第7章 その37 ダンテ、悪酔いする
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エドモント商会代表であるダンテがいるテーブルに、商人たちが挨拶にやってくる。
ダンテはすでに晩餐会が始まる頃合いまでに、商工会のお偉方や有名な商会の代表を尋ねて挨拶を交わしていたので、今頃になって尋ねてくるのはダンテと同じように地方から進出してきて首都シ・イル・リリヤに店舗を構えている商人仲間たちである。
テーブルに同席している黒髪の美女と、赤みを帯びた金髪の、十歳には達していないであろう男子に対して、並々ならぬ関心を寄せているのを隠そうともせずにあれこれと素性を尋ねてきた。
黒髪、黒目の美女とは、カルナックが目くらましをかけて装っている姿である。
ダンテは「妻と長男だ」とだけ答え、詳細は語らなかった。
妻でもない美人と同席しているなどと広まればダンテにとっても、たいそう都合がよろしくなかった。
商人たちは決まって何かしら手土産を携え、今後ともよしみを結びましょうと言い置く。
「お近づきのしるしにお納めください」
とある商人が持ち込んだのは珍しい、北部地方で作られた、陶器の瓶に入れられた酒。あるいは豪奢なカットが施されたグラスの瓶だった。
それら酒瓶などが何本もテーブルに置かれたあとで、丁寧に包装されたいかにも高級品だと主張するような小箱や、細長い箱、そして高級菓子の包みが、みるみる小山のように積み重なる。
「こちらはつまらぬものですが奥様、ご子息様に」
「ありがとうございます。ですが、お受けできません」
ダンテ・エドモントの妻と紹介された黒髪、黒目の美女は、にっこりと微笑み、しかしながらきっぱりと答え、やんわりと贈り物を差し戻した。
「さぞかし名の通った宝飾品の類でございましょうが、わたくしは既婚者ですので、夫の許しがなくては、いただけませんの」
大輪の花が開いたように華やかな笑みを浮かべる。
商人たちは恥じ入ったように顔を赤くし、ダンテに助けを求める。
「エドモント殿、奥様に受け取ってはいただけませんかな」
しかしダンテはむしろ楽し気だ。
「ああ、彼女の言うとおりだ。妻と息子への贈り物は、感謝するが、お気持ちだけお受けしよう。田舎商人の矜持と思ってくれ、妻子の身を飾るものは、おれがあがなうことにしている」
「これはこれは。家族仲がおよろしいことで。失礼、お邪魔をいたしました」
ほとんどの商人は、照れ隠しのように笑って去っていく。
ダンテの長男であるマクシミリアンは、納得がいかないように、首をかしげていた。
「父上、カルナックさまに、母上の身代わりをお願いするおつもりですか」
すると答えたのは忠実な従者であるロイだ。
「こちらのお席に伴侶のご同伴がないのは、口さがない者から、いらぬことを言われかねませんでしょうな」
「だからといって……」
マクシミリアンは、悩んでいた。
(そうか……だからカルナックさまは、おれに付き合って同席してくださったのか)と、結論に達した。
「もうしわけありません、カルナックさま」
「気に病むことはない。きみの父上は、なかなか人気者だな」
商人達の流れが一段落すると、カルナックは興味深そうにダンテの表情を見る。
それに対してダンテは、返答しないことを誤魔化すように、苦笑いをした。
格別にいい顔というわけでもなく醜いわけでもない、くすんだ金髪と褐色の目をした、目立たないこの男ダンテは、まるで黙っているのが怖いかのように、常に会話を絶やさない。
「あいつらと慣れあってもしょうがない。所詮は商売敵だ。こちらの動向は気になるんだろう。家族の名前もへたな相手に知られるのは気に食わん。あんたら正規の魔導師ならしないようなことを金で請けるヤツらもいるんだ」
言った後で、まずかったかとダンテがカルナックの様子を伺う。
するとカルナックは片方の眉をわずかに上げて、いたずらっぽく笑った。
「それはすまなかった。我々も悪徳『呪い師』の存在は掌握しているが、あえて泳がせている者もいるのでな。迷惑をこうむったなら謝罪する。対処もさせてもらう。何かあれば言ってくれ」
「いや、そこまでは。けちな迷惑行為くらいだ。なんてこたぁない」
ダンテが言わないことまでカルナックは読み取る。
「なるほど。妻の名前も顔も首都シ・イル・リリヤでは知られたくなかった。それで息子だけを連れてきた。商売より家族をとるか。面白いな」
「やれやれ。あんたは、面白いかどうかだけで動いていそうだな」
「否定しない」
カルナックは手元の杯を傾けた。
酒ではなく注がれているのは天然発泡水だ。水を飲むといっても口をつける程度。
ダンテが、商売敵への不信感をあらわにしながらも貰った酒だけは抵抗なく受け入れて沢山のグラスを並べているのを見とがめる。
「顔が赤い、ダンテ。おまえも実際のところとりわけ酒に強いわけではないのだ。明らかに飲みすぎだし悪酔いしているぞ。おまえにとって酒は、毒だ」
この忠告は、酒だけのことを言ったわけではなかったのだが、すでに相当な酔いが回っているらしいダンテには、真意は伝わらなかった。
「毒か。そうだなあ。しかしあれだ、酒が進む相手が目の前にいるのでね」
弱音を、吐いた。
「誰のことだ?」
カルナックは周囲を見回した。美女が近くにいるのだろうかと思ったのだ。
「まったく、なんで鈍いかなあ」
ダンテは肩をすくめ、
「……ところで提案があるんだが」
真顔になって、続けた。
「おおそうか。私も忙しい。手短に頼む」
「単刀直入に言わなきゃ通じんだろうが。オレの情夫になれ。あんたが男でも女でも構わん」
「ち、父上!? いったい何を言い出すんですか!」
がたんと音を立ててマクシミリアンが椅子を蹴って立ち上がった。
「ははあ。なるほど、首都シ・イル・リリヤにおける情報源が欲しいわけか」
カルナックはいっこうに動じるでもなく、得心がいったというふうに頷いた。
「はあ!? 違う、そうじゃねえよ!」
ダンテの顔色は赤くなっていた。
本来の彼なら働いたはずの、理性も自制心も、まるで働いていない。
その状態を見てとったカルナックは、肩をすくめて。
「だが、断る。私には何のメリットもない」
にべもなく言い切った。
「だから、損得勘定じゃねえよ、オレは惚れたと言ってるんだ」
懸命に言いつのるダンテ。
しかしカルナックの顔には疑問符が浮かんでいるだけだ。
「……申し訳ないが惚れたとかいうものが私には理解できない」
「あんた、察しが良いくせに、なんでこの方面は鈍いんだ」
あきれ顔のダンテである。
カルナックは、聞き分けのない子どもに対するように達観した表情を浮かべていたのだが、このときのダンテには理解できなかった。
「それに男でも女でも構わないというが、それは外見の皮一枚のこと。おまえは、この私の中身がなにものたるかを知らない。たとえば人間でさえ、ないのだとしたら?」
謎めいた問いかけに、ダンテは、首をかしげた。
「オレには、あんたはこの世ならぬ美しい生き物に見える。それだけだ」
「そうか……恋は盲目と、昔の人は言ったものだったな。……では、私からの忠告を。この世のものならぬ、そんなものに、ヒトは手を触れないがいいのだ」
グラスを手に持ち、残っていた水は料理の器にあけて、カルナック師は席を立つ。そうしながら、目の端で、近くに魔法使いたちが数名、移動してきているのを確認した。
(コマラパも相変わらず過保護だなあ)
と思いつつ。




