第1章 その18 コマラパ老師の静かな怒り
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「くだらない顔見せだ。こんなの、いちいち憶える必要はないよ」
エステリオ叔父さまの声が、耳元でささやいた。
あれっ? 叔父さまとは少し離れて立ってるのに。
魔法かな?
『やぁだ、ヘタレエステリオのくせに、なかなかやるわね。風属性の魔法よ。伝える相手を限定して『ウィスパー』を発動しているの』
風の妖精シルルが教えてくれる。
『かわいい姪っ子ちゃんのためなら、なんでもやるって言うわよ彼。だからしっかり守るのが叔父さまのつとめでしょって、ちょっと煽ってあげたから。不器用だけど一途なのよねえ』
光の妖精イルミナ、楽しんでるのね?
シルルもイルミナも、器用じゃないけど努力家のエステリオ叔父さまを気に入ってるのは間違いないの。
「美味しいときだけ、親戚だと言ってくるやつが大半だから。そうでないときは、どこかで出会っても知らんぷり。そんなやつらをアイリスが記憶にとめることはない。必要なら、ぼくが選んで紹介するから。もっと大きくなってから、ちゃんと親戚づきあいをすればいい」
エステリオ叔父さまが、かなり怒ってる。
叔父さま、本音だだもれ。
しかも『ぼく』って。日本語だし。
超、本音トークだ!
「前世でもそうだった! 《サヤカとアリス》は二人とも純真すぎて悪意ににぶいから、ぼくやジョルジョみたいな親衛隊が苦労したんだ。隙をついて『個人的にお付き合いをしたい』なんて勘違いストーカーどもが、つきまとっていたから! それで、アリスちゃんは……」
それで、アリスは?
親衛隊?
ジョルジョ?
ストーカー?
あれっ。
何か、思い出しそうな……!?
胸が、ざわつく!
どうしたの……あたし。
アリス?
ぱんっ!
突然、誰かが手を打ち合わせた。
それを合図にしたかのように、
賑やかだった演奏が、ふっと、やんだ。
静寂。
「落ち着きなさい、エステリオ・アウル」
楽隊を止め、穏やかに呼びかける。
暴走しかかっていた叔父さまの肩を叩いたのは、コマラパ老師さまだった。
「そろそろ、わしの出番のようじゃ。おまえさんにも手伝ってもらうぞ」
そうおっしゃって、老師は、前に進み出た。
※
「さあて、この良き日、名高いラゼル家の夜会にお集まりの皆様! お初にお目に掛かる。このわたくしは魔導師協会副理事コマラパ・ティトゥ・クシ。お見知りおきを。今宵の『見届け人』として参った次第でしてな。この家のご当主の若き実弟は、わたくしが薫陶しております講座の有望な学生でして、その縁によりまする」
これが当主の自慢の弟だと、エステリオ叔父さまを紹介する。
エステリオ叔父さまは、無言で上体を折る。
現在16歳の叔父さま。十代半ばで学院の副理事に見込まれるなんて、そうとうな能力を持っていることが裏付けされたようなもの。
コマラパ老師さまが名乗りをあげ、エステリオ叔父さまを紹介すると、広間に集まっていたお客さまたちは、大きくどよめいた。
皆が、驚きをあらわにしていたのです。
コマラパ老師さまは、かなりの有名人みたいね。
「魔導師協会の第二位!『深緑のコマラパ』殿が、『魔力診』の見届け人に!?」
「いかにラゼル家が豪商とはいえ、王侯貴族でもないのに」
「なんという栄誉なこと」
「おそれおおい」
「このことが外に知れても、その、大丈夫なのですかな」
「大公閣下のご息女ルーナリシア殿下も今年三歳でもうじき『魔力診』と聞き及んでいるが。平民の身で、殿下に並び立つ傲岸不遜ととられるのでは」
たくさんの人の、いろんな感情が、一度にあふれた。
(やめてやめて! きもちわるい。おじさまのいったとおりだわ!)
あたしはくるしくて乳母やの胸に顔をうずめた。
いやな気持ち、悪意、戸惑い、整理されていない感情の噴出。
吐き気がする!
「だいじょうぶだよ」
再び、耳元で聞こえたのは、エステリオ叔父さまの、やさしい囁き。
「老師がいるから」
「お静かに願えますかな」
ぴしゃりと、コマラパ老師の声が、ざわめきの海を打った。
静まりかえる、潮騒。
「まだ、ご報告は済んでおりません」
咳払いを、ひとつ。
「お忘れのようですな? 今宵はこの《始まりの千家族》が一つ、その点においては王侯貴族にもひけをとらぬ名家であるラゼル家ご当主が長女、次期当主ともなりうるアイリス・リデル・ティス・ラゼル嬢の、三歳の『魔力診』の宵でありますことを」
破顔する。
子供のような、けれど内に秘めた力がこぼれ出て、見る者を圧倒せずにはいない。
なんて、強烈な存在感。
さっきは、わざと客たちの騒ぎを放って置いたのに違いない。
ようすを観察して。
さらに効果的に『魔力診』の結果を打ち出すつもりだ。
「お集まりの紳士淑女の皆様。ご傾聴をお願いする」
言葉を切り、息を深く吸って、続けた。
「ラゼル家の長女アイリス・リデル・ティス・ラゼル嬢は、生まれながらに有する魔力量、その質、将来の伸びしろ、可能性、ポテンシャル、すべてにおいて《AAA》クラスであると判明しました。成長したあかつきにはいずれ最高位の《SSS》クラスにも届くやも知れませぬ。これは、我が魔導師協会の長『漆黒の魔法使いカルナック』に次ぐ、大魔力の資質です」
あ、お父さまとお母さま、驚いた表情のままで固まっちゃった……。
コマラパ老師ったら、お茶目。《AAA》クラスとか《SSS》クラスだなんて、ここまで一言も漏らさなかったんだもの。そりゃあ驚くわよね~。
コマラパ老師さまは、書斎を出る前、あたしとエステリオ叔父さまに日本語でおっしゃったの。
本当はすでに《SSS》を超えているレベルなのだけれど、ありのままに公表したら面倒なことになる。アイリスの魔力がかなり大きいことは、邸宅で働いている人たちを通じて、世間でもうすうす知られているようだ。保有魔力の値を、あまり過小に発表すれば怪しむ者もあるだろう。
だから、実際より少しだけ控えめに伝える、と。
「はたらいてくれてるひとから漏れるなんてありえないわ。みんな、真面目な人ばかりよ」
「もちろん。だが、完全にものごとを隠すなどは無理なこと。たとえば調理場の下働きが市場に出かける。そこでいつもの店で声をかけられる。『最近、生き生きしてるじゃないか』すると『うちのお嬢さまのおそばにいるとみんな健康で幸福になるの』と答える。この問答をはたで聞いていた者が、誰かに情報を売る……まあ、わが魔導師協会も似たような手段で常に情報を収集しておるのだがな」
「……そうでしたね」
エステリオ叔父さまは、苦笑いをした。
あたしに限らず、世の中の情報はすべて売り買いされている。コマラパ老師をはじめ魔導師協会にも、情報を管理されているのだと知った。
重要なのは、どの人たちが、いちばん、あたしに優しくしてくれるか、ってことね。
コマラパ老師の演説は佳境にさしかかった。
「わたくし深緑のコマラパは公式の『見届け人』として、ここに、アイリス嬢三歳の『保有魔力診断』が《AAA》クラスであると宣言し、滞りなく終了したことを証明いたしますぞ」
高らかなる宣言を終えて、コマラパ老師は一礼をし、数歩、引き下がった。
沈黙が、あたりを支配した。




