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転生幼女アイリスと虹の女神  作者: 紺野たくみ


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第2章 その12 サヤカとアリスの学園生活(完結編2)

         12


「よろしく、私はネリー・エマ・オブライエン。こちらが本体だ」

 差し出された手を、思わず握り返してしまったけれど。

 これでよかったのかな?


 つい先ほどまで並河香織さんが『ひいおばあさま』と呼んでいたのは、テーブルに向かい合って椅子に腰掛けている、初老とも若々しいとも思える、不思議な外見をした大人の女性だったはずなのだ。


 けれども、今は。

 テーブルを挟んで向かい合っている、さきほどまで会話していたはずの相手、灰色の髪をした初老の女性は、ぴくりとも動かない。

 代わって『これが本体だ』と名乗ったのは、部屋の隅の暗がりから姿を現した黒髪の幼女。


 外見は十歳くらい。

 透き通るように白い肌、淡い青色の光を放つ双眸。腰まである長い黒髪を二つに分けて束ね、三つ編みのお下げにしている。

 身につけている、ゆったりとしたワンピースみたいな服は、黒い。張りのある薄い生地は、たぶんリネンだろうって思う。


 だけど……生地だとかデザインを考察してる場合じゃないよね。


 こんな、とりとめもないことを考えているなんて、現実逃避かも。

 とうてい理解できないことが起こったら、少しでも自分の知っていることに近づけて、苦し紛れにカテゴリ分けでもしないことには、受け入れられるわけがない。


 ぐるぐると考えてみたけれども、まったくわけがわからなかったので。

 降参します。


「それにしても、アリス。あなたたちが生徒会に相談してくれてよかった。その判断で運命は分岐した」

 香織さんが、微笑む。

 物騒な雰囲気を漂わせて。

 あたしの気のせいでなければ、急に気温が下がったよ。


「分岐?」

 耳慣れないコトバは、よく意味がわからなかった。


『危ないところだったよ。あのストーカー、アリスに執着して、いずれ機会があれば車でちょいと軽くはねて上手くいけば連れ帰って監禁しようと思っていたのだからね。もし間違って轢き殺したとしても死体を持ち帰るつもりでいたサイコパスだ。しかも大物政治家の自称・親族という微妙な立ち位置だった。事件そのものが隠蔽される可能性はあり得た。未然に防げたのは彼ら、キリコとジョルジョの功績といえる』

 ネリー・エマ・オブライエンさんが、真顔で言う。


「くすすっ。憧れのサヤカとアリスから感謝されて直筆サインとハグをもらえたんだから、充分なご褒美になったでしょうね」

 艶然と微笑する、並河香織さん。

 どこか、あたしとは乖離した、遠くの世界で囁かれているような。

 まるで二人の女神が会話しているのを漏れ聞いたかのような。

 

 ……あれ?

 ふと、違和感。


 高級ホテル最上階のレストランで、ネリー・エマ・オブライエンさん(幼女)と並河香織さんと向き合っていた、あたし、月宮アリスは。

 ふいに強烈な目眩に襲われた。


 ちょっと待って?

 なんかおかしい。

 すうっと、意識が、冴えた。


「オブライエンさん。香織さん。あたし……が、憶えているのは、そちらの可能性、でした」

 息が苦しくて、なかなか言葉が出てこない。


「おかしい……だって、あたしは、十六歳の誕生日の前の日に、車に轢かれて……」

 涙が勝手にあふれてきて、こぼれた。


「あたしが無事でここにいるのは、おかしいのに」


 次の瞬間。

 目の前にあったのは、香織さんの顔だった。

 黒い瞳の底に揺れる、明るいブルーの光。

「口にしてはいけないよ」

 人差し指で、あたしの唇を押さえた。

「言霊は『縛る』からね。口に出さずにとどめておいて。きみは、この分岐はお気に召さないのかい? だって、生きのびて幸福を享受するほうがいいだろう? ねえ、アリス。……アイリス。遠い未来の、きみ。悲しい過去なんて忘れて」


 どういう意味なんですかと、あたしは心の中で思う。


『何通りもあるんだよ。世界も、可能性も、未来も、過去も。言ってしまえば、どのルートを通ろうが行き着くところは大した違いなどない。かまわないのさ』

 幼女の声なのか。

 歳経た老女なのか。


「魂に刻まれた傷を癒やすために。きみたちは何度でも転生を繰り返している。それが『世界のことわり』というものだ」


 これは、本当に、並河香織さんなの?

 威厳に満ちて。慈愛に満ちて。

 けれども、とりつくしまもない。

 ヒトの領域を超えた……美しすぎる、その『かたち』に。


『月宮よ。月の巫女よ。現代には、魔法などないと思っているのかい?』

 老女である幼女が、笑う。


「古き神々は、魔女は、精霊は。死に絶え、失われたと、思うかい?」

 並河香織さんの姿をした、なにかが、あたしに告げる。

 深い、ため息を吐いて。


《そなたが望んだのだぞ。月の子よ。つかのまに泡のように浮かんでは消える人の世を、ヒトの中に降りて、間近で見たいと。だから……『月宮』は、生じた》


 オブライエンさんでもない、香織さんでもない。

 二人はただ、海面から突き出して見えている島のようなもので。


 光さえ遮られるほど深く……海底には巨大な……


 女神が、いた。


《思い出すまでもないこと。いまは、お眠り。短く儚い人の世の夢を。幸福に生きて暮らしてくれれば良いのだ……わたしの『親友』。孤独な夜に、ほのかに輝く愛しき友よ》


 

 きっとあたしは、憶えてなどいられない。

 あまりにも、大きすぎる。


 この夢は。

 この、刹那で永遠の、夢は……





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