第5章 その11 未来の記憶(別ルート・レギオン亡国編1)(改)
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「お若いの。死相が出てるよ。三日後、教会の命令で北の旧都アステルシアへ赴任するんだろう。このままだと確実に死ぬよ」
突然に声をかけられて、振り向いたのは純朴そうな青年だった。
年頃は二十代後半か。
癖の強い赤毛、鳶色の目をした人の良さそうな好青年だった。
身に纏っているのは、亜麻布の長袖の上着と足首までを包むズボン。その上に羽織っているのは、一枚の大きな四角い布の中央に穴を開けて頭を出しているローブ。
ローブの色は、水色である。
聖堂教会のお仕着せだ。
ここはレギオン王国西部国境に領土を接する、エルレーン公の統治する辺境、領都アズール。
その中でも、市井の民が行き交う下町だ。
午後の日差しが、家々の軒先に影を落としている。
家路を急いでいたので、近道をしようと裏通りを通った青年がいた。
身なりや雰囲気からして、平民の中流階級だろう。
青年の表情は、こわばっていた。
「あ~ごめん、こわがらせちゃった。いきなり死相が出てると言われては無理ないよね」
対するに、呼び止めたほうの人物は落ち着き払っていて、むしろ余裕に満ちあふれ、青年との会話を楽しんでさえいるようだった。
「ねえ、エステリオ・アウル司祭」
「え!? まだ司祭ではなく司祭補ですが……なぜ、わたしの名前を? あなたとは初対面だと思うのですが。それに何より、どうして、教会の指示内容をご存じなのですか。訓示は秘匿されているのに」
エステリオ・アウルと呼ばれた青年は、繭をわずかにひそめ、声の主を見つめた。
長い黒髪に黒い目、抜けるように白い肌をした、非常に美しい人物だ。
見た目と声からは、女性なのか男性なのか、判別は難しかった。
「まあ、落ち着きなよ。ちょうど午後だ。お茶でもどうだい?」
黒髪の人物が背後を振り返ったとき、路地裏に、一軒の、こじんまりとした店が出現した。
しゃれたカフェという趣がある。
「そんな!? さっきまでは、何もなかったはずだ」
「そういう存在なんだよ、この私は」
くすりと、笑う。
「いつでも、どこにでもいて、その実はどこにもいない、不確定要素。それが、私という存在だ。ただひとり、この世界の魂、精霊王に寵愛されている、不自由な身の上さ」
「待った! そんなことを、声高に口にしないほうがいいですよ。どこに教会の目や耳があるかわからない」
エステリオ・アウルは注意深く周囲に目を配った。
幸い、裏通りに人の姿はないのを確かめると、胸もとで十字を切る。
「聖堂教会の揺るぎなき威光に幸いあれ」
こわばる口で、魔除けの短い詠唱。
「へええ。君は全く、あいかわらず、おかたいなあ。それなら尚更、さあさあ、早く入った入った」
「あいかわらずって?」
「……気にしないでいいよ。今の君のことじゃない」
黒髪の人物に誘われて、なぜ、素直に従ったのだろう。
後になって思い返せば、エステリオ・アウル自身にもわからなかった。
その店は、ローズマリーの香りに包まれていた。
骨董品や古道具を扱う店と思われた。
持ち主に長く愛されていた品物に特有の『気配』が、ふわりと香り立ち、エステリオ・アウルを歓迎しているかのように、華やいだ。
幸運を呼ぶという妖精が棲み着いていそうだ。
足を踏み入れたとたんに、めまいがした。店に充満している『魔力』に酔ったのだとは、もちろんエステリオ・アウルの与り知らぬことである。
よろけたが、なんとかふんばって。
手をついたのは、古いマホガニー製の机。
「これは……」
そこに無造作に置かれていたものに、目を奪われた。
「やっぱりね! 見つけると思ったよ。それは君を待っていたのさ、エステリオ・アウル」
まばゆく輝く白銀のリングだった。一粒だけ嵌め込まれている宝石は、エスメラルダ。濃く深い緑色に引き込まれそうだ。
「……くだ」
「それはなんと精霊白銀の土台に最上級の守りを付与したエスメラルダ。どんな災いからも守るだろう」
「これを買わせてください! あ、でもサイズが大きい! 小さくできませんか?」
「……はァ?」
「これを、十七になる姪への贈り物にしたいんです!」
「あのねエステリオ・アウル。私の話を聞いてた? 君のことだよ。もうじき赴く任地で死ぬ運命にあるから、それを防ぐためのお守りを用意したと言ってるのに」
「自分の死は想定内です」
エステリオ・アウルは、迷いもなく一息に言い切った。
「は?」
「早死には覚悟していました」
「なかなかできる覚悟ではないと思うがね?」
「義母のメルセデスと義兄マウリシオは、わたしの父に殺されていますから」
「噂には聞いていたが、大変な父親だな」
黒髪の人物は眉をひそめた。
「父は自分の利益しか考えていません。資産家の娘メルセデスと、連れ子のマウリシオを引き取ることを条件に婚姻を結びましたが、愛人に生ませた息子が『聖属性力』を多く持っていたとわかると家に迎え入れた。それがわたしです。『聖堂教会』に入れて役立たせるつもりで。生母はその後すぐに事故死した」
「事故死ねえ。あやしいものだ」
「……義母も義理兄も、わたしによくしてくれました。温かい人たちでした。血の繋がった父よりも、仲の良い家族だった。兄がアイリアーナという女性と結婚し、アイリスと名付けた娘が生まれたときは、幸せだった」
「ですが父は……資産を全て自分の手に入れるため、義母、義兄、その妻も、やはり事故死を装って殺したのです。わたしも役に立たなければすぐに殺される。ろくでもない父ですが、もう諦めました……ただ義兄の遺児アイリスには生き延びてほしい。わたしに万一のことがあれば親友のエルナトに託すつもりでいます。学院で知り合った貴族の子息なので、彼ならば父を罰せられなくともアイリスを守るために対抗する力がある」
「最悪だな」
黒髪の人物は、いまいましげに吐き捨てた。
「おれがここにたどり着くのが少し遅かった」
舌打ちをして、乱暴に言った。
先ほどまでとは人が違ったのかと思うような変貌である。
「いいえ。遅くはないです。ありがとう、感謝します」
「ん?」
「あなたは、不思議な人だ。どうしてかはわかりませんが、信用できると、わたしも確信しています。これが力のあるお守りなら。彼女に……アイリス・リデルに、渡したいのです」
「やれやれ」
黒髪の人物は、肩をすくめた。
「無私無償の愛は至高にして真実なり。いいよ、あげる。私、ひいては《世界の大いなる意思》からの好意だ。エステリオ・アウル。君のとお揃いでアイリス・リデル・ティス・ラゼルのアミュレットリングをあげるよ。いっそ婚約指輪にして、任地に発つ前に求婚しときなよ。なんなら駆け落ちしとく?」
「えっ! わ、わた、わたしは、そ、そういうよこしまな! アイリスはまだ十七で」
「違うだろ、純愛だろ? 血はつながってないわけだし」
黒髪の人物は、エステリオ・アウルの手に、二つの指輪を渡した。
「それは、君たちのために用意した、絆。はめると自動的にサイズが合って、二度とはずれなくなる。誰かが力尽くで奪うことも不可能にしておいた」
「そんな、聞いたこともない、まるで奇跡のわざです」
とまどい、おろおろとする、赤毛の青年、エステリオ・アウル。
「ふふん。これは史上最低最悪ルート。最高神は《青白く若き太陽神アズナワク》だし魔法はぜんぜん発達してなくてまじない止まり。聖堂教会がはばをきかせてるしレギオン王国も強すぎてやっかいで嫌いだけどね。でも、ここでの君たちのことはずっと気にかかっていたんだよ」
黒髪の人物は、優しく微笑んだ。
「別の分岐では、私の可愛い弟子だった、エステリオ・アウルとアイリス・リデル。ここで、システムをごまかして私がしてやれることは必ずすると誓おう。できるならば二人とも、幸福に……」
たとえそれが、このルートでは叶わぬ夢でも。
「だって、アイちゃんは、かつての私を救ってくれたのだからね……」
黒髪の人物の目の色が、漆黒から、透き通った青い光が宿る色に変化し、光があふれた。
「大丈夫だよ。きっとなんとかしてあげる」
祈るように、つぶやいた。
また長期番外編突入かとお思いかもしれません。
ですが、だいじょうぶです。
二話くらいで終わって本編に合流、回収される予定ですので!
……たぶん、きっと。