第4章 その7 (書き直し)フィリクスの、懐かしい学食の味
7
エルレーン公国フィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーン公嗣とルーナリシア公女の朝食。
パンとフレッシュバター、ベーコン、落とし卵、果物とジュース。公嗣の皿には煮豆もつけられている。
魔道士協会の調理室で用意されたもので、公立学院、学食の朝定食である。
ルーナリシア公女の離宮で行われた人員整理を、カルナックはフィリクスの離宮でも行った。
最初に退職を求められたのは調理人だった。
身元の確かな者を大公から紹介されていたのだが、諸々の事情により、とある貴族に抱え込まれ『紐付き』となっていたのだ。
いざという時に指令を受ければ、フィリクス公嗣に毒を盛る手はずだった。
調理担当、全員が、その状態だった。
さらに、護衛騎士たちやメイドたちにまで、誘惑や籠絡は及んでいた。
唯一と言っていいほど清廉潔白だったのは公嗣の側近、最も気を許しているケイン。
実直で、主思いの執事……もとい、側仕え筆頭。彼は天涯孤独な身であるため、家族を人質にとられるなどという心配がなかった。
だが、そのケインは事故で片足を骨折する事態に巻き込まれて、完治する見込みはないと、大公家おかかえの医師に宣告されていた。
公嗣を害するよう、とある即妃の実家である貴族からの命令をはねつけたためだった。
現在は、カルナックの手当で回復し、仕事に復帰している。
かくして選別は進められた。
怪しい者は全て叩き出して、新たに人材を選び出す。
それをカルナックの立ち会いのもとでフィリクス公嗣自らが面接まで行うのだ。
時間と手間はかかったが、命にはかえられない。
自分だけではなく、かわいい妹ルーナリシアのために、できるだけのことを、やるしかない。
フィリクスの信頼できる料理人が見つかるまでの『つなぎ』として、魔道士協会所属の、学院食堂調理人の協力を得られることになったのだ。
かくして。
学院食堂で作られたばかりの料理は転移魔法陣にて運ばれ、キュモトエーとガーレネーが、自分たちも役に立ちたいとそわそわしている護衛騎士たちを牽制しつつ公嗣の寝室まで運んできたのである。
王侯貴族だの権力者、大商人たち、さまざまの策謀渦巻くレギオン王国及びエルレーン公国において、これ以上にない、安全な食事だ。
「おにいさま、シアうれしい! おにーさまと一緒にごはん!」
「こんなふうに小さなテーブルで食べるなんて、質素なものだろうに」
「おにいさまと、ごいっしょだから、いいの」
フィリクスが朝の祈りと感謝を、最高神『真月の女神イル・リリヤ』に捧げ、兄と妹は食事を始める。
「おいしいね、おにいさま」
「うん、うまいな。学院の食堂は、昔から、うまいんだ。学生だった頃を思い出すなあ。……まだ、そんなにたっていないんだけどな」
フィリクスは独り言をつぶやいた。五年前までは公立学院の学生だった。寄宿生にはなれなかったが、食堂で食べられる食事は、毒を盛られる心配もなく、安全だったから、口実をもうけては食堂で食べたものである。
懐かしい、味だった。
「それにしても『精霊石』をこれほど間近に見るのは初めてだ」
朝食のテーブルは小さめに作られているのでフィリクスが手をのばせば向かい側に座っているルーナリシアの頭に触れられる。
シア姫の手首に輝くのは、銀色の腕輪である。中央にはまっているのは精霊石。
魔道士協会の長カルナックから贈られた、特別製のしろものだ。
「ところでシア。気になっていたんだが、その腕輪は外せないのだろう? 手を洗ったりした後、濡れて困ったりしないか。蒸れたりとか」
はなはだ実際的なことを気にするのがフィリクスらしいところである。
「だいじょうぶなの、にいさま。つけたままでも、手首をちゃんと洗えるのよ。まるで、つけていないみたいな感じがするの」
「……そうか、安心だな……って、なんだと? そんなものは見たことも聞いたこともないぞ」
思わず叫びそうになった。
が、フィリクスは動揺を隠した。シア姫を驚かせたくないからだ。
この疑念に答えたのは、キュモトエーとガーレネー。
「なぜ『精霊白銀』というのか、少しお考えになれば、おわかりでしょう」
「精霊界に属するもの。通常の物質ではないのです」
「あるといえば、ある」
「無いといえば、ない」
「……まるで、哲学の師のようなことを、おっしゃいますね」
フィリクスは、これもまた懐かしそうに、つぶやいた。
「哲学といえば、講師をしてらしたコマラパ老師はお元気だろうか……いや、つい先日も執務室に来られて、脅されたのだった。ご健勝そうでなによりだ」
カルナックに手を出したらただではおかぬ、と、真顔で脅された。
ちょっとびびったのは、ルーナリシア公女には、内緒だ。