第6章 その36 紙買いギィとシェーラザード
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エルレーン公国における五月祭は、年中行事のうちで最大のものである。
エナンデリア大陸中の各国から大勢の人々が集まり、各地の名物を持ち寄る出店が賑わい、華やかな山車が練り歩くパレード、夜には花火もあがる本祭は三日間、前夜祭、後祭りを含めれば五日間以上も続くのだ。
祭りが終われば、人々は後片づけに精を出す。
もとどおりに、ちりも残さない街並みに整えれば、大公閣下から労いの言葉とともに褒美の金もいただける。それでまた来年の祭りの準備にかかれるというものだった。
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エルレーン公国首都シ・イル・リリヤの街路は、大通りから路地裏に至るまで、隙間なく敷石に覆われている。
おかげで馬車や荷馬車も軽快に走ることができる。
大通りからは外れた路地を、小さな荷車が、ゆったりと進んでいた。路地の両側には民家が軒先を連ねており、遊ぶ子供たち、水場に集い洗濯とおしゃべりに余念のない主婦たち、注文をとりにやってくる商家の御用うかがいたちがひっきりなしに行きかい賑わっている。街が豊かであるということをよくあらわしている情景だった。
荷車を御しているのは帽子をかぶった中年男だ。
「ここいらを流して、帰るか。今日のノルマは終わってるしな。なあ、シェーラ」
独り言のように、声を発した。
「きゅうう」
答えたのは、荷車を引いている、生き物だった。
つぶらな、赤い目が、くりくりとしている。愛嬌のある表情に見える。
白い、姫竜と呼ばれる小型の駆竜だった。
それにしても竜がひいている車など、そうそうはいない。ことに体色が高貴の白となればなおさら。そのことは、車を御している男の身分を示すものである。
公的な役職についている者、その証は、姫竜が首に掛けている銀の札だった。
「ギィ!うちに寄っておくれ」
「うちにもだよ」
荷車の歩みがゆっくりなのは、ゆく先々で家々の勝手口から声がかかり、そのたびに車を止めてギィと呼ばれた荷主が下るためである。
「書き損じの紙をためといたからね」
「しわになってても子供がつづり方の練習をした帳面でもいいんだよねえ?」
主婦たちが持ち込む紙の重さをはかって買い付ける。代金は銅貨、または、同じ目方の『リリヤ様の思し召し』なる紙の束と交換する。
これは古紙を集めて漉き直した再生紙で、やわらかいので用を足すのにはうってつけだった。下水に流せばきれいにほぐれて自然に還る。
紙屑買い。暮らしになくてはならないもの。それがギィのなりわいだ。
「おじさん、きょうは紙芝居しないの」
「お菓子は売ってないの」
荷車をとめれば、子供たちも寄ってくる。
「シェーラ。かわいい」
白い姫竜に近寄る子供もいたが、無遠慮にではない。高貴の白は公嗣フィリクスの愛用する騎士竜の色である。触れるのもおそれおおい。公嗣フィリクスは、おとぎ話の王子のようなもの。女の子たちは憧れの目で、うっとりとながめる。
「きょうは紙買いのほうだからな。また、明日な」
ギィはそう言って、子供たちのてのひらに、飴玉をひとつずつのせてやった。
路地裏を抜け、洗濯が終わって人けがなくなった水場まで来ると、ギィは手綱を軽く引く。
「そろそろ帰るか、シェーラザード」
「きゅう」
一声、竜が鳴く。
するとシェーラザードが首にかけていた銀の札が光を放った。
札の表面は認可状。裏面には、小さな魔方陣が刻まれている。それが、発動したのだった。




