第1章 その19 仕掛けられた『嫉妬』の罠
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コマラパ老師さまは、あたし、三歳の誕生日を迎えたアイリス・リデル・ティス・ラゼルの「魔力診」の結果を夜会の席上で発表した。
保有魔力の多さ、質の高さからいって、魔導師協会が定める魔力の基準で《AAA》クラスである、と。
そして付け加えた。
これは有名な《漆黒の魔法使いカルナック》に次ぐ資質である、と。
会場は静まりかえった。
たぶん、お集まりの紳士淑女のみなさま方には、ほぼ理解できなかったんじゃないかな。あまりにも途方もない話だもの。
……そう思っていた矢先でした。
ふいに、広間に怒号が響きわたったのです。
「ふざけるな! そんなガキが《AAA》で!? いずれ《SSS》だぁ!? 常識的に考えてありえねえだろ、このボケ老人が! マウリシオにいくら金をもらってクソ芝居打ってんだ! 化けの皮を剥いでやる!」
怒り狂っている、青年。
がっしりした体格で、腕力ありそう。
エステリオ叔父さまより少し年上のようだけど、いったい何を言ってるの? コマラパ老師さまの『魔力診』を信じないって?
勝手な思い込みで言いがかりをつけているとしか思えない。
「あれは誰」
「めでたい宴席で騒ぐなんて恥ずかしい」
「ザイール家のご子息よ、ほら」
「ああ……テノールか。魔力なしの子だったな」
「気が違ったのかしら」
「やっかみですよ。テノールは落ちこぼれだそうだし」
広間に集まったお客さまたちがざわめく。
この国では、魔力の多いほうが社会的に成功できる。
進路の選択肢が増えるし、良い学校へ進んだりもできるのだ。
逆に、魔力がなければ、私塾へ通って読み書き計算を身につけ、早くから社会に出て働くことも多い。
テノール青年のザイール家は財力があったのだろう、どこかの学校に通っているみたい。
やがて、青年を諫めた声があった。
体格のいい中年男性だ。
「テノール、おまえは魔力も魔法の才能もないと『魔力診』で判定されて、魔法使いは諦め他の道を探すと言っていたのに。目指していた道はどうなったのだ。わがザイール家の恥さらしだ、やめんか!」
「うっせええええ! てめーなんざ、親でもなんでもねえよ! どけ!」
止めようとしたザイール家の当主らしき人を突き飛ばして、青年は、狂ったように吠えた。
「がああああああああっ!!」
「やめろ、テノール」
「なんで、おれには、生まれ持った『才能』が、ねえんだよ! おれは諦めたのに、それなのに、なんで、溢れるほど! 抱えきれねえくらいに持ってるガキが、いるんだよ!」
振り絞るように、悔しそうな声をあげて。
この青年、さっき紹介された、お父さまのいとこの嫁ぎ先のきょうだいの息子、だったかしら? それってすでに血縁なんかじゃないよねって、軽く考えていた、あたし。
甘かったのかな。
でも、
人それぞれの適材適所とか、あると思うの。
彼は魔法使いになりたくて、素質がないから諦めたのね。
だけど諦めきれなかった。
テノール青年は、どす黒い悪意に染まった顔をして、
「うぎゃああああああああぁあ!」
絶叫しながら突進してきた。
何か、手に持っている。
ナイフ?
赤黒い刃が、ぎらりと光った。
この広間にも、あたしたちがいる奥の席にも、魔法の防壁が展開されているはず。
ところが、凶暴化した青年の持っている小型のナイフは、魔法の防壁を切り裂いた。
「ばかな! ありえん」
コマラパ老師さまは叫び。
最初に、乳母やが、あたしを強く抱きしめて屈んだ。
お母さまが、乳母やの前に飛び出して。
お父さまが、お母さまと乳母やとあたしを庇って前に立って。
エステリオ叔父さまが、お父さまごと家族を守るように最前列に出て、青年を睨み付ける。
ローサとメイドさんたちもバルドルさんもエウニーケさんも、驚きあわててる。親戚ばかりを招いた夜会、危険な事態に陥るはずはないとみんな信じていたはず。
コマラパ老師さまも瞬時に動いていた。咄嗟に、グラスの赤ワインを床に落として、あたしたちの前に半円を描いた、その上で。
テノール青年の進路に立ち塞がったのだ。
最初にぶつかるのはコマラパ老師さま!?
「がぁぁぁああああああ!!!!!!」
もはや理性など感じられない。四つん這いになるかのような勢いで突進してくる、テノール青年。
ふいに。その身体が、赤く変化した。
バリバリと音をたてて膨れあがっていく。
瞳は、赤黒い悪意に染まって。
なんでいろんなことが見えているんだろう、あたし。
走馬燈ってこんなのかな。
時間が止まってるみたいにゆっくりに感じるの。
もしかしたら。
また、死ぬの?
ふとそんなことを思ってしまった、そのときだった。
シャン!
澄み切った鈴の音がした。
最初に見えたのは、白い、素足のつま先。
続いて、足首が。
細いワイヤーに小さな銀の鈴を連ねたアンクレットをつけた、左の足首だけが先に現れた。
その左足首は、コマラパ老師さまがワインで床に引いた半円の中に、トン。と、つま先をつけた。
瞬間。
また、鈴が、鳴った。
足首に装着しているアンクレットの鈴だったんだわ、と。
何がどうなっているのか全くわからないまま、あたしは、虚ろに思っていた。
つづいて、その足首を覆い隠すかのように、真っ黒な衣の裾が、降りてきた。
夜のように黒い、身体をすっぽり包み込む長衣。
あたし、月宮アリスの前世の記憶がいう。「ギリシャ神話とかの神々の着ているものに似てる」
長衣の上に纏うのは漆黒のローブ。
広間の一部が『闇』という刃物でざっくり切り取られたように見えた。
そこには、背の高い人物が立っていた。
闇色の衣と、床まで届く長い黒髪。黒い、長い杖を携えて。
それにしても、なんという、美しい人なんだろう!
整っているとか、美貌だとかでは表現しきれない。神々しい、としか言えないわ。
「なんでこんなことになっているのかなあ? 遅れてきた私を歓迎してくれてるのかい」
その人物は、楽しそうに、声をあげて。
襲ってきたテノール青年のほうに顔を向けた。
下のほうだけ緩く三つ編みにしてある長い黒髪が、その動きにつれて鞭のようにしなった。
ほんの最小限の動きで、テノール青年の振り回していたナイフを杖で打ち払い、彼の手首をしたたかに打ち据えて刃物を弾き飛ばした。
「うごぉ……ダレ、ダ」
あきらかに勝敗は決しているのに、テノール青年の戦う意欲は消えていなかった。
「名乗らないといけない?」
黒髪の人物は、薄い唇の端を持ち上げ、笑みを作った。
「私はカルナック・プーマ。ただの通りすがりだよ。ここは名高いラゼル家だろう。今宵は、ご息女の『魔力診』の夕べ。ここで楽しい夜会をやっていると聞いてきたんだがね?」
少しばかり古めかしい物言いに似合わず、その美しい面差しは、瑞々しく若々しい魅力にあふれていた。
多くみても二十歳くらいかしら?




