第1章 その21 漆黒の魔法使いカルナック
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「いいかげんにしないか!」
先ほどテノール青年を諫めていた、父親らしき男性が飛んできて、彼を捕まえ、頭を床に押しつけた。
「なんということを『漆黒の魔法使いカルナック』様に向かって! このお方は《世界の大いなる意思》の代行者、神聖なる存在だと、幼い頃から教えていたのに。いったい何を聞いていたのだ! この喜ばしき祝宴に、おまえを連れてくるのではなかった! ラゼル家の方々にも、我が家の親戚縁者一同にも、顔向けができん」
そして自ら、深く頭を垂れる。
額が床をこするほどに。
「カルナック様! 申し訳ございません! わたくしはザイール家の当主、テルミス・ゲン・ルミナリエ・ザイールにございます。わが息子テノールの妄言、お詫びのしようもございません。今後は、跡継ぎ候補から外し、厳しく監視のもとに再教育を施します。どうか」
ゆっくりと顔を上げて、悲壮な表情で、言った。
「愚かな息子を、いかようにも罰してください」
「なにを! 親父、オレが何をしたっていうんだ」
焦ったようすでテノール青年が叫んだ。
「それもわからんのか! 大馬鹿ものが!」
そのときだった。
静まりかえっていた大広間に、ふいに、高らかな笑い声が響いた。
漆黒の魔法使いカルナックが笑ったのだ。たのしげに。
「ザイール家の当主テルミス殿。あなたのことを、私は高く評価している。その覚悟に免じて、今回の、私に対する侮辱に限っては、赦す。息子を厳しく教育し直すとの言葉を信じよう」
それから、ふっと柔らかく微笑んだ。
「それに、この手の噂を初めて耳にしたわけでもないし。まぁ、しょうがないかな。何しろ私は、こんなに若々しくてキレイだし」
「自分で言うか?」
コマラパ老師は、苦笑いをした。
「いいじゃないか。コマラパも枯れきった爺さんじゃなくて、まだまだ愛人を身近に侍らせる甲斐性があると思われてるんだから」
「よくないわい。名誉毀損じゃ」
憤慨するコマラパ老師さま。
「頭が固いと、老けるよ?」
くくっと、カルナックさまは小さく笑った。
「それにテノール君は、私の身の上に同情しているようだったよ。魔法使いになりたい一心で、権力を持った魔導師協会の重鎮であるじじいの愛人になってるなんて噂を真に受けたとしたら、普通、なんてかわいそうなんだって、思うよねえ。だから私へのセクハラ……いや、失礼な発言に限っては、赦す」
あれ? いま、セクハラって?
カルナックさま、日本語ですか!?
乳母やのサリーは緊張して、あたし、アイリスをしっかり抱きしめたままだし、お父さまお母さま叔父さまも怒りを抑えてないようすだけど、さっき「また死んじゃうのかな?」って放心状態になっていたあたしの、恐怖と緊張はしだいに、ほぐれ始めていた。
このひと……カルナックさまは、あたしたちを助けに来てくれたの?
「ただし、所持するだけで重罪となる『サウダージ産の魔道具』を『魔力診』の宴席に持ち込んだこと、大陸全土における名家ラゼル家の正当なる跡継ぎであるアイリス・リデル・ティス・ラゼル嬢を魔道具のナイフで襲撃した罪は、アイリス嬢に怪我がなかったとはいえ、なかったことにはできない。ともかく証拠品の凶器は押収する」
テノール青年が持っていた、禍々しい赤い色をしたナイフをいつの間にか拾い上げて、どこからか取り出した黒いカバンみたいなものの口を開けて放り込んだ。
それからテルミスさんがおさえつけているテノール青年に、歩み寄る。ひとあし踏み出すごとに、足首にしているアンクレットの鈴が、小さな音を響かせる。
魔除けの鈴だろうか?
かすかな音が、波のようにひろがっていくと、空気が澄んでいくように思えた。
カルナックさまは、テノール青年の前に屈み込み、彼の顎を手のひらに乗せて持ち上げ、目線を合わせた。
「ふむ。『痕跡』があるな。誰かにそそのかされたか。おまえの『魔力診』を執り行った魔法使いは、その時点では、魔力をほぼ持ち合わせていないことも、成長しても伸びないこと、魔法使いになれないことも、静かに受け入れたと報告しているが」
「オレのことを知っているのか? 魔法使いになれもしない、取るに足らない平民の子のことを」
「私はこの都で起こっていることを全て把握している。おまえはザイール家の跡取り息子。けっして取るに足らない存在などではない」
「……そんな……はずは」
テノール青年の目に、光が戻ってきた。
「それに、間違った思い込みではあったが、私の身の上に同情してくれた、優しい子だ」
「え……オレが?」
意外そうに呟いた、青年の顔から、自暴自棄になっていた、とげとげしさが消えた。
「かわいそうに。……とうの昔に諦めた、けれども心の底ではいつまでも諦めきれずに渇望しつづけていたものに、手が届くよと、誰かに囁かれたなら。人間だ、隙もできるさ」
どうしてかしら。
カルナックさまの言葉に、何か別の思いが重なっているように、あたしは、感じた。
「あああ……」
青年の目に涙が浮かんで。嗚咽がもれた。
「試してみようか。この杖を持ってごらん」
黒曜の杖、と呼ばれていた、全体が真っ黒な『魔法使いの杖』を、差しだした。
「ほ、本当ですか!」
「君が思っているような万能の杖ではないかもしれないよ。それでもいいなら」
「触ってみたいです……」
うっとりと、憧れて。テノール青年は答えた。
カルナックさまはザイール家の当主テルミスさまに、テノール青年を放すように伝え、杖を差し出した。
震える手をのばして、彼は、真っ黒な『黒曜の杖』に触れて、握り込んだ。
「ああ! これが、これが魔力!? これが、魔法の杖!」
喜びに溢れた表情。
が、次の瞬間。
苦痛に歪んだ。
「うぐ……ク、苦しい」
「残念だが、君には合わないようだな。杖を離しなさい」
憐れみを込めながらも、きっぱりと宣告する、カルナックさま。
「い、いやだ。これでオレは、やっと魔法をつかえるんだ……!」
苦しそうなのに、テノール青年は『黒曜の杖』を抱えこむ。
すると……
バチッ!
鋭い音と共に、極小の雷のような光が生じて、テノール青年は、弾かれた。
「うわあああああ! なんでだ! なんで、オレではダメなんだ!?」
涙を流して。
「この杖があれば魔法が使えるなんて、誰に吹き込まれた? この『黒曜の杖』を私にくれたのは、真月の女神イル・リリヤの御使い《色の竜》が一柱《黒竜》。その理由は、君が思っているものとは違う。むしろ、真逆だ」
「どういう意味……」
力なく呟く、テノール青年。
「ごらん。この私を」
不思議なことが起こった。
黒曜の杖から手を離したカルナックさまの瞳が、青く、染まった。まるでブルームーンストーンみたいに。内側から、ほの青い光が浮かび上がったのだ。
それと同時に、身体の、皮膚の表面に、青白い光がにじみ出て、人間の頭ほどもある、光る球体となって、いくつも浮き上がって。
青白い光の球体は、カルナックさまのまわりを離れず、まつわりついて、ふわふわと漂う。
おびただしい数の光球に包まれながらも、カルナックさまが身に纏う黒いローブも、長い黒髪も、決して光を宿すことはなくて、まるで光を吸収してしまう闇、そのもののよう。
「精霊火だ!」
誰かが叫んだ。
その声には、恐怖が、こもっていた。
「精霊火! おお、精霊の魂の火よ! なんとおそれおおい。人の住む家に現れるなんて!」
また、別の声。
それには、畏怖が。こもっていた。
「おお、貴き精霊様! お怒りでございましょうか!? お赦しを!」
「夜と死を支配する貴きお方、真月の女神イル・リリヤ様! どうかお慈悲を」
涙を流して、床にひれ伏し、この世の最高神であるイル・リリヤさまの御名を唱え、震える者たち。
でも、
これ……精霊火って……。
たった今、
カルナックさまの身体から、皮膚からにじみ出て来たよね!?




