第六章 その28 スリーピングビューティー(閑話終了)
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深い、深い眠りだった。
だって眠りと死は、ごく近い間柄だもの。
あたしは深海に沈んでしまおうと決めた。
永遠に凍り付いたまま。
そのはずだったのに。
《やあ、お目覚めかな「眠り姫」こと天沢・美夜?》
魂に響くような声がして。
強引に揺り起こされた。
「いったい何なの。あたしは寝起きが悪いのよ」
横たわったまま答えたつもりだったけれど、声は出なかった。体も声帯も、思うように動かせない。
かたい寝床。
人造大理石でできている、シート部分は褥瘡予防のためにハニカム構造になっている樹脂が覆っているのだ。なぜならあたし、天沢美夜は、さめることのない永い眠りについていたはずだったから。
《そのままでかまわないよ美夜。取引しないか?》
面白がっているような、なにものかの声。空気を揺るがす振動となって伝わってくる。
「あたしはコールドスリープポッドに入ってたと思うんだけど」
《その認識でおおむね正しい》
「二度と目覚めないはずだったのに」
《ところで、世界を終焉に導いた大災厄のことは知っている? いや、自分が冷凍睡眠中に起こったことなどあずかり知らぬとわかっていて、我は、そなたに訊いたのだけれども》
「悪趣味だわね」
あたしは言った、いや、思った。
この巨大な存在に意思を伝えるためには思考するだけで事足りる。
「あたしは満足に起きられないのよ。なにを取引したいのかわからないけど、ものの役には立たないでしょ」
《簡単な話だよ、儚きもの、死者たる幼子よ。氷のしとねより起き上がるがよい。無限の命を与えよう。我は実験したいのだ。我が血肉であるこの世界に満ちている力は、ヒトたちに取り込まれ、魔力と呼ばれる。比較対象としてそなたには、我が力の影響を受けない環境にあるものたちの「偶像」「象徴」となってもらいたい。永遠の少女とかいうものを、ヒトたちは好むようだから》
「なんで、あたしを?」
《均一化した世界は、たやすく滅びに向かうからだ。現に、ただ一つのプログラムエラーによって歪んだ共同体ができあがりつつある。目覚めよ、「眠り姫」。エラーを修正し、世界に投げ入れられる石となることを我は期待するものである》
「なにさまだか知らないけど、上司かっ。そりゃあ、あたしは人類救済補助プログラムの開発補助をしてたけど。もう人間なんて嫌になっちゃったの。だから、共同開発者のイリヤと、自我の芽生えた人口知性に後を託して、覚めないはずの冷凍睡眠についたのに」
《そうはいかぬ。生みの親の責任だ。イリヤは『もう』いないのだ。我の愛し子には、メンテナンス作業は向かぬゆえ。技術者であったおまえにしかほころびは繕えぬ。ゴーストたちの管理官の生みの親よ。そなたが口は悪いが実は地球に愛着を持っていたことは、わかっている》
「報酬なしでやってられないわよイリヤもいないんじゃ……」
《しばらくの間でもいい。数百年かそこらのこと。いずれは任をといて、再び眠りにつくことを許す》
「やれやれ。クライアントは、いつも無理を押し付けるんだから」
あたし、天沢美夜は、観念して起き上がる。
仕事が待ってるらしいわね。やっぱりブラック企業かな?
「ところで、あんたの『愛し子』ってなに? その子に、あたしのとは別の無理難題を押し付ける気なんでしょ」
《そうとも言えるが。あれは、美しく強靭な魂だ。くじけはしない。あれは我のもの。余人には渡さぬ》
「やだやだ、ストーカーってこれだから。気の毒に」
《早く往け》
声は、じれったそうに、せかした。
《言い忘れていたが、その「ポッド」は、この世界ではすでに、「失われた神の座」としてあがめられている。そなたが目覚めて外に出ていけば、聖女の降臨ということになるだろうな。導いてやるがよい。エラーコードが生み出してしまった「……」の、慈悲深い養親となることがさだめられている》
「はあ!? なによ、その無理ゲー!」
思わず叫んだら、どうやら声は外まで聞こえてしまったようだ。
とたんに、ポッドの外が、騒がしくなったのを感じる。
おおぜいの、ヒトの気配。
揺れ動く感情、ばたばたどたどたと、うるさく駆け回って。
冷凍睡眠の間に、地球は滅びたらしい。
じゃあ、世界は、どうなったの?
同僚たちは、あの計画を推進したのだろうか。
うつろな海に、徒手空拳にひとしい小舟で、漕ぎ出すことを。
世界が終わったのなら、なにが起きてもおかしくはない。
だけど一つだけは、わかることがある。
時代が過ぎても人って変わらないのね。
残念ながら、あたしは人の考えを読み取ってしまう能力者だから。(そのおかげで家族も友達もいなかったんだけどさ)
外に集っている人々の、身を焦がすような強い感情に、もう、おなかいっぱいだ。
だれかの苦しみ、悲しみ、愛と憎悪。そして……決して届きはしない、憧憬とで。
これから、あたしが聖女として君臨することになるだろう、国は。
サウダーヂ、と、呼ばれていた。