第2章 その35 アリスは鏡の中を通り抜ける
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「ねえ、わかってるだろうけど、迷ってる時間はないよ?」
黒髪の少女が言った。
「もうじき《世界の大いなる意思》がセラニスの分体を焼き尽くす。自動的な反射だから容赦ないよ」
「おまえのことだ、『闇の魔女カオリ』。さぞかし自らの手でセラニスに引導を渡したいだろうが。そこの幼子を巻き添えにすることになる」
銀髪の美女は、あたしを見やって、笑った。
「この数百年。おまえに次ぐ可能性のある存在が、ようやく転生してきたのだから」
「……わかっている。この子を、頼む」
お師匠さまは、あたしを鏡に向かって押しやり、自分は上空にいるセラニスとルシファーを睨んだ。
「次は、ないぞ」
吐き捨てる。
「ああもう、めんどくさい!」
黒髪の少女が鏡の中から上半身を乗り出して。あたしの手を握った。
ぐいっと力強く引っ張られる、その瞬間。
あたしは、お師匠さまの漆黒の衣のどこかを、必死に掴んだ。
そうよアリスちゃん! 絶対にお師匠さまを離しちゃダメっ!
あたしの中で叫んだのは、
イリス・マクギリスに違いなかった。
めくるめく光の渦を通り抜けた。そのあいだも、ずっと、お師匠さまの黒衣を握りしめていた。
次に感じたのは、固い、しっかりとしたものの上に足をついたこと。
さっきまで、自由落下していて、まるで宙に浮かんでいたようなものだったから、急に身体が重くなって、倒れそうになった。
受け止めて、支えてくれた人物がいたから、なんとか立っていられた。
「ようこそ鏡の国へ」
まるで、魂を直接、掴まれるような。深く響く、声が。
力強い腕に抱きとめられたまま、あたしはおそるおそる、顔を上げた。
頬に降りかかる、ひやりと冷たい感触は、青みを帯びた銀色の長い髪だった。
お師匠さまのよりも更に強い輝きをあふれさせている、淡い、水精石色の瞳。
息を飲む。
間近で見るのは心臓に悪いわ!
触れることもためらわれる、完璧な美、そのもの。
人ではない。
まったく違う、何ものか、だ。
畏怖。
恐怖。
見つめられたら、もう身動きもできない。
「そろそろ、彼女を解放していただけませんか?」
お師匠さま、いらついてる?
「おや、妬いてるのかな?」
魂を揺さぶる…耳にしたら魔法にかけられてしまうような不思議な声。
「面白い。すでにヒトではなく我々精霊に限りなく近しい存在であるおまえが、それほどに心惹かれているとは」
「返してください」
再度、お師匠さまは言って。
「ふふふ。仕方ないなあ」
ようやく解放された、あたしは、お師匠さまに抱っこされて、(身体は虚弱幼女なので許してね)ほっとした。
息もできなかったんだもの。
少しだけ落ち着いて、あらためて周りを見てみる。
鏡の中の、部屋。
散らかってる!?
衣類、玩具、本、地図、地球儀みたいなもの?
なに、これ?
第一印象は、全然、片づいてないワンルーム、だった。




