第5章 その37 蓮の中の宝珠
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レギオン王国西部地方に属する、エルレーン大公領国の、新都ルーナリシア。
三年前に大公位を継いだフィリクス大公の治世。
歴史が古く、しがらみに捕らわれ続けているレギオンを尻目に、エルレーン大公領は、大陸中の人々にうらやまれる発展を遂げた。
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おお、蓮の中の宝珠。
麗しの都ルーナリシア。
泥中にありて蕾を蓄える蓮のように
月晶石の姫に愛されし
無垢なる都は花咲けリ。
古き王国の闇は深く
苦難のうちに沈みし死者たちはあふれ。
末期の願いに、《世界の大いなる意思》は使徒を遣わされた。
青白き精霊の火は集いて光の河となり
最期の裁きは下された。
嘆く女神の白き腕は、
生まれ出ずるとともに死を定められし死者なる生者と、
偽りの言葉を吐きし咎人と、
生まれながらに先祖の罪を背負う幼児を救い上げぬ。
失われし時は巡り
遙か千年の栄華は崩れ。
虚ろなる王が立つ。
目隠しと身を縛る毒蔦。
王に差し出されしは身毒の美酒。
ひとくち飲めば厭わしさを忘れ。
ふたくち飲めば惑いに落ちる。
そこから先は底なしの
呪いの泥海。
けれども世界を統べる女神様は降臨なされ、
麗しき蓮の中の宝珠を、新しき光の主に授けられた。
永遠に安んじられよ、
永遠に栄えよ。
希望の都ルーナリシアよ。
《レギオン王国西部エルレーン大公領国首都ルーナリシア(後のエルレーン公国首都シ・イル・リリヤ)に伝わる、吟遊詩人のうた》
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例えば、五月の、晴れた日に。
新都の片隅、小さなカフェテリアで。
ささやかな式を挙げた二人を祝福する宴が開かれていた。
『おめでとう!』
『婚約おめでとう!』
『おめでとう! エステリオ・アウル。アイリス!』
『えっチューしないの?』
『お暑いところを見せてよ!』
若い二人を囲む友人達がはやし立てる。
ごく親しい者ばかりの宴なので遠慮が無い。
「しませんよ! まだ婚約ですから」
エステリオ・アウルが抗議の声を上げた。
すでに法衣は纏っていない、好青年然としている姿も、さまになっている。
先代のおかげで家業の商会は廃業に追い込まれたのが一年前。
その後、還俗し、
フィリクス公嗣の肝煎りで新たに商会を立ち上げた。
「アイリスが恥ずかしがるじゃないですか。いい加減にしてください、『呪術師ルナ』殿。青竜のお弟子様がたも、お師匠様に言いつけますよ」
「悪いね、みんな、祝い事が嬉しくてたまらないのさ。言い聞かせておくから。幸せになっておくれ。同じ青竜様の弟子仲間じゃないか」
編んでいない長い黒髪を、初夏の薫風になびかせた、青い目の青年が笑う。
「おれたちは、みんなの幸せを願っているんだ」
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もしかしたら、それは夢だったのかもしれない。
あたし、アイリスは、お正月に歳神さまと銀竜さまの訪問を受けてから、倒れてしまって。
その後は三日間、ずっと眠りっぱなしだったらしいから。
長い夢を見ていたみたい。
目覚めは、
もうじき。
紡ぐべき糸を紡ぐのが、あたしの役割。
糸を巻き取るのは、誰かがやってくれるから。