに、わたしたちを『見る』ときは水精石色の青い瞳になることも含めて、あなたはなにもかも刺激的な謎だらけ」
「いつかすべてを話してね」
「すべてって……あたしは何も隠してないわよ?」
「じゃあ、まだ思い出してないんだわ」
「そのうちにきっと、話してね」
何かを忘れたことさえ、今のあたしは、忘れてしまっているんだろう。
……ふと、そう思った。
乳母やは、忘れると言ったけれど。
シルルとイルミナは、きっといつか思い出す、って言う。
大きくなったら……
あたしは、どうなっているのかな……。




