第7章 その19 おとり捜査
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ルビー=ティーレは、ドヤ顔で笑った。
「そこはぬかりなく。ヒューゴー老人には懲りてもらいたかったから、誘拐未遂事件の線は、残しておいた」
「まったく困ったご隠居よね! それにしても惜しかったわ。あの穢れない魔力。綺麗な子だった。一目見ただけでも、ずっと側に置いておきたくなるって巷で評判だった。眼福だったもの」
リドラは陶然とした表情でつぶやいた。
「そんなに美少年だったの? 今のアウルからはちょっと想像つかないな」
イリス・マクギリスがそう言うとティーレもリドラも笑い出す。
「イリスはエステリオ・アウルに辛辣だ。エルナトに聞いてた通りだね」
「甘くする必要ないもの。アイリスは早く大きくなって学校へ行ってボーイフレンドができればいいし、エステリオ・アウルは大人の恋人を作ればいい。お付き合いしたいって女の人は、きっといるはずよ」
唇を不満げに尖らせたイリス。
ティーレは、
「そうさねー、確かに大勢いるよ。保有魔力が多いのは特にエルレーン公国においては結婚相手に望まれることだからね。でもエステリオ・アウルは人が良さそうに見えるけど自分の側に他人を近寄らせない。逃げる。そんなところはアイリスも知らないだろう」
「?」
「彼の救いの女神が、アイリスなんだよ」
ティーレとリドラに、生暖かい目で見られている気がする。
イリス・マクギリスは、ぷいっと横を向いた。
「……なんかイヤな予感がするから、この話題は終了!」
「え~、これからが、いいところなのに!」
「リドラさんも真面目にやろう、ね?」
「は、はい~」
「ところでイリス・マクギリス嬢。二十五歳の女性にしては、人間の器が大きく感じるんだけど、ほんとに享年二十五歳? サバ読んでない?」
「怒るわよ」
イリスはティーレを軽く睨む。
「でも疑問に答えてあげるわ。あたしと融合している、もう一つの前世の記憶があるの。それは地球という惑星の滅亡に立ち会った存在、システム・イリス」
「地球の滅亡!?」
「もっと幼い頃のアイリスが悪夢を見ては怯えて泣いたって言ってたよね。それは『夢』じゃなかった。地球最後の生命、人工生命のシステム・イリスの持つ、記憶なの」
「……なんかショックだ!」
「気にすることないわ。あなたたちにとっては遠い未来のことなんだし」
イリス・マクギリスは肩をすくめた。
「システム・イリスは肉体を持たず電脳空間に存在していて、とっくに滅びてしまった人類が残した膨大な記録を管理していたの。生きた人類は姿を消し、全てデータに変換されて、地磁気を利用して構築された電脳世界で生き続けていた。……そうね、詳細は省くわ。今は関係ないし。つまり、あたしは二十五歳のうら若き女性だけど、一万年も生きたシステム・イリスであった部分も、影響してるのは否めない」
「ってことは、耳年増?」
サファイア=リドラの言い方では身も蓋もない。
「ん~。確かにそうだけど。そういうと、途端に格調高くなくなるわね」
イリス・マクギリスは顔をしかめた。
「疑問には答えたわ。これからどうする予定なの。つまり、今日のことだけど」
これにはルビー=ティーレの表情が明るくなる。
本領発揮だ。
「説明するよ。館の内部に配置されている魔導師は、すでに十五人以上いる。昼までには3倍の人数が動員される。このあたり一帯の、魔力の流れを全て記録し、怪しいものをリストアップ。魔術が動いたらすぐに割り出し対応、術士を追跡。ここまでは完璧。なんだけど……」
「問題でも?」
「正式にはお披露目会は午後の茶会から始まることになっている。だけど、昼食時に押しかけてくる招かれざる客も想定しなければならない」
「招待してないのに?」
「野心のある者にとって、こんなおいしい機会はないんだ。大陸有数の大商人の一人娘。愛くるしくて将来美人になること間違いなし。保有魔力も豊富だ。おまけに貴族なら機嫌を損ねれば自分の身が危ういが、ラゼル家は商人。少しくらい仲がこじれても首は飛ばない。早くからよしみを結びたいとか、顔を売っておきたいとかいうやつらが来るに決まってる」
「え~!? 内輪でひっそりお披露目だと思ってたわ!」
イリス・マクギリスの呑気な発言。
ルビー=ティーレは、かぶりを振った。
「こんな大きな家でそれは不可能だよ。とことん大事になると覚悟してやるしかない。それに、当局も、ラゼル家にご協力を願っているのさ。大陸全土を股に掛けた人身売買、犯罪組織をあぶり出すために」
イリス・マクギリスは眉を寄せた。
「……念のために聞くけど。これ、おとり捜査なの? 危険じゃないでしょうね?」
それには答えず。
ルビー=ティーレは、どん、と胸板を叩いて、笑った。
「このルビーとサファイアは、カルナック師匠じきじきに使命をおおせつかっている。アイリスお嬢のメイドとしてお披露目会の間、片時もそばを離れず護衛するよ!」
「そのカルナックお師匠様だけど、どうしても外せない用事があって、遅くなるわ。すごく残念がってた。アイリスちゃんの、ルイーゼロッテ渾身の新作ドレスをまとったところ、早く見たかったのにって。わたしも残念! み~んなが驚いてアイリスちゃんの虜になるに違いないもの!」
※
豪商と名高いラゼル家の一人娘アイリスは、これまで家人以外に会うこともなく深窓の令嬢として過ごしてきた。
無事に六歳を迎えたので『お披露目会』と呼ばれる誕生祝いとし、親戚一同や商取引など関係者たちを招待して、午後の茶会と晩餐会をすることになった。
昼時になるころ現れた、『勝手に押しかけた客』たちは、門前払いをくらって邸宅前で座り込みをしていた。
招待状のない客には応じないと、有能執事バルドルが自ら押しかけ客たちを門まで連れ出して丁重にお引き取り願ったのだ。
納得がいかないのはくだんの客たち。せっかく祝いに駆けつけたのだ、名のある商人なら応じるのがすじであると声高に叫ぶ。
「バルドル、座り込みなどされては家業にさわりがある。わが家が吝嗇だと言われるのも名誉に関わる」
当主のマウリシオは、一応は悩むふりをして、あらかじめ打ち合わせておいた通りに、門外の空き地にテーブルを並べ、軽食と飲み物を用意させた。
もちろん騒ぎが起きるのは想定済みだったのだ。
用意させた軽食は、サンドイッチとチーズ、紅茶、フルーツである。酒はない。エルレーン公国は豊かな国だが、大盤振る舞いと言ってよい。
この客達は午後の茶会も晩餐も、おこぼれに預かろうという心づもりだろう。
勝手に持ち込んだ酒を呑んで騒ぐ強者までいた。
※
「この騒ぎ、誰かが煽ってますね」
「物を壊すなど被害が出ないようなら放っておけとカルナック師匠は言われた」
館のなかで、控えの間に詰めていたのはエステリオ・アウルとエルナトだ。
二人の前には水を張った水盤がある。
水鏡に館の内外の様子を映しては、危険があるかどうかを見ているのだ。
同じように、または違う方法で安全を確認している魔法使いたちも十人以上配置されていた。
格闘術に長けた者たち。
使用人に扮して、目立たないように家人護衛の任務についている者たち。
魔法使いと国家警察の合同配備。
滅多に行われることではない。
「それにしても、エル。まだ最重要な危険人物が来ていない」
「珍しいな。アウルがそう言うとは」
「ヒューゴー・マルティン・ロペス・ティス・ラゼル。ラゼル商会の、前当主。未だに権力は保有しているようだが」
実父の名前を無表情に言い捨てた、エステリオ・アウルだった。
「絶対、昼には押しかけて来ると思ったのに」
苦虫を噛みつぶしたような顔で。
「待てばいい。いずれ必ず来る。ヒューゴー老は」
エルナトは冷静に、言った。