第2章 その40 精霊石(第2章の終わり)
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「あら?」
ここって、どこだっけ?
そうそう、見覚えがある室内だなって……そうだ、エステリオ・アウル叔父さまの書斎兼自室からつながっている隠し部屋だったわ。
そしてあたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルは、誰かに抱っこされていました。
誰?
叔父さまじゃないってことは確かね。
エルナトさまと、サファイアさんとルビーさんと一緒に、何か話し合っているのが見えるから。
「まったく君には驚かされるよ」
子犬を持ち上げるみたいにあたしを抱っこしていた人物が、ため息とともに、つぶやいた。
「カルナックさま!?」
「もちろん私に決まっている。ほかの誰だと思ったんだ」
やっぱり、精霊グラウケーさまと、口調とか似ているみたい……カルナックさまのことを、ただ一人の弟子だと、おっしゃってたっけ。
「こんな幼子を精霊の森に招くとは。グラウケーもいい加減、自重というものを知って欲しいものだ」
カルナックさま、もしかして小さい子のお守りに慣れてる?
抱っこされてると癒やされる~。
「きみは突然、みんなの見ている前で、姿を消したんだ。もっとも、数秒で戻ってきたがね」
数秒? あたしは首をかしげた。
「変です。もっと長い間、精霊の森にいたような気がします」
「精霊の森では時間の流れ方が違うのだ。精霊たちの気まぐれで、大変な目に遭った者もいる。竜宮城に招かれるようなものさ」
……それって浦島太郎ですよね……わかります!
前世は日本人だったので!
「そして戻ってきた君は、玉手箱ならぬ、とんでもないものを土産に持たされていた」
「も、もしかして、この……グラウケーさまにいただいた、精霊石……」
まだ、手のひらに握りしめている。
石だけど、冷たくないの。
生きている……って言ったらおかしいかな。
手になじむ感じ。
あれれ……ふしぎ、温かくて柔らかいわ。
??????
石の表面の手触りが、すうっと、なくなって。
あたしと精霊石の、境界が……わからなく……
熱い。てのひらが。
「!? まずい、それを手放せ!」
カルナックさまが血相を変えて。
瞬間接着剤で固まったみたいに動かなくなっている指を見て、チッと舌打ち。
「グラウケー! 大人げない! 嫌いになりますよ!」
声を荒げた。
とたんに手のひらが、ぱっと開いたの。
あらら!?
精霊石が、飴細工の飴みたいに溶けかかっていた。
それをカルナックさまがつまみ上げて、手のひらで転がす。
もとの、オーバルの形に磨かれたブルームーンストーンのように、変わっていった。
「なにが……どうなっているの?」
頭の中が、ぼんやりする。
「だいじょうぶ、心配いらない。じっとしておいで」
赤ん坊みたいに、ゆすゆすされて、眠気に襲われる……。
※
「お師匠さま! それは!?」
エステリオ・アウルが急いで駆けつけてきた。
「やはり精霊石でしたか」
研究者の顔をしたエルナトが、うなずく。
「やばいやばい!」
「なんですか!? いまの膨大なエネルギー放出は!」
ルビー=ティーレとサファイア=リドラもやってきた。
「精霊石に、素手で触ってもいいのは、私とコマラパ老師だけだ。常々、そう教えているだろう。では、それはなぜだ。答えなさい」
カルナックはエステリオ・アウルをうながした。
「これまで精霊石は地層の断面などから偶然に発見されることがありました。そして、事故が頻発してきた。精霊石は、しばしば、ヒトの手で触れると、溶けて、人体に取り込まれることがある」
「取り込んだ人間はどうなる? 報告例を述べよ」
次に回答を求められたのは、エルナト・アル・フィリクス・アンティグア医師である。
「ヒトとしての存在のありようが、変質します」
「具体的には?」
「ヒトでありながら、その身のうちに『精霊であったときの記憶』がよみがえり、その者は純粋なヒトではなくなる。精霊としての記憶とヒトとしての記憶を同時に持ち、二つの人格が支配権を争う」
「で、結果は?」
今度はティーレ……ではなく、リドラが指名された。
「たいていは、ヒトが負けて、精霊の記憶と人格に飲み込まれる。もはやヒトではなくなった彼らは、忽然と姿を消す。精霊の森へと帰還しているという噂です」
「そのとおりだ。以上の事柄から『精霊石』は危険物に指定されている。もっとも、例外もないではない。たとえばグーリア。壮年期を迎え、皮膚が硬化し駆竜の表皮のごとく変化した彼らグーリア人ならば、精霊石を取り込んでしまう事故は起こらない。それ故にグーリア産の『精霊石』や模造宝石が市場に流れてくることもある。まったく嘆かわしいことだ。本物と判明したものは、我々魔道士協会が回収し厳重に管理しているがね」
しだいにカルナックの出張講座の様相を呈してきている。
そこへ、異議申し立てをした者がいた。
「待ってくださいよ師匠! なんであたしには聞かないっすか!?」
ティーレだった。
「それは脳筋のティーレに聞いても答えられるわけがないからでしょ!」
リドラはバッサリと切り捨てた。
「ひどい! 試してみてくれたって」
「ふむ。ではティーレ。アイリス・リデル・ティス・ラゼルに起こったことを言おう。私の師匠で、第一世代の精霊たちの代表であったグラウケーが、この子を精霊の森に招いた。そして、精霊石を土産として持たせて現実世界に帰した。この場合、精霊の意図は何だと推測される?」
「へ?」
ぽか~んとしているティーレ。
「だから言ったでしょ!」
あきれる、リドラ。
「まあいい。我が師グラウケーなれば、単に好意で与えたのやもしれぬ。あるいは、アイリスを精霊の仲間として迎えてもよいと見込んだのやもしれぬ……あるいは。《世界の大いなる意思》の思惑か。どちらにしても、精霊のことは計り知れない。そこでだ、エステリオ・アウル。課題を出しておく」
「はい! どのようなことですか」
「素手で触れるのは危険だが強力な、純粋な《世界》の高次元エネルギー媒体だ。通常は触れないように、なおかつ持ち歩けるように『精霊石』を配した装身具を作ってやりなさい。ロケット形のネックレスがいいかな。鎖の部分はアイリスの成長に合わせて長さを自動調節できるようにするのだ。その鎖部分は私も手伝う。急いで取りかかりなさい」
「はい! 全力で」
「エルナトも、ティーレ、リドラも手伝うように。最優先の案件だ。それができれば、魔力栓の問題も解決する。精霊石が、余剰魔力を吸収、放出するからな。それに、守護妖精! おまえたちも力を貸してやれ!」
「「はいぃっ!!!!!」」
「わたしたち妖精は魂の次元までは行けないから。見守るだけしかできなくて、つらかったわ!」
風の妖精シルル、光の妖精イルミナ。
「アイリスも成長する。それに伴い、おまえたちも進化するだろう。私の貸し与えた従魔たちもだ。これでなんとか、三歳のうちは、もつだろう……無事に、お披露目を迎えさせてみせる」
カルナックが、決意をあらわにした。
その間、アイリスは眠り続けていた。
目を覚ましたら、生活が一変しているだろうということも、まだ何一つ、知らないままに。




