第4章 その32 エルレーン大公家の晩餐会
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エルレーン公国大公の宮殿で催されている、年末恒例の晩餐会。
国内外から招待された貴族たち、隣国の大使ほか、数百人にも及ぶ人々が集っていた。
舞踏会のように、人々は広大な広間の壁ぞいに用意された席の側に立っている。
大公フィリップ、大公妃セシーリア、公嗣フィリクスが登場する。
上位の貴族たちが御前に近づき、祝いの言葉と、恭順の姿勢を示した。
次々に謁見を終え、自らの席に戻った人々は、大公夫妻の健勝ぶりと、二十歳となった公嗣フィリクスへの評価をあらたにした。
公嗣フィリクスについては、かつては「可もなく不可もなく、傑物ではない」との噂だった。
フィリクスは、大公から公嗣であると指名されてまもない十歳の時、何者かに誘拐され、毒殺されるところだったが、大公の依頼によりカルナックに救出された。
その後、身を守るため、「平凡で愚かな公嗣」を装っていた時期があったのである。
側妃たちが生んだ公子たちを時期大公に擁しようという勢力が台頭しており、正妃セシーリアの子であるフィリクスこそが公嗣にふさわしいと譲らない一派と激しく対立していた。
それにつけてもフィリクス公嗣を毒殺または幽閉したおりに精神に傷を与えようとしていた首謀者……側妃たちにとっては、残念なことだった。
謁見したものは、目にしたのである。
フィリクス公嗣の傍らに立つ、名高い『漆黒の魔法使いカルナック』の姿を。
人々は晩餐会そっちのけで、ざわめき、噂に興じていた。
「本当だった。公嗣フィリクスの後ろ盾に、あのカルナックを引きずり出してくるとは」
「大公閣下も無茶をなさる」
「魔道士協会を味方にしたということだ」
「これで他の候補たちに抜きん出ましたな」
「……むしろ、公嗣は身の回りにお気をつけませんと」
「目立つ釘は打たれますからな」
対して、大公と公嗣は、緊張して震え上がっていた。
客達にではない。
背後に立つ『漆黒の魔法使いカルナック』の存在に、恐れおののいていたのである。
もっとも、大公妃セシーリアに至っては、むしろ客達の反応を面白がり、心地よく堪能していたのだったが。
無責任な話題に興じる者たちを、カルナックは冷徹な目で見ていた。
「呆れたものだ。そんなにまでして、誰が大公などになりたいものかね?」
「相変わらずお師匠様は辛辣でいらっしゃいますのね」
羽根飾りのついた扇子で口元を隠し、セシーリアは、くすりと笑う。
「もう少し口をお慎みくださいませ」
「公の場ですよ」
その背後に控えていた、銀髪の、二人の女性が、カルナックに苦言を呈する。
この場においてカルナックに何か言えるのは、この女性たちをおいて他にはいない。
「いたしかたない。私は愛しい妻のために、この役目を引き受けたのだからな」
面白くなさそうに、呟く。
大公の宮殿に現れたのはカルナックの身代わりとしての《影の呪術者》こと、世界の大いなる意思の代行者にして第一世代の精霊である、グラウケーだった。
キュモトエーとガーレネーはこの時点では目立たないように、ルーナリシア公女を抱いて守っていた。彼女たちも精霊だが、グラウケーは遙かに格上なのである。
「さあ行こうか、キュモトエー、ガーレネー。カルナック坊やは優しいから、ともすれば、ヒトなどに舐められる。ここは、軽く威圧しておこう」
たのしげに、笑う。
「はいはい姉様」
「私たちの意見なんて聞いてませんよね……」
「むにゃ……キューモー? ガーレネー。ばんさんかい、はじまったの?」
「そうですよ、シア様。起きて、ごらんになって」
「ふふふ。例年にない、みものがありますよ」
二人はルーナリシア公女を、カルナックの姿を借りたグラウケーが、とんでもない大技を披露するところを見せてやろうと、抱き上げた。
「お集まりの紳士淑女の皆さん。公式の場では初めてのかたも多いでしょう。私は魔道士協会の長『漆黒の魔法使いカルナック』。お見知りおきを。ご挨拶に代えて、ちょっとしたものをお見せしましょう」
魔法使いの黒い杖を震うと宮殿の広大なホールに銀色の樹が、出現した。みるみる成長していき、枝という枝に鈴のような実がついて、シャリシャリと音を立てた。
「精霊の樹、シンギングツリー。この宮廷では、ご覧になったことはないでしょう? 魔道士協会の長カルナックが公嗣フィリクスの後ろ盾となり、大公の統治を助けると誓うものである」
宮廷にざわめきが広がった。
招待客は全て貴族たちであるから、たしなみとして、大声を上げるものはいない。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤに本拠地を構える魔道士協会は、大公と公嗣であるフィリクスの後ろ盾になると、公式に表明したのである。
「ですが後に残る証も必要ですね。では、これを、我が愛人、フィリクス。並びに、大公の末姫、ルーナリシア公女に贈りましょう」
その証として、カルナックはフィリクス公嗣、ならびに大公の末の姫、ルーナリシア公女に、それぞれ、美しい腕輪を贈った。
「精霊銀を土台にして、精霊石を配しました。ひとたび身につければ一生、何者にも奪うことはできない、精霊の守護を与えられた者の証明です。公嗣を殺しても、奪うことなど不可能ですので、心していただきたい」
魔道士協会の長カルナックが、公の場で公嗣を支持すると宣言した、歴史的な瞬間だった。
エルレーン公国の長い歴史の中でも、これまでに、精霊の腕輪を贈られたものは、存在しないのだ。
こんどこそ、貴族達は度肝を抜かれ、驚きを隠しきれずに声をあげてしまい、それはしだいに広間全体を揺るがすほどに大きなどよめきとなって伝播していった。