第2章 その2 フィリクスの痛い初恋
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「じゃあ噂を本物にしてみるというのはどうかな。なにせオレの初恋の人は、あなただ」
エルレーン公国、公嗣フィリクスは瞬時も悩まず満面の笑みと共に言い放った。
場の空気をなごませようと思ったのかもしれない。
しかし黒衣を纏った魔法使いカルナックから微笑みを引き出すことはできなかった。むしろ、不機嫌そうな色を強めただけである。
「断る」
「ああっひどい! そんなにきっぱりハッキリと」
「私は忙しいんだ。おまえも暇ではないだろう、公嗣殿下」
「ちぇっ」
肩をすくめて。
公嗣フィリクスは、銀色に光る転移魔法陣の上に立っているカルナックに、優雅な仕草で手をさしのべる。
「敬愛する我が師よ。内密の話ゆえ、この館の中で唯一、外界から守られている我が城にお越しを」
「素直に、自室に来いと言えばいいだろう」
差し伸べられた手には触れずに、黒い杖を携えた『漆黒の魔法使いカルナック』は魔法陣から足を踏み出した。
微かに、鈴が鳴った。
人の目には見えない水面が、揺れる。
※
フィリクス公嗣の私邸の奥に、重厚な樫の扉がある。
それは彼以外の人間の出入りを禁じる象徴。
扉の前に控えていたのは赤い髪の騎士と、金髪のメイドである。
侍従長のケインが合図をすると、二人とも引き下がっていった。
フィリクス、黒髪のケイン、つづいてカルナックが、扉をくぐる。
カルナックは入りざまに振り返り、ドアが閉じていないことを確認した。人払いをするのだから、ここでの会話を知るものは腹心であるケインしかいないことになる。
「ここは久しぶりだよね? ちょっと模様替えとかしたんだよ」
弾んだ声をあげるフィリクス。
「早く用件を言え」
「せっかく来てくれたのになあ」
一言、ため息を吐いて。
「あなた自分が有名人だって自覚ないよね? 大公が開催している大事な宴会の途中で退席するなんて。取り巻き連中も『やっぱり公女殿下が普通程度の魔力しか持ってないから』なんて聞こえよがしに言い寄ってくるんだよねえ」
フィリクスは奥に据えられたソファに、腰を下ろした。
「シアも残念がって、『カルナックさまはおかえりになっちゃったの? シアのこと、おきらいなの?』って、オレに聞くんだよ。かわいそうでさあ。まあ、侍従たちに言ったところでどうしようもないってのも、三歳にしてすでに知ってるからさ。不自由なもんだよ王侯貴族なんて」
「私が宴席に長居しないことは周知のはずだ。人の食べるものを口にできないのだから」
「そこはかわいい弟子のために我慢してくれたってよくない? この場合はオレのことだけど。パーティーってのは飲食だけが目的じゃない。社交界っていう面倒臭いモノがあってね。シアの後ろ盾に魔導師協会がついてくれれば、魔力が少なくてもなんとか世渡りできるから……って、大公にも頼まれてるし~。力関係的に、他の公子たちに抜きんでておきたいんだよね」
「本題に入れ。まったく、私と二人になると、相変わらず子どものようだな。初めて会ったときと変わらない」
「だって忘れられるわけないよ。あなたは命の恩人、初恋だから……ところで、今夜、シアと同じく三歳の『魔力診』をむかえたラゼル家の娘……アイリスっていうんだってね。どんな子なんだい。あ、気にしないで。ちょっとした確認だよ。あなたと同じくらい桁外れの魔力を持ってるって噂だから。……困ったことにね。おかげで、このオレが娶ればいいというやつらが湧いてねえ」
「相手の意思を考慮しないで勝手に決める。はなはだ貴族らしいことだ。しかしラゼル家は大商人とはいえ平民だ。大公妃になどなれないだろう。非常に不快だが、ゆくすえは公の愛人か」
カルナックの言葉に、怒気が籠もった。
「そう、大公の公妾として。もちろん、オレは関係ない。初恋のあなたに生涯を捧げる。だが、他の公子たちが狙っているという情報もある。ラゼル家のご令嬢には、最大限に気をつけてやることを勧めるね。シアだってもしも魔力が人並み以上にあったなら、婚約者候補として各陣営から引っ張りだこになっただろう。そう考える奴らが、ごまんといるのさ」
「シアもアイリスも、まだ三歳になったばかりだ。だが、忠告は感謝する。予防策をこうじておかなくてはならないようだ」
「いいなあ。アイリスって子が、うらやましいよ。弟子にしてもらえて、いつも連れてる従魔まで護衛として与えるほどのお気に入りだななんて」
「与えてない。従魔たちは貸しただけだ」
「どっちにしてもさ。不用心に護衛を手放してよかったのかな? カルナック様」
フィリクスはくすっと笑った。
「最初に言ったよ。模様替えしたって。この部屋、最新技術を取り入れたんだ。……サウダージ共和国の若い商人が接触してきてね」
フィリクス公嗣の満面の笑みに、わずかに陰が差した。
「恋を叶えたいなら、リスクを恐れるなと、アドバイスをくれた。赤毛と暗赤色の目をした、あいつが」




