第1章 その5 システム・イリスの見る夢
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『おねぼうさん、イリス。こんなところで眠っていてはだめよ』
誰かの冷たくやさしい手が頬を撫でて、あたしはふっと眠りから覚める。
ひんやりと、静謐な、空虚。
ここはどこ?
あたしはどうしたんだろう。
気がついたら、あたしは一人。
コンソールルームのソファで眠っていたのだ。
誰かのやさしい手の感触は、まだ頬に残っているのに。
あれも夢?
遠い昔に一緒に仕事をしていた同僚の……
アイーダ。
よく、彼女は忠告してくれたものだ。
『モルグで眠ると怖い夢を見ちゃうわよ』って。
安置所というのは、ここ、残存人類管理局のスタッフがいう、冗談。
肉体を失って、データに還元して、仮想空間で暮らしている人類の記録を、あたしたち管理局員は守っている。
もう、思い出せないくらい昔に、みんな寿命が尽きていなくなってしまったけれど。
思い出す。
クスクス笑って、ソファで眠り込んでいたあたしを覗き込んでいた、アイーダ。
黒く長い髪、亜麻色をした肌の中年女性の、いたずらっぽく輝く黒い瞳。
「ああ、やっぱり」
ひとりごとでも口にしなければ、いられない。
「みんな、いってしまったんだね」
でもね、アイーダ。
あたし、さっき潜っていたマンハッタンで、あなたにそっくりな女の子に出会ったよ。
友達になったの。
もうずっと、
この地球が終わって消滅してしまうまで、
あたしは一人だから。
仮想空間に住むお友達くらい、いても、いいよね?
五百年くらい前にいた同僚たちの中でも、仮想空間都市に潜ったきり、帰還しなかったひともいる。
キリコ・サイジョウと、彼の親友だったジョルジョ・カロス。
なんだか、わかるよ。
ずっとそのまま、夢に帰化してしまえたら、どんなにいいかしらね?
「でも、ほどほどにしなくちゃね」
また、ひとりごと。
答えてくれるものなど、いないのに。
管理局員の培養技術もとうに失われて、櫛の歯が欠けるように人員が消えていくだけだった。
仮想世界で眠り続ける魂たちのデータを守ったところで、地球そのものがなくなればしかたないのにね。
だって、この地上にはもう、生物なんて残っていないんだもの。
西暦×××××年。年号の意味さえもない、ワシントンD.C.
少しだけ眠って、目が覚めたら。
また、マンハッタンに潜ろう。
アイーダと会って、おしゃべりしたり、彼女の歌を聴いたりするの。
キリコさんたちが消えた、21世紀のTokyoっていうところに行ってみるのも、いいかもね。
時間だけは、たっぷりあるんだもの。
※
そしてあたし、システム・イリスは。
地球が終わるまで、動くこともできないでいる。
なぜなら、地磁気を利用して張られたウェブが構築する、電脳空間の中にこそ、あたしのプログラムの本体が閉じ込められているから。
この肉体は、10000年も昔の科学者たちが合成した、ただの、人類を模した、プログラムの……人工の魂であるシステム・イリスの、器でしかないのだ。
そしてまた、あたしは夢見る。
いつか地球が滅亡して、この電脳の檻から、解放されるときを。
いったい、そのとき、あたしは何を思うんだろう……。
夢見る、夢見る。
あたしは遠い昔、人間がまだたくさんいたころの都市に住んでいたことがあった、かもしれない。
例えばニューヨーク。例えば東京。
そのとき、あたしは、ともだちがいて。
両親がいて。
魂を触れ合えるひとが、そばに、いるの。




