第4章 その23 スノードーム・メーカー
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精霊の白き森に、人の住まうことを許された村が、一つだけ、ある。
この世の始まりから、最高神である真月の女神イル・リリヤから下された使命を守り続けてきた一族『欠けた月』の村。
精霊の祝福のもと、人の世の時を超えて。
永遠に生命の輝きを放ち続けるだろう。
※
たった今も、村では披露宴たけなわで、みんな楽しそうに笑って踊って、ごちそうを食べている。
でも、あたしは、激しい緊張と、恐怖で、身体を震わせていた。
「あなたは、いったいだれ?」
カルナックさまの姿をしているけれど、全く別の、さらに、あり得ない存在に、あたしは尋ねた。
『ダメだよ、ダメだアイリス! 『それ』と会話をするな! 声を聞くな! 捕まってしまう。君はボクの、大事な友だちなんだから!』
黒竜くんが、けんめいに叫んでる。
忠告に従うべきなんだろう。耳をふさいで、逃げるべきなんだろう。こんな怖い存在に、触れないほうが、いいに決まってる。
けれど、どうしても、聞きたかった。
この、恐ろしいほどに美しい存在が、大好きなカルナックお師匠さまではないって、確かめたかった。
「なんだ? そこにいるのは、黒竜の分身か。ふふふ。たかが、我が赦してやったイル・リリヤが使っているツールの一つでしかない身だと、わきまえてもらおう。……プログラム停止せよ」
その言葉が発せられると同時に、手首にはめている『精霊石の腕輪』に、銀色の、包帯みたいな布が飛んできて、腕輪についている黒竜の鱗をすっかり覆い隠してしまった。
『ちょ……待っ……それは契約に反して……! ガガ……ガガ……』
黒竜の声にノイズがかかって、それきり、聞こえてこなくなった。
怖い。
あたしは一人で、畏怖に、向き合う。
「ところで、君。『スノードーム』を知ってるよね。地球という星にあったものだそうだ」
まったく関係の無さそうなことを、美貌の、黒髪の青年は、話し出す。
「ガラスでできた小さなドームに閉じ込めた、雪の降る風景。揺さぶれば何度でも同じように雪を降らせて、繰り返す……」
「なぜ、その話を? もしか、したら。ここは……」
のどの奥に、つめたい氷の塊が詰まっているみたい。
「そうだよ。今、見せている、これは私のコレクションの一つだ。小さなお嬢さん、君も『先祖還り』なら思い当たるはず。21世紀の地球の人間。きみたちは、気に入った景色やモノを写真に撮ったり、いんすた、というものに画像を上げたりしていたんだろう?」
「どうして、あたしが『先祖還り』だと……」
「私は、この世界で起きていることを、なんでも知っているんだよ。遙か昔から。この世の始まりから……終わりまで」
目の前にいるのは、『私はこの大地と精霊たちの真の友である《影の呪術師》こと、漆黒の魔法使いカルナックだ』と名乗っていた人物。
けれど、本当のカルナックお師匠さまではなかった。
桁外れに膨大な『存在の圧力』に触れて、あたしは震えあがった。
そんな、あたしの様子を見て、この人物は、さらに、低く笑って。
銀色の細かい粒子が集まってきて姿を隠して……それが消えていったあとには、カルナックさまとはぜんぜん違う姿をした存在が、出現した。
青みを帯びた銀色の長い髪、アクアマリンのような瞳をした、大柄な、美女。
人間ではありえないほどの『美』を体現した姿。
「あなたは、もしかして、女神さま……?」
なぜそう思ったのかというと、転生するときに出会った『虹の女神スゥエ』さまと、色合いも面差しも似ているから。
違うのは年齢くらい。
スゥエさまは十歳くらいの容姿をしていたのに対して、彼女は二十歳くらいに見えた。迫力があるから、年齢は、もう少し上かもしれない。
それに、あたしに『精霊石』をくれた、第一世代の精霊グラウケーさまにも似ている。
グラウケーさまは、もっと、いつも楽しそうでフレンドリー。むしろ人間的な感じなので、中身というか性格は、まるで違うように感じる。
そうだわ。スゥエさま!
困ったときにはいつでも呼んで、って。言ってくれた。
グラウケーさまも!
(スゥエさま! グラウケーさま、助けて!)
けんめいに、心の中で祈ったのだけれど。
「残念だが、スゥエはここへは来られないよ」
存在は、低く笑った。
楽しそうに。
「あれは人間の味方をしすぎる。だからセレナンの表層に配置した。これほどの深層部までは降りてこられない」
わずかに芽生えた希望も、潰える。
「グラウケーも、同様。ここは『精霊の森』そのものではない。世界の深層だ。だから、君の守護精霊たちも来られない。従魔たちも、捕まえた」
もしかして、いやもしかしなくても、あたし、すっごい危機的状況!?
「グラウケーも含めて、精霊たちは、全てこの私の遊離細胞であり、目、口、耳である。私は、セレナン。《世界の大いなる意思》である」
皮膚の表面が、ピリピリする。
そして、そんなあたしを視ている、《世界の大いなる意思》そのものだとかいう『女神さま』は。
不穏なことを、つぶやいた。
「おや。……そうか、きみが。面白い魂の構造をしているね。カルナックの意識チャンネルを通じて『視た』ときはうっかり見過ごしてしまっていたが。これは、非常に興味深い『現象』だな。……私のコレクションに加えておこうかな……」
銀髪の、頭を軽く振り立てて。
声を上げて笑った。
すると。
繰り広げられていた披露宴のようすが、ふいに、凍りついた。
ルナちゃん。クイブロ。コマラパ老師も。
村の人々もお客さまたちも。
静止画像のように。
スノードーム?
これのことなの?
何度でも……繰り返し、揺さぶっては、また、同じ景色を見せるの?
※
「ごらん。私たち精霊の、世界の愛し子、あの子の披露宴を。このとき確かに、あの子は幸福だった」
満足げに、自慢するように、《世界の大いなる意思》である女神は微笑む。
「たとえ、この後に様々なできごとがあって、その結果、愛する人を失っても。蜃気楼のように儚く壊れ消え去っても。それでも、『このときは幸福だった』という事実は、なくなってしまったりはしないんだ」
あたしは衝撃を受ける。
ルナちゃん。クイブロ。あんなに幸せそうなのに。儚く消える……?
でも、魂のどこかで、あたしはそれを認めないわけにいかない。
前世でのあたしは、果てしない輪廻の中で、生まれ変わるたびに、突然の事故で、病気で、何度も繰り返し、死んだのだから。
「この惑星は、地磁気を持つ巨大なハードディスク。人々の幸福なときを記録し大切に保つよ。どんなに悲しみが押し寄せても。儚き人々の思いを、幸福な夢を、いとおしむ。すべての記録は、消えることなどないのさ。《世界》は決して忘れないのだよ」
「ごめんなさい。わかりません」
あたしは頭を振って、《世界の大いなる意思》から吹き出す気圧に、敢えて、あらがう。
「そう? では、言い換えようか。……我が愛し子カルナックにも匹敵する、比類なき輝きを放つ魂。幼子、アイリス・リデル・ティス・ラゼル。そして月宮アリス、イリス・マクギリス。そして……」
はっと気づいた。
これは呪文!?
束縛!
ひとつひとつ、魂の名前を数え上げられるごとに、あたしの周囲に、銀色の細い鎖があらわれて、ゆっくりと取り巻いていく。
見覚え、すっごくあるよ。
カルナックさまのまわりにあった銀の鎖だ。
保護しているのと同時に、縛っていた。
銀色の檻のように。
『やばいわアリスちゃん! 逃げなきゃ!』
あたしの意識の内側からくる警告。
イリス・マクギリスさんだ。
『交代して!』
次の瞬間。
「やめて! 世界の大いなる意思? そんなの、知らないわよ! あたしは自分を、誰の勝手にもさせないわ!」
叫んだのは、イリス・マクギリスだった。
「カルナックさま、助けて!」
たった一つ、残った希望。
それはあたしの手の中に。
お守りだよと、カルナックお師匠さまが渡してくださった、小さな銀の鈴。
あたしは、それを、振った。
力いっぱい。
「お師匠さまっ!」