第8章 その31 マクシミリアンくんは今どこに?
31
黒竜くんの背中に乗って高く飛び上がった、あたし、アイリス・リデルは、彼の背中からエルレーン公国首都シ・イル・リリヤを見下ろした。
しだいに夜が明けていくなか、朝の光に包まれて色を取り戻していく街並みは、とっても綺麗。
アーテルくんは、カルナックお師匠さまのところへ連れて行ってくれるって。
ただし、バトルの最中だっていうの。
『カルナックは多分、怒るだろうけどキミの助けがいるってボクを動かしたのはグラウケーだし。キミはそのままでいて。ボクにまかせて。行くよ! 向かうのはエルレーン大公の宮殿の……ん~、地下牢?』
「えっ地下牢ってナニ!?」
いきなり不穏なキーワードにあたしはドキッとした。
待って、今なんかフラグ立ったんじゃ……!?
『まぁいいじゃん? 気にしない気にしない! しっかりボクの鱗をつかんでて。跳ぶから』
次の瞬間、視界がぼやけてグラリと揺れて、周囲に銀色の靄が集まり、渦巻いた。
光が強すぎて何も見えない。
でも、やがてゆっくりと……映像が浮かんできて、焦点を結んでいく。
銀色の光に包まれた空間に、所在なげに佇んでいる少年が見えた。
あたしよりちょっぴり年上かしら。
赤みを帯びた金髪を短く刈り上げ、目は茶色で、上品な顔立ちをしている。顔は健康的に日を浴びてきた肌色で、ちゃんと筋肉のありそうな……もちろんマッチョじゃなくて、年相応に育ったらしい綺麗な体型だ。
「マクシミリアン君!?」
少年は顔を上げて、無表情に、つぶやいた。
「……アイリス……さ、ん?」
『待て! 返事をするなっ! こんなところにヒトなどいないっ』
アーテルくんが険しい声をあげた。
けれど、あたし、うっかり答えてしまった。
「心配してたのよ。今までどうしていたの。どこにいたの?」
「どこ……? おれはずっと……ここに、闇の中に、ひとりで」
マクシミリアンくんは、無表情なまま、右手をあげて、あたしに差し伸べてきた。
「さびしい……んだ。あのひとは、どこ?」
「……!」
胸がつまる。だってマクシミリアンくんは、カルナックさまの庇護のもとにいるって思っていたから。
『アイリス! 答えるな、そこには……』
アーテルくんが焦ってる。でも、あたしは……
あの事件に巻き込まれたマクシミリアンくんに、ずっと罪悪感を抱いていたのだ。
周囲の光が翳り、暗くなっていくのに、マクシミリアンくんに手を差し出してしまう……。
※
あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルの六歳の誕生日。お披露目晩餐会が開かれた。
親戚の方々、ご近所さん、お父さまの仕事関係の人たち、百人以上のお客さまをお招きして、魔道士教会の援助を受けて大々的に開催されたの。
この晩餐会は、ラゼル家の一人娘アイリス・リデル・ティス・ラゼル、つまり、あたしの顔見せと同時に、エステリオ・アウル叔父さまが許婿としてお披露目をした場でもあった。
魔道士協会の長カルナックさまと公国立学院の学院長コマラパ老師が婚約の証人となってくださったの。
お披露目会は順調に行われた。
招待されていない、隠居したはずのヒューゴ-お爺さまが突然おしかけて来なければ。
お爺さまとお父さまが仲違いをしていたせいだけど、当然だと思った。
まったく招かれざる客だったわ。
根拠のないことを言ってお父さまや叔父さまをおとしめたり、あたしに触れようとしたから警備を担当してくださってたエルナトさまたちに捕獲されたのに、いつの間にか抜け出して。
晩餐会をぶち壊しにした。
このときマクシミリアンくんのお父さま、ダンテさんは、この国では所有しているだけで重罪となる『禁止魔道具』を、お披露目の晩餐に持ち込んでしまった。
ダンテさんは拘束され、エルレーン公国の法律で厳しく裁かれることになる。
カルナックさまは、誰かの企みで押しつけられたに違いないとおっしゃってた。お爺さまが黒幕だった可能性が、限りなく高い。
マクシミリアンくんはカルナックさまに見込まれて騎士になる誓いを立てて、お父さまの冤罪を晴らすためにも、カルナックさまを守ろうと頑張ったの。
お爺さまは、いったい、いつから、何をもくろんでいたのか。
ついには、我が家の床下に仕掛けていた『円環呪』を発動させた。
晩餐会にいらした来客の人々から生命力や魔力を吸い上げて『魔の月』に捧げるために、お爺さまが以前から館に用意しておいた仕掛け。
本当に狙われていたのは、エステリオ・アウル叔父さまだった。子供の頃、お爺さまによって『魔の月』に捧げる『生贄』にされた……。
エステリオ・アウルは『魔の月』セラニス・アレム・ダルに憑依されて操られて、カルナックさまに刃物を向けた。
弟子であるエステリオ・アウルを殺せなかったカルナックさまは、深い傷を負った。
あたしは今でも、よくわからない。
セラニスは、どうしたかったんだろう。
あたしの魂に、自分の大切な『システム・イリス』の匂いがしたからって、連れて行って氷漬けにして永遠に自分の側に置くのだとか言ってたけど。
連れて行かれるなんていやだったから抵抗したら、
「面白くないから、もういらない。殺すよ」
こう言った、彼は。
本当は、何が欲しかったの?
そのためにエステリオ・アウル叔父さまも重傷を負って、まだ病院から帰ってこない。叔父さまが幼い頃に起こった誘拐事件も含めて、黒幕だったヒューゴーお爺さまは、自分が発動させた『円環呪』に命を吸い取られて干からびた死体になって発見された……。
事件が終わったなんて、あたしはすっかり安心していたけれど。
ぜんぜん、終わってなんかいなかった。マクシミリアンくんのお父さまも、どうなったの。もし厳格な裁きを受けたら、もしかしたら、あたしの、せい?
あたし、生きててよかったの……?
どんどん、あたりは暗くなっていく。
胸が苦しくて、つぶれそう。
『アイリス! それは本当のマクシミリアンじゃない。ボクだって知ってるよ、誰かを恨んだり憎んだりなんかしないヤツだろ』
ふいに闇を裂いたのは、アーテル・ドラコー(黒竜)の力強い声だった。
それは強い風。
まばゆい光。
『あれはセラニスが残した残滓。キミが怖いから、あちこちに罠を置いてる。なんとかの最後っ屁みたいにさ』
「まさかそんなこと」
『あるんだってば! キミは全く、自分の価値をわかってないにも程がある。さあ、《抜ける》よ! ブレスレットに意識を集中していて。すぐにこの亜空間を抜けるから、目をつぶって。深呼吸して、ボクが良いっていうまで瞼を閉じてて! ったくもう、ヒトってすぐ不幸になる。だけどキミは精霊のお気に入りだ。精霊のことは信じられるだろう?』
すごい勢いでアーテルくんは憤慨した。
深呼吸して、あたし。
六歳幼女のアイリスは自分を信じられなくなる時も、あるかもしれないけれど。
心の奥底で、誰かが呼びかけてくるよ。
とても大きい、あたしの中の誰かが、いつでも支えてくれてるのを、思い出して。
思い出して……
ずっと守ってくれていた、今は卵に戻ってる守護妖精たちを。
カルナックさまが貸してくださった従魔シロとクロの、もふもふの毛皮のことを。
目を閉じて、ブレスレットにはめ込まれた精霊石のことを考える。
透明な石の表面に、ごく明るい、淡い青の光が浮かび上がっている、その光が、強く、強く輝きを増して、あふれ出て、流れ落ちる、光の洪水を。
精霊の光に、溺れる。
『転移』
アーテルくんの頼もしい声が、言った。
どこかで、リィンと、鈴が鳴った。




