第4章 その4.5(閑話) 大公妃セシーリア(改)
4.5
エルレーン公国大公離宮。
正式な謁見を行う居城ではなく、あくまで私的な場である。
一般家庭でいうなら居間である、通常より遙かに広い部屋。
通常ならば常に見張りや護衛、側近たちがいるはずだったが、そこには大公と大公妃、それに、招かれた客人だけしかいなかった。
「このたびは呼び出してすまなかった。公的な場ではないゆえ、遠慮は抜きに」
「お黙りなさいフィリップ」
大公の発言を遮ったのは、大公と並んで豪華な椅子に座っている、大公妃セシーリア。
貴族的な美貌、色白の肌、豊かな黄金の髪を結い上げ、淡い緑の目。
力強い表情をしている。
大公と大公妃、どちらの立場が『上』であるかは明白だ。
それもそのはず、大公妃セシーリア・エル・スール・アステルシアはレギオン王国の辺境の守護として立てられた高位の貴族アステルシアの跡継ぎ娘であり、婚姻を機に当主の座までも手中に収めた、やり手である。
彼女がエルレーン公国へ嫁ぐことで広大な領土と財産がエルレーンへと移ることになったのだ。
これによって勢力分布に並々ならぬ変動が起こり、セシーリアは『嵐の大公妃』と呼ばれることになった。
エルレーン公国の一部として組み込まれたエル・スール・アステルシアは、セシーリア個人が領有する自治領であり、彼女は自らの所有する領地の経営に手腕を発揮し続けている。
その代わり、多くの王侯貴族がそうであるように、自ら公嗣たちの養育に時間を割いたりはしない。そういった専門的な事は、しかるべき側近にゆだねているのだ。
側仕えたちは『勝手に』忖度をする。
公嗣にはおもねり、また、公嗣の座を狙う有力な公子たちにも擦り寄り、出世の可能性が低いとされる末子にはそれなりに、おざなりに。宮廷に仕える者の中には立身出世を願い容易く誘惑に落ちる者も少なくはない。
大公妃セシーリアは、そんなことなどお見通しで、放任しているのだ。
宮廷に腐敗はつきものと割り切ってもいた。ただ、全てを調べ上げ記録はさせている。
役に立つうちは、大目に見てもよい。役に立たなくなれば、彼らを弾劾し処分するために。
「まずは何よりも先に、お礼を申し上げるのが筋でしょう。あなた、いつまでアホウ面を下げているつもり? 席を立ちなさい」
言い終わるよりも前に、大公妃セシーリアは率先して立ち上がり、うやうやしく進み出ると、ひざまずいた。大公フィリップも、慌てて従う。
「いと尊きお方。お師匠様。しばらくぶりにございます。このたびは我らが家庭内のごたごたを片付けてくださり、感謝のしようもございません」
「貴女が気にかけるほどのことはしていませんよ」
大公妃セシーリアの礼に、涼やかな声が、答えた。
長身に、黒いローブを纏った、抜けるように白い肌に映える長い黒髪、青い目をした美青年。
世間に言う『漆黒の魔法使いカルナック』その人だ。
見た目は二十歳をいくらも過ぎていないと思えるほど若々しいが、この数百年、エルレーン公国で権威を誇る魔道士協会の長をつとめてきた。
その傍らには、公嗣フィリクスが、沈黙を守り、片膝をついて控えていた。
さらに数歩下がった位置には、魔道士協会の副長、長年、カルナックを補佐してきたコマラパ老師が、一分の隙も見せずに立っていた。
コマラパ老師も魔道士には違いないのだが、大柄で屈強な、鍛え上げられた体躯を見れば、歴戦を経てきた戦士かと思われるような気迫がある。
「いつもながらのご謙遜を。痛み入ります」
セシーリアは頭を垂れ、そして顔を上げた。
その、瞳は、翡翠色にきらめいていた。
「ここからは、学生だった昔みたいにぶっちゃけ本音でいきませんかお師匠様! うかがいたい話というのは、シア姫に贈って下さった腕輪! あれはいったい、なんですの! 反則ですわ! チートです! わたくしが頂きたかったくらいですわ!」
「セシーリア! 本音すぎるじゃろ!」
大公フィリップが、情けない声をあげた。
「まあ! なんのために、邪魔な側仕えたちも排して、私的に訪問していただいたと思ってますの。わたくしは遠慮しません! 若い頃にカルナック様を落とせなかったヘタレのくせに!」
「お、おまえ……なんということを」
青ざめる大公。
「だからといって、フィリクス! 大公が主張しているように、おまえがカルナックお師匠様をたらしこめた、なんて、このわたくしは毛ほども信じていませんよ。あまりに哀れだから『公的な愛人』だと世間に広めることをお許しくださったのに違いないのだから。そうでしょう、コマラパ老師?」
「う、わしに聞くか!?」
突然に質問の矛先を向けられたコマラパ老師は、少しばかり動転した。
セシーリアの目が翡翠色の光を宿しているときは、彼女の『強制呪言』が込められていて、真実しか返答できなくなるという効果もあった。
なので、コマラパ老師には、答えないわけにはいかなかった。
「……その通りじゃよ。まったく、昔から、おまえさんは空恐ろしい生徒じゃったわい。セシーリア」
「もちろん、自覚していますことよ!」
セシーリアの目が、光を強めた。
「あら……ここには、わたくしたちだけではありませんのね? 守護の方がいらしていますの?」
コマラパ老師の背後を見やる。
「本当に、恐ろしい子だ」
カルナックが、苦笑する。
「保険はかけていますよ。想定外のことが起こらないとも限らない。私は、常に《世界の大いなる意思》とつながっている」
どこかで、かすかに。
リン、と、小さく、鈴が鳴った。
「なにしろ……シアに与えた腕輪には本物の《精霊石》をつけましたからね。《世界》の赦しが必要だったのです。アイリス・リデル・ティス・ラゼルに与えてあるものと、完全に同じではないですが」
含みのある、言い方をしたのだった。
「シア姫には、精霊の守護を与える必要がある。《世界の大いなる意思》です。……ついでにフィリクス公嗣にも何がしかのモノを贈りますよ。私の愛人ですしね」
「お師匠様……カルナック様の、お考えの通りにいたします」
ここで、ようやくフィリクス公嗣は、言葉を発することができた。
冷や汗を背中に伝わせながら。
「わたくしの一命にかえましても……シアを……妹を、どうかお守りください」
「うむ、心配ない。私に一任したのだろう?」
公的には公嗣の愛人である魔道士協会の長カルナックは、簡潔に答えた。
「魔道士協会で独自に調べた。シア姫の離宮にいる者たちは誰一人信用に値しない。全て入れ替える」
「はい」
大公、大公妃、公嗣、全員が、ひれ伏す。
ことは《世界の大いなる意思》の命令である。従うほかに、選択肢はなかった。
「だが、シア姫の守り役は必要だ。郷里から、呼び寄せましょう。適任の人物を」
カルナックは、ふっと笑う。
「ちょうど、退屈していそうな者に心当たりがあるのでね」