第6章 その26 金の羊、黒い羊
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目の前に、柵がある。木の板を連ねた、牧場のような囲い。
気が付くと、周囲は、もこもこもこもこ。果てしなくもこもこの生き物が溢れていた。
ぜんぶ羊だ。
何十か、何百頭かの、羊の群れの中に自分は居た。
羊たちが、動き出す。
おもむろに一頭の羊が進み出る。
ぴょーん。
柵を跳び越えていく。
羊が一匹。
羊が二匹。
羊が三匹。
柵を跳び越えた羊は、光に包まれて、空気に溶けていった。
そうか、そういうことか。
群れの中に居た羊、嵐山律は、得心した。
柵を跳び越えたら、昇天する。
それとも輪廻の輪に戻る?
まわりにいる羊たちは、つまり……。
「何をためらっているんだい」
懐かしい声が、傍らで聞こえた。
「バカだな。あんなことをしなければ、おまえは天国行きだったのに」
あんなこと。
「課長を殺したやつを追い詰めたことに後悔はしてません。自分で手を下すつもりだった。辿り着いたときには、あいつはすでに他の奴に殺されてましたけどね」
あの頃。凶悪犯ばかり選んで殺し回っているやつがいたのだった。最後は、自首したのだったろうか。
「あたしもね。もう少しだけ、おまえが来てくれたときまで息があれば、言い残してやるんだったって、心残りで、天国へなんか行けなくて。で、まだ、柵の手前にいたわけだよ」
「なんて……言い残すつもりだったんです?」
「生きろ。寿命を全うしろって。……そんな遺言、おまえを縛ってしまったかもしれないのにね」
思わず、横を見た。
黄金の羊が、そこにいた。
ああ、そうだった。
初めて会ったときから、この人は金色に輝いて見えていた。
それは魂の輝き。
まっとうで、正しくて、頑固なまでの、正義漢で。
「課長が男だったら、惚れてましたよ」
「あん? たしかおまえ『課長って見た目はけっこう女性らしいけど意外と中身は中年のおっさんですよね』って言ってたよな」
「あのときは勇気をふりしぼって告白したつもりだったんですけどね」
悩みがあるんだろうと呼び出されて酒を飲んで。慣れない酒に酔って、ずっと誰にも吐き出せなかったトラウマを、このひとに言ってしまった。
幼い頃、生け贄の羊にされていたと、告白した。
「忘れろとは言わん」課長は、言った。
「おまえは、勝手に、悪趣味に使われた。消費したやつは、のうのうと生きて、なんなら人生をエンジョイしてるだろう。悔しくないか。やつを見返せ。成功して、出世してやれ。そんな外道の及びもつかないところまで」
その通りに、生きるべきだったのだろう。
でも自分は、彼女、杉村操子を殺した人間を許せなかったのだ。
残りの人生を引き替えにしても。
「さあて、そろそろ行くか」
「はい」
黄金の羊と、黒い羊は。
揃って、柵を跳び越えた。
※
あれから彼女に出会えていない。
けれど律は、信じている。
きっと、いつか、転生したこの世界でも、彼女の黄金の魂に、再会出来る。