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転生幼女アイリスと虹の女神  作者: 紺野たくみ


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第9章 その4 運命の天秤が傾く

       4


 運命の天秤は、どちらかに傾くべきではない。

 けれど黒の魔法使いカルナック様が差し出した天秤は、大きく傾いていた。『死』のほうへと。


『クリスティーナ・アイーダ。きみは、このままでは大きくなれない。せいぜいもって数年。十歳にも満たないうちに、生命力が枯渇して死ぬ』


 カルナック様の容赦の無い宣告を受けて

 目の前が暗くなった。


 やっと幸せになれると思ったのに。

 そんな残酷な運命ってあるの?

 呼吸も止まって、苦しくて……


 たすけて。


 そのときだった。


 すぱーん!


 軽くて乾いた音が響いた。


「この阿呆!」

 深緑のコマラパ様が、目にも止まらぬ速さでカルナック様の頭を叩いたのだ。

 懐から取り出した、紙を折って束ねたみたいなもので。

 あれ?

 ハリセン?

 そんなわけないよね?


「あいたたたたたっ!」

 漆黒の魔法使いカルナック様は頭を抱えてうずくまった。

「ひど~い~」


「馬鹿もの! ひどいのはおまえさんだ。いくら『先祖還り』で前世の記憶があろうとも、相手はまだ七歳の幼児ではないか。脅してどうする。かわいそうだと思わんか」


「……ぶー。コマラパは昔から女の子には甘いよね」


「誤解されるようなことを言うな」

 コマラパ師はなぜか赤くなった。


「だから、あくまで、このままではって事だから。ちゃんと対処すれば生き延びられるって、このあと説明しようと思ってたのに」


 怒っているコマラパ老師と、高名な魔法使い様なのに、子どもみたいに文句をいうカルナック様。

 なんか、イメージ狂う。


「クリスタ、こっちへおいで」

 エルナト様が手をさしのべてくれた。そうするとあたしはつい、近づいてしまう。

 抱き上げてソファに座らせてくれた。

 ぽんぽんと、すっごく小さい子にするみたいに背中を撫でて。


「今まで説明しなくて、ごめん。大丈夫だよ。これからは我がアンティグア家がきみの家、家族だ。全力できみを守るから、安心して」

「エルナト様。あたし、生きられるの?」

「もちろんだよ。それに、きみは我が家の娘になった。わたしの正式な妹だよ」

「いもうと」

 あたしは呆然とつぶやく。

 前世では母親しかいなかった。父親の話題は出なかったから聞いてはいけない気がしていた。死別したか離婚か、わからない。

 ……異世界に転生した今となっては、どうでもいいことだけど。


「エルナト様……おにいさま?」


「そうだよ」


「いいの? 天使みたいなエルナト様を、おにいさまって」


「クリスティーナ、わたしのことも『お父様』と」

「わたしのことも『お母様』と呼んで」

 エルナンドお父様とアウラお母様もやってきた。


「怖がらせるつもりではなかったんだが、すまなかった」

 ばつが悪そうな表情のカルナック様が近づいて、エルナト様に抱っこしてもらっているあたしの頭を撫でて、微笑んだ。

 慈愛に満ちた笑み。

「クリスティーナ・アイーダ。きみは本来、とてつもなく強大な魔力を持って生まれてきていた。だから身体の方は魔力を惜しみなく使うようにできている。ところが魔力の生成ができていない」


「身体の成長が遅れているのは、そのためなのだ」

 コマラパ様は、言いにくそうに、息を吐いた。


「魔力を生成する器官……精霊族セレナンたちは『魔力核』と呼ぶ。その器官が損なわれて……いや、本当のことを言おう。奪われている。何者かによって。おそらく、きみや他の子どもたちが捕らわれていた、あの施設で」


 再び、目の前が暗くなった。

 吐き気がした。

 心臓が、ひどく冷たくなっていく。


「だいじょうぶだ。対処できる」

 カルナック様が、握ってくれた手から。

 エルナト様が、抱っこしてくれている、腕から。

 温かい、大きな力が、流れ込んでくる。


「これを、もっと飲みなさい」

 さっきも頂いた、細かい泡のたちのぼる、特別なお水を、カルナック様が、くれて。


 あたしは水をすする。

 ゆっくりでなければ飲めない。とても濃密なのだ。

 取り込んだ水は、身体を温め、こわばっていた身体をほぐしてくれる。まるで、血管に詰まっていた血栓がとけていくように思えた。


「祝福された『精霊』の水を、きみに与える。そうすれば当分は大丈夫だ。エルナト、これを預けておく」

 カルナック様は、エルナトお兄様に、手のひらに収まるくらいの大きさの、水晶の結晶を渡した。中身がくりぬいてあって、水が満ちている。

 小さな水筒みたいなもの?


「その内部は『精霊の森』に繋がっている。見た目は小さいが、いくら飲んでも尽きることはない。エルナト、それからエルナンドとアウラも、毎日、グラスに一杯飲みなさい。クリスティーナには何杯でも与えていい」


「お師匠様。あの、ヴィーは」

 心配そうにアウラお母様が口にしたのは、エルナト様の妹ヴィーア・マルファ様。二十歳くらいの赤毛の美女だ。学院に通っていて、今、ここには同席していない。


「もちろんヴィーア・マルファ・アンティグアにも同じものを授ける。それも『世界』が赦したことだ」

 カルナック様は、満面の笑みを浮かべた。


「クリスティーナ・アイーダ。きみは、奪われていた人生を、これから取り戻すんだ」


 ぞくり。


 嬉しいのに。

 幸せなのに。

 なぜか、背筋がざわっとして、寒気がした。


 心臓に突き刺さるトゲのような感触。


 これは……呪い?

 あたしが自分で呪っているのだ、きっと。


『おまえが幸せになんかなれるはずはない』と囁く、心の中にある、『闇』に染まった、あたし自身。


 アンティグア家のお父様、お母様、エルナトお兄様、ヴィーア・マルファお姉様。

 きれいでとても優しい、新しい家族のみんなには言えないことがあるの。


 本当は……あの穴蔵で起こったことを覚えている。

 どれだけ抵抗しても引きずられていった子どもたちの中に、あたしもいたこと。

 あたしたちは奪われるためにいた。

 胸に突き刺さる、赤黒い刃が、心臓をえぐり取った。

 おそろしく冷たくて、

 気味の悪いその感覚が、今でも消えない。


 ……助けて。


 エルナトお兄様。お母様、お父様。ヴィーお姉様。


 そして……

 前世の母親に、あたしのために殺されてしまった親友、有栖。あたしのせいで死にかけた友達。ジョルジョ。

 母親がしたこととはいえ、全ては、間違っていたけどあたしに向けられた愛情のせいで。転生しても、決して赦されない気がした。


 あたしは死者で咎人で幼児だ。

 そしたら、真月まなづきの女神イル・リリヤ様は、あたしを赦してくれるの……?


 目の前が闇に包まれる。


 今度こそ本当に、気が遠くなった。



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