第5章 その2 ヨケ・ランギは繭果を運ぶ
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極東の地、中央山地に位置する、天空の都フージ。大自然を友とし山々と森を住処とする獣人たちの自治区。ここに広がる樹海の中にひっそりと『繭の樹』は立っていた。
周囲を海に囲まれた島、極東。
ここはヒト族と獣人とが対等の立場で共存している土地だ。
彼らを統べるのは『総領』。ヒトと獣人からそれぞれ一人ずつ選ばれた、二人の統治者である。『総領』の下に、十二人からなる議会、さらにその下に実行組織『天・地』がある。
《世界の大いなる意思》は、この地に《神》を顕現させた。
これが《繭の神》獣神である。
獣神は男女二人の双子神。神を頂点に頂く「極東」は、海を隔てた外国からの脅威にさらされることもなく、長きにわたり繁栄を享受してきた。
気まぐれな『最高神の忌み子』が、たわむれに手を伸ばすまでは。
※
とつぜん断ち切れた『繭の樹』とのつながり。
入ってきていた情報も栄養もとぎれたまま。
繭の中の双子は眠りについた。
樹を離れてから、眠りはときおり浅く、深く。
外でのできごと、声、思いを、繭は、夢のように、感じ取っていた。
悲鳴と怒号が襲い、熱が起こり、遠ざかる。
布にくるまれ持ち出されて、船に積まれた。
嵐の中で船は沈んだ。
それから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
光が差した。
『ああ良かった、繭果の中までは濡れてねえ』
誰かの声。
『大丈夫だとさ。おまえたちは《世界》の手の中。樹から離れるのも、悪くねえ、らしいぜ。外の世界を見聞して、これまでにない経験を積んで。いつか、でっけえ《獣神》になれるかもな……』
口ぶりは粗野なようで、その思いは、暖かみに溢れていた。
『感謝するぜ《獣神》さん。おかげで、この不死身のヨケ・ランギも、ろくでもない赤い魔女……マスターの操り糸を切れた。まあ、次なるマスターの人形になっただけかもしれねえが……今度のは、存在自体が、でかすぎるんだ、心配はしてない。これからは、せめて操り人形だった頃の罪滅ぼしに生きるかなあ』
それから。
彼は、繭を布にくるんで懐に入れた。
ゆっくりと歩き出し、口笛を吹く。歌を口ずさむ。
♪ヘイヘイ、パオラ……
『ねえ、ねえ、いまの、なに? きれいな音』
『歌ってるの?』
『うわ!? しゃべれるのか!? 頭の中に声が……なんだ、この曲が気になるのかい、繭っち? パウルとパオラつったかなあ? 遠い昔、おれがまだ人間だった頃に流行ってた歌だよ……仲のいいきょうだいの歌さ』
笑う、青年の声は、それまでよりも、ほんの少し、若々しくなっていた。
『まずい。いけねえやなあ。こんなに昔のことを思い出すなんざ。俺の心臓を握ってやがる赤い魔女のやつ、本気で契約を切ったな……《世界の大いなる意思》は、俺の誠意を試すと言った。おまえら獣神の繭をエルレーンに連れてって、黒い魔法使いに渡せれば良かったが……それまで俺は保たねえかもしれん……』
『らんぎ? 枯れちゃうの? しんじゃうの?』
『心配すんな。《世界》が目をかけているんだ、きっと精霊の加護がある……エルレーンの首都くらいまでは、保つだろうさ』
自嘲気味に笑ったが。
『枯れないでランギ』
『たすけてくれたよ。いっしょに行こうよ』
『……助けたわけじゃ……そもそも、俺は……ま、いっかぁ。きっと、なんとかなるだろう』
ヨケ・ランギの旅は、まだまだ続く。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤまでは、徒歩では遠い道のりだ。
『今年中に着けるといいんだがな』
つぶやいた、そのとき。
すさまじい轟音が響いた。
繭果の中にいる双子の獣神(見習い)たちは、いったい何が起こっているのかを見たいと願った。
そして、見た。ヨケ・ランギの視覚を借りて。
銀色の鱗を輝かせた、巨大な生き物が、近づいてきていた。
『らんぎ、らんぎ!』『あれ、なに!?』
『ドラゴンだ! あいつは《世界》の意思に従ってる……助けに来てくれたんだろう』
ヨケ・ランギの肩から力が抜けた。
『もっとも、まだ先は長そうだけどな!』
すると、銀色のドラゴンは、憤慨したように、大きく息を吐いたのだった。
『今年中じゃと。余裕で間に合うわい!』
そして、その言葉通りになった。