第6章 その40 逃げられないランギ
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「お兄さま、ねえ?」
カルナックは僅かに眉を寄せる。
「シェーラはかわいいけど。コマラパが『お兄さま』と呼ばれるなんて、どうしたって違和感あるなあ」
「お褒めいただいても、何もお返しできませんわよ」
シェーラザードは上機嫌である。カルナックの言葉の後半には答えていないのだったが。
「カルナック。すじで言えば我が師匠の青竜様の娘ごなのだから、兄というのはおかしくなかろう」
コマラパはまんざらでもなさそうだ。
肩に乗っている青い小さな竜は青竜の分身。常に師に見られているわけなのだ。
青い小型竜は、パチパチと火花を放った。上機嫌なようだ。
「……シェーラ、おれへの態度と、えらく違うじゃねえか」
ランギは不服げだ。
「あら当然よ」
満面の笑みで、シェーラザード。
「コマラパお兄さまとアール兄さま、イルダ姉さまは、お母さまとお父さまのお弟子だから。カルナックさまもだし。だけどギィは、あたしが街で拾ったのだもの! だから、このシェーラの、げぼくなの!」
「下僕かよ!」
するとカルナックは笑いだした。
「すまないね苦労をかける。この子は人の世の経験が少ないから、言葉選びが間違っていることも多くて。不満はあるだろうがシェーラザードは《世界》がえこひいきしている恩寵の子。大目に見てやってくれないか。ランギのような大人が傍にいてくれれば安心だ」
「ものは言いようだ。つまり、おれは世話係かよ」
ランギは肩を落とした。
「まあまあ。衣食住は保証するし報酬もはずむから」
「シェーラの宝石代でぜんぶ消えそうだけどな」
それは単なる事実だった。
「そうだな。なにせドラゴンだ。どの個体も何かしら溜め込む傾向は、確かにあるね。シェーラは宝石か。アーテルなんかは、整理整頓もしないで何でも集めているよ」
「あら、アーテルと一緒にしないでくださいませ! お父さまとお母さまは、そんなことないですの!」
シェーラは、アーテル(黒竜)が聞いたら怒りそうなことをいう。
「あたしは宝石が好きですけど。溜め込みはしてないもの」
体をゆすって笑う。
歩むごとに、じゃらりと、装身具が揺れて音を立てる。
「確かに溜め込みはしてないね」
ネックレス、指輪、腕輪、持っているものをどれもこれもほぼ全て身に着けているシェーラを見やり、カルナックは苦笑する。
そこで言葉を切り、後ろに視線を向ける。
「ところで紹介したい人がいるんだ。このエルレーン公国の重要人物だよ」
テーブル席に座っていた人物が立ち上がる。
まず一人、肩までのばした金髪に金茶色の瞳をした、体格の良い青年。
体を鍛え上げているらしく、筋肉はほどほどについている、武人を思わせる雰囲気をまとっていたが、粗野なところは微塵もない。なおかつ、隠しようのない気品が漂う。
「カルナック、紹介してもらえるのかな」
笑みを浮かべ、青年が近寄ってきた。
「青と白の姫君にはご機嫌麗しく。我らヒトは女神の掌の上。人知を超える方々にお会いできるとは身に余る光栄に存じます」
上品な物腰で、上体を傾ける。彼の立場でできる最上級の敬意である。
「シェーラザード。こちらはフィリクス。身分と正式な名前は、まだ明かせない。竜の君ならお見通しかもしれないがね。見ての通りの若輩者だが、根は悪くない子なんだ。女神にも許されている、表も裏もすべてひっくるめて我々のことを知る存在でもある」
「お見知りおきを」
「そして、エルナト。私の弟子で魔法医者だ。君に興味があるそうでね」
「お初にお目にかかります。わたしはエルナト。お美しい! なんという奇跡の姫。お会いできるとは夢にも思いませんでした」
色の薄い金髪を背中まで垂らした青年。こちらは武人らしき佇まいはなく、洗練された物腰と、整った顔立ちから、高位の貴族だろうと察せられる。
「フィリクス、エルナト。シェーラは竜だが、こちらの男性はランギ。いまのところはこの首都シ・イル・リリヤの街中を『古紙の買い付け商人』ギィとして回ってもらっている。移動駄菓子、小間物屋も兼業だ。シェーラの……ななんだろう、世話人だよ」
「よろしくお願いしますで、旦那様がた。おれは一介の紙買いですで、窮屈なことは苦手でさぁ。失礼があるかもしれやせんが気に障ることがありやしたら、言ってくだせえ」
すっかり街の中年おやじになりきったランギ。
フィリクスとエルナトは、ほんの一瞬、目を丸くし、ついで、笑いだした。
「承知しました。そういうことにするんですね」
「さすがですね、一分の隙も無い」
「おれは本当に平民で裏通りの流しの紙買いで」
へりくだるランギ。
「ああ、そう、素性は隠しておられるのでしょう。これは失礼、任務の邪魔などいたしませんよ」
「まったくだ。我々も好奇心を発揮してしまって、申し訳なかった」
貴人二人は、ランギが懸命に「たいした者ではない平民の商人だ」と言い張っても、信じてくれない。なお悪いことに「そうでしょうそうでしょう」と頷くのに、信じていないと丸わかり。
しまいにはランギも説明をあきらめた。
(おれも素性はよく知らないが、竜にもヒト型にもなれる若い娘っこ(シェーラザード)を連れてるのは、たしかだしなあ)
ランギは、もとはサウダージの宰相を務める「赤い魔女」の子飼いの『人形』と呼ばれていた下僕だった。赤い魔女の気まぐれから始まった無茶ぶりをうけて辺境の島『扶桑』に潜入し、獣神の卵を奪ったこと、そのために竜神たちの怒りをうけて一度は死んだ(おそらく)ことも、わざわざ口にするべきではないのだろう。海に沈んで《世界の大いなる意思》である巨大な女神セレナンに遭ったことも含めて。
「フィリクス、エルナト。少しは控えてくれないか。おいおい、一緒に仕事してもらうこともあるだろうから、紹介したんだよ。現在は、このカルナックの密偵だ。ついでにちゃんと正式に古紙の買いつけも小間物、駄菓子屋もやってるからね」
「やれやれ」
ランギはため息をついた。こっそりと。
「おかげで食う寝るには困らねえ。感謝してますよ、ボス」
「いずれはパウルとパオラにも会わせてあげるから」
「いやそこはいいんで!」
焦るランギ。
「なんで? あの子たち、懐いてるよ? 君が名付け親になってるし」
きょとんとして、カルナック。
「うわあ! やっぱりかー!」頭をかかえるランギ。
「そういうこと。逃げられないよ、ランギ。君、放っとけば勝手に死んでそうだし、そうなったらシェーラザードが泣いて暴れるから、困るんだ」
カルナックの満面の笑みは、ランギにとっては鎖につながれているよという宣告だった。




