第1章 その9 深緑(しんりょく)のコマラパ老師
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朝食のあと、あたしはいったん子ども部屋に戻って、お昼からの『魔力診』のときに疲れてぐったりしないように少し休んだ。
エステリオ叔父さまが用意してくれた、体力を回復する柑橘系の爽やかな飲み物をいただいたり。
そろそろお客さまもいらしてるんじゃないのかしら。
気になったけど、ローサも乳母やのサリーも、「出てはいけません」って止めるの。
「お嬢さま、『魔力診』前の子どもは、家族と家の使用人以外には、姿を見せてはいけないのですよ」
「どうしてなの、サリー」
「昔からの習わしでございますから」
乳母やがこういうときは、どうしようもない、ってこと。
しかたないわ。
そして、いよいよ。
予定の時間が近づいて、子ども部屋のドアが開いた。
メイド長エウニーケさんほか、メイドさんたちが、どっと押し寄せてきたの。
(朝もやったんだけど)
いよいよやってきた『魔力診』という行事にそなえて、怒濤のお着替えタイム!
あれやこれや、白とかピンクとか水色のとか、リネン、シルク、カシミヤ、選び放題のドレス。華美ではなく上品な髪飾りは必須、でもアクセサリーは無しで。
メイドさんたち、楽しそう!
『すてきよアイリス!』
『何を着ても似合うわよ!』
あたしの妖精たち、風のシルルも光のイルミナも、大興奮で飛び回って、あたり一面にキラキラと光の粉を撒き散らす。粉を浴びると、幸運値があがるとか、幸福感がアップするって、妖精達は言う。
メイドさんたちには、妖精の姿は見えない。
でも神々しくて清冽な雰囲気は伝わっている。
「さあ、すっかりお支度が調いましたよ」
エウニーケさんは、小粒のパールをあしらった銀の櫛を、こまかい三つ編みをたくさんして、まとめたところに差し込んだ。
鏡に映っているのは、艶のあるシルクサテンのドレスを着た、金髪の天使。
自画自賛みたいだけど、事実そうなのだから、仕方ないのです!
「社交界への正式なデビューは、七歳の『お披露目会』を無事にすませて、九歳で学院に入って、その後になりますけど。今回の『魔力診』が、ご親族の方々への初お目見えですから。みなさん、お嬢さまに魂を撃ち抜かれ、とりこになるに違いありませんわ」
言い過ぎだと思うのは、あたしだけみたい。
他のメイドさんたちも負けず劣らず。
「その通りです! さすがメイド長!」
「お嬢さま、すてきですわ」
周囲を飛び回っている守護妖精、シルルとイルミナも、同じ意見で。
『みんな、アイリスのお世話をすると、一日中幸せな気持ちでいられるって評判なのよ!』
『そうよ、知らないのはアイリスだけよ。幸せを運ぶお嬢さま、って言われてるのに』
でもね、みんなが褒めそやすけれど、真に受けないわ。
女王様気質になっちゃったら、恥ずかしいじゃない。
ちいさいうちから、こんなに褒められていては、いけないんじゃない?
きっと世間は甘くない!
鏡の中のアイリスは、確かに、ものすごい美少女だけど……。
しばらくして、伝令のベルボーイがやってきた。
「みなさま、お客さまがたがおみえです。コマラパ老師さまもいらっしゃいました」
とても有名な、えらい魔法使い。どんな方かしら。
エステリオ叔父さまが
『深緑のコマラパ老師さまは、子ども好きで、とても優しい人だよ』って言ってたけど。
あたしはエウニーケさんに先導されて、長い廊下を通り、書斎に向かう。疲れるからって、途中で乳母やが抱っこしてくれた。
我がラゼル家の邸宅は、かなり広いのです。幼い子どもの足では、なおさら。
エステリオ伯父さまが書斎、兼、自室として使っている部屋。
お客さまたちがいらしているはずの応接間でも、大広間でもなく。
この行事が終わるまでは、子どもは人前に出るものではない、ってサリーが言ってたとおりなのね。
「お嬢さまをお連れしました」
扉の前に立ち、エウニーケさんが告げる。
「入ってくれ」
お父さまの声と同時に、扉がゆっくりと内側から開いた。
お父さま、お母さま。エステリオ叔父さま。
そして、初めて見る人が、いた。
深い緑色の衣、同じ色のローブをまとった、大柄な壮年男性。
ひと目で「ああこの人だな」って、わかった。
気迫が、あった。
物腰や態度は、とても気品があって穏やかなのだけど。
「お初にお目にかかります、ラゼル家のアイリスお嬢さま。わたくしはコマラパ・ティトゥ・クシ・ユパンギ。魔導師協会の副理事とも申しますか、雑用係のような、その下っ端をやっております者で。このたびのお嬢さまの『魔力診』を担当させていただきます。『深緑のコマラパ』などとも呼ばれておりますが、この衣の色からでしょう。いつも、いっちょうらの、これを着たきりですからな」
柔らかく微笑んだ。
あれ? ティトゥ・クシ……ユパンギ? なんか歴史の授業で聞いたことなかったかしら?
ん? でも、アイリスが知ってるわけないわ……なにかしら、この記憶?
コマラパ老師さまは、大きな人だった。
背が高くて筋肉もある、それだからというわけではなく、ものすごく重い荷物を背負っても動じないで、揺るぎなく立っていられる人だ、そんな気がした。
外見は、上品な壮年紳士。
若々しく見えるけど、すごく落ち着いた雰囲気で、ずっと年配みたいにも見える。
いったい、何歳なのかしら?
「ご挨拶をなさい、アイリス」
お母さまに指摘されて、あたしは背筋をのばした。
いけない、初対面のご挨拶もまだなのに、コマラパ老師の年齢を詮索してたなんて。
「はじめまして、コマラパさま。アイリス・リデル・ティス・ラゼルです。どうぞよろしくお願いいたします」
乳母やに教わった正式な挨拶は、どうだったかしら。ワンピースのスカートをつまんで軽く持ち上げ、上体を前に倒して。
「おお、まだ三歳だというのに、しっかりしておられる。ご両親の愛情とご教育のたまものですな」
コマラパ老師さまは、褒め上手な人でした。
お父さま、お母さま、エステリオ叔父さまも、満足そうです。
いよいよ始まるんだわ。『魔力診』が!
※
「では、始めますかな」
コマラパ老師さまは、懐から一つの石を取り出して、テーブルに置かれた小さなクッションに乗せた。
表面が滑らかに磨かれた、ピンク色の半透明な小石。
「この石を握ってごらん」
あたしは言われたとおりに、ピンク色の石に手をのばした。
それに触れたとたんに。
眩い光が弾けた。
バンッ!
激しい破裂音。
指先が、すっごく、熱くなった。
気がついたら、さっきの石は、砕けて落ちていた。
「えっ? これどうしたの!?」
失敗?
あたし、実は魔力なんかないの……かな。
「ああ、やはり」
なぜか嬉しそうに、コマラパ老師は、低く、笑った。
「予想はしておりましたが、この『量産品』では、計測不可能でしたな」
さらに、コマラパ老師は、懐に手を入れて。
もう一つのものを取り出した。
それは透明な石で。
内側から青い光が浮き上がって見えた。
なんて美しいの!
引きつけられて、目が離せなくなった。
あら? あたしどこかで、ずっと前にも……見たことあるような気がする。
……そうだ、ママが持ってた……ブルームーンストーン……。
「老師! それは」
エステリオ叔父さまが、慌てている。声がうわずっている。
「もちろん許可を得ているとも。むしろ託されたのだよ、『あれ』にな。今回は、通常の計測では受け止めきれないかもしれないと」
「オリジナルではないですか! 私も一度しか見たことがない」
「落ち着きなさい、エステリオ・アウル。さあ、アイリス嬢。あんたを測るには、これでなくてはならぬだろうと、他ならぬ魔導師協会の長『漆黒の魔法使い』が託したのだ。この『精霊石』に触れてごらん」
「精霊石!?」
なんかものすごくファンタジーな感じが盛り上がってきました。