第9章 その22 王子さまは求婚した
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「おやすみガルシア・アレーナ。願わくば、良き夢を」
妬けるくらいに優しい声で、カルナックお師匠さまはつぶやいた。
漆喰を塗ってある壁を抜けてにじみ出てきた青白い精霊火が、カルナックさまの体が隠れるくらい、おびただしく集まってきて、砂色の塵に群がる。
わたしは、ちょっと引く。
だって野生の獣が獲物に群がって貪り食ってるみたいなんだもの。
しばらくすると精霊火たちは離れていった。
そのあとには何も残っていなかった。
……塵ひとつさえ。
「さて、後片付けだ」
カルナックお師匠さまは、にやりと笑う。
まるで無邪気な子どもを思わせるような明るい笑みだけど、そこそこお師匠さまに接してきた、わたしは騙されないわ。お師匠さまがこんな楽しそうな顔をするときは、絶対にろくでもないことを考えているはずだもの。
カルナックさまは倒れているフェルなんとか王子に近寄ると、むぞうさに肩を蹴った。
「痛っ!」
フェルなんとか王子はびくっとして、短く叫んだ。
「やっぱり狸寝入りだったか」
カルナックさま、ほんとに楽しそう。
王子のそばにしゃがみ込み衣服の胸もとをつかんで引き起こす。
次に口にしたのは意外な言葉だった。
「君は亡命したいんだろう?」
「え?」
きょとんとしてまばたきをする、フェルなんとか王子。
カルナックさまは、彼にとって思ってもいなかったような展開に理解が追いつかない様子フェルなんとか王子に対して、さらに追い打ち。考えるゆとりを与えまいとするかのように追い詰める。
「うむ、そのはずだ。それしかあり得ない。王族とはいえ独断専行だったのだろう。こんな大それたことをしでかしてはレギオン王国における君の立場も未来もない。いや、むしろそれが狙いだったかな? 亡命して退路を断てば、十五位の王位継承者でしかないというのに頻繁に生命を狙われている君の周辺は安全になる。もちろん、王子を生みはしたが身分が低く妃の座を望むべくもない、君の母上も」
「母上も!? 母上も共に亡命できるのか!?」
フェルナンデス王子の顔が、ぱあっと輝いた。
身を起こして顔から近づこうとするのを、カルナックさまは彼の肩に手を当てて制した。
「とはいえ、今ここで君と母上を攫って帰るわけにもいかないからね、搦め手から交渉してあげる。そう遠くないうちにエルレーン公国立学院に留学できるよう手配をしておく。君は面白い才能を持っている。一つ、貸しだ。私の講座をとりなさい。ただし、私はどこの王族だろうが特別扱いはしないよ」
「ありがたい。国を離れられるならば、願ったりかなったりだ」
素直な表情で、何度も礼を述べるフェル君。
ふしぎだ。『砂のガルシア』に魅入られていた時とは別人みたいな礼儀正しさ。
「そ、そして、その…」
急にフェル君は言葉につまった。
「さっきは、すまなかった。アイリスとやら。気を悪くしないでくれるといいのだが」
「あら、王子さまは、わたしの気分なんて考えなくてもいいんじゃない。うちは、ただの平民の商人ですから」
……ただ、少しばかり裕福で、昔からある家で、恵まれているかもだけどね。
わたしの両脇には未だにうなり声を上げている『牙』と『夜』がひかえて伏せている。
二頭とも警戒心を解いていない。
「いや、悪かったのは俺だ。思い返せば、まじない師といつ知り合ったのか、思い出せんのだ。正体のわからぬ者にたぶらかされて。隣国の国民を脅かした。アイリス、きみに会えてよかった。今回は、本当にすまなかった」
こんなに率直に謝ってくるなんて意外だ。
「気にしないでいいのに、王子さま」
わたしはにっこり笑った。
正面にいるフェル王子の顔が、なんで赤くなっているか、なんてことは。どうだって構わないの!
「アイリス、それくらいにしてやりなさい。君、自覚ないだろうけど桁外れの魔力で王子をうっかり屈服させてしまいそうだよ。あれを従魔にでもする気かな?」
「えっ! いやだわお師匠さまったら、そんなこと、思ってません! その手があったか、なんて!」
わたしの両隣で、白と黒の毛並みをした従魔が「わん」「わふん」と鳴いて同意してくれた。
「それならいいんだ。弟子がやばいやつだなんてことになったら、私にも責任があるからね」
お師匠さまは、低く、不穏に笑った。
「ところで私はレギオン王国では、それなりに伝手がある。だからある程度はもみ消し工作もできるが、あまり期待しないでほしいね」
フェルナンデス王子に告げる。
「お願いします! 母上を助けるのに、力を貸していただけないだろうか」
フェル君たら、土下座したわ!
お母さまのためにカルナックさまに土下座もできる熱意は、ちょっと感動的でした。
「いいだろう。もとはといえばガルシア・アレーナが示唆したようだしな」
ほんの少しだけ、お師匠様の表情に、揺れがある。
動揺なんてめったに見せない人なのに。
「お師匠さま。その、あの人は、いったい?」
思い切ってたずねてみた。
するとカルナックさまは、ふしぎな青い光をたたえた瞳で、わたしを見た。
どこまで見通されているのだろうか。
怖くなる。
「……ナイショだよ」
人差し指を唇の前に立てて、くすりと、笑う。
ああよかった、わたしは秘密を知らなくてもいいのだと、安心しかけたとき、その、自分に都合の良い期待は打ち砕かれる。カルナックさまが、気を変えてしまったから。
「でも、そうだね、ある程度は開示してもいいかな。アレーナは禁忌の魔術を行った魔女だ。500年前のことだよ、当時、まだグーリアは建国される前で、のちの皇帝ガルデルがすべての肉親、親族、側仕えから奴隷たちに至るまで殺して生贄に捧げ不老不死を願う禁忌の儀式を行ったときに殺されたうちの一人だ。彼女は死にきれず、自らを回復するために、側に居た十人ほどの仲間の命を奪い自分のものにして生き延びた。だが、その罪によって、普通に死ぬことはできなくなった。それ以来、世界に還ることもできないで彷徨っているのさ。私はこれでも、ガルシア・アレーナを救いたいと願っている。……育ての母を失いたくなくて悪魔と取引をしてもいいと願っていた私と、彼女は、そう違いは無い境遇だったから」
ひゅっと息を吸い込んで、喉が奇妙な音をたてた。
息が止まった。
冷たい汗が、つたう。
どう反応すればいいっていうの?
なんという巨大爆弾を投げてくださいましたのお師匠さま。
言葉を失う、わたしは。
六歳のお披露目会のとき、セラニスが言っていたことを、思い出した。
500年前。
幼かったカルナックさまは、ガルデルという当時の義父に虐待されていた。更に不老不死を願う儀式の生け贄となって死んだ。それを精霊たちに助けられたのだと。
だから……カルナックさまの生命をつないでいるのは、精霊火のエネルギーなのだ。
「どういうことだ」
ここまでの話の後で、さらに立ち入ったことなんか聞けるのはフェルナンデス王子くらいだ。
デリカシーのかけらもないんだから!
「……フェルナンデス。君、母上のためなら、好きでもない男に身を任せることぐらいできるだろう?」
カルナックさまは、ひやりとした声で、言った。
「えっ」
フェル君の表情が、驚愕に変わり、顔色は蒼白になった。
カルナックさまは、静かに、ひやりとした笑みを浮かべた。
「昔の話だよ。もう五百年も前のことだ。そのとき私はそうした。それだけの話だ」
「……お、俺は…」
さすがにフェル君も察したのだろう。赤くなったり青くなったり。そして床に視線を落として、うなだれる。
「……すまない」
「このバカ!」
思わずわたしは、手を出してしまった。
駆け寄って、フェル君を殴ったのだ。
グーパンチで。
ただし魔法を乗せているから、ただの六歳幼女のパンチじゃない。
なんか知らないけど。
バキッ!
すごい音がして、
フェルナンデス王子は盛大に吹っ飛んで、漆喰塗りの壁に激突した。
「ちょっと、やりすぎたかしら。でも後悔はしてないわ!」
てへっと笑った、わたしに。
「まったく、君というやつは、アイリス。どこまでも予想を斜め上に覆してくるね」
眉間を押さえたカルナックお師匠さまは、しばらくしたら、にやりと、いつもみたいな悪そうな笑みで答えてくれた。
わたしたち、同士ですよね、お師匠さま!?
「よし、じゃあ帰ろう。君の家族も、それにサファイアたちも心配しているだろうからね」
お師匠さまは手をかざして、床の上に新たな魔法陣を描いた。
魔法の軌跡が、銀色の神々しい炎をあげて床を這う。
「この魔法陣は一回限りだ。だからフェルナンデス王子には使えないから、安心しなさい」
「ありがとうございますお師匠様。なにからなにまで」
「還ろう、君の家に」
手をつないで魔法陣に乗る、わたしとカルナック様の背中に。
フェルナンデス君は、振り絞るように声をあげた。
「待ってくれ! 俺は君に謝りたい! そして求婚者の資格を得たい!」
もう、わたしたちは魔法陣の上に出現した銀色の扉を開けて、フェル君のいる部屋から消えてしまうというのに。
「おやおや。どうするねアイリス?」
いたずらっぽく囁いて、お師匠様はウィンクした。
「知りませんっ! どうせもう、これきりだもの!」
……あれ?
どっちに謝るの? フェル君?
そして、どっちに求婚するの?
※
「……っていうことが、あったの!」
わたしは目の前にいるサファイアさんに力説した。
「フェル君が求婚したいのは、カルナックお師匠さまじゃないかしら?」
「どうしてそういう考えになるのかわからないけど、アイリス」
サファイアさんは、出来の悪い子を見るような眼差しをあたしに向けた。
帰還した直後の騒動が少し落ち着いた、子供部屋で。
「ともかく無事に帰ってきてくれて、よかったですわ。わたしを置いていくなんて、お師匠様ったら!」
わたしとカルナックさまが、子供部屋の前に設置してあった転移魔法陣を通って帰還したときの騒ぎといったら!
仕事で留守だったはずの両親も帰ってきていて、サファイアさんとメイドさんたちとか護衛のために我が家を監視してくれてた魔法使いさんたちも取り囲んで。
それに、わたしとしてはパオラさんとパウルくんを転移魔法陣に巻き込まなくて良かったって安心していたんだけど二人にとっては大問題だったらしくて、抱きついて大声で、わんわん泣き出して、それから「よかった」「ぶじで」って、引きつれたようにかすれた声で、言ってくれた。
すごい熱気だった。
「あの、ごめんね、みんな」
謝り倒すしかない、わたし。
「心配したんですから! 無茶しないで下さいお嬢さま!」
わたしの専属メイドのローサを筆頭に、メイド長のエウニーケさんやメイドさんたち全員にお叱りを受けてしまいました。
もちろん執事のバルドルさんにも。
バルドルさんに怒られるなんて、人生初のできごとだったわ。
「大丈夫です。わたしは無事だしカルナック様に助けていただきました。それに、これ、ぜんぶカルナック様のせいですよね!」
「は? 私のせいか!?」
カルナックさまが焦ってるけど、知らないわ。
「だって一番の責任者でしょ?」
「ううむ。まあ、そうだけど……」
「だから、説明お願いしますね。両親へのフォローとか、みなさんを安心させてください。頼みますねカルナックお師匠さま!」
わたしをおとり捜査に使ったんだもん。
これくらい、やって頂きます!
でも、そうねえ。
入院してるエステリオ・アウル叔父さまには内緒にしといてって、みんなにお願いしておかなきゃね。
エステリオ・アウルが知ったら、心労で、どうにかなっちゃうかも知れないわ。




