フォールアウトのそのあと
僕には日課がある。職場から電車に揺られること30分ほど、東京の郊外にある地下のネットカフェ「スーパーセーフ」に通うことである。ネットカフェにこだわりなどなかったが、ここは隠れ家的な場所にあり、大手の紹介サイトにも掲載されていない。そのためアットホーム的であり、地下にあることから年間通して気温や湿度が適度で、落ち着きを持ったその空間は日頃のストレスを解消してくれる。仕事終わりに3時間ほどドリンクバーの飲み物を片手に漫画や小説を楽しむ。週末は仲間たちとレジャーに出ることも少なくないが、平日は特別なことがなければここにきている。スーパーセーフの客層はいつも様変わりせず、穏やかそうな人々が本の虫になっている。ゆったりと流れるここでの時間が僕は大好きである。ちなみにスーパーセーフのご飯ものはおいしく、特にサラダは絶品で健康が気になり始めた三十路独身の僕にも優しいメニューが豊富である。次店主にあったらどこ産の野菜を仕入れているのか聞いてみよう。
今日もいつもと変わらない日常であった。朝のニュースでは米軍が中東に武力介入したとか中国が国連の決定に従わないだとか、総理大臣の昼飯が豪勢すぎるとかやっていたが、自分には何ら関係のない、ただ仕事をしてネカフェに立ち寄って帰る日々である。今日はとある作家の新作が書店に並ぶ日だったはずなので、早く仕事を切り上げてスーパーセーフに向かうことにする。見飽きた景色も仕事が早く終わるとすがすがしく感じるものだ。
「店長、お久しぶり。ここの所残業三昧でなかなか来れてなかったけれど、今日はあの作家の新作発売日だろう。だから早めに抜けてきたんだ」
「君が来ると思ってちゃあんと用意しておいたよ。ささ、はやく読み始めなよ」
他愛ない会話をしていつもの指定席へ。両隣とは一応顔見知りではあるが、お互い合えば何言かかわすくらいで、何の仕事をしているだとか、どんな生活を送っているだとかそんな話は一切しない。このような場では踏み込みすぎない距離感というのも大事である。
「アメリカから中国に向けて発射された爆弾は東京上空で迎撃された模様です。放射性物質が降り注ぐ恐れがあるので屋外にいる方は早急に避難を----」
「続報です。ロシアからアメリカに向けて核爆弾が発射された模様----」
「騒動に便乗して北朝鮮が日本に核攻撃を----」
突然、店の扉が大きな音を立てて閉鎖された。今まで気づかなかったが、この店の扉は厚みが1mもあろうかというような頑丈な扉で、普段は壁の一部だと思っていた部分であり、とてつもない強度を誇っていそうだった。
「店長、何かあったのかい?こんな頑丈そうな扉を閉めてしまっては、誰も出入りできないじゃないか」
「この星は、もう終わりみたいだ、、ニュースを見てくれ。」
そういって受付前にある大きなテレビの電源を入れる店長。普段はアクアリウムのスクリーンセーバーになっているか、電源は落とされている。大画面で映画を楽しみたい人は予約をすれば使えるのだが、いかんせん人目があるのであまり使う人はいないのだ。
ニュースでは世界中が核の戦火に飲まれたことを報道していたが、キャスターが血を噴き出して倒れたため放送は中止となっていた。他所の局でも同じように放送は打ち止めになっていたが、どうやらこの星は終わってしまったらしい。
「お客さん、実はね、このカフェ・スーパーセーフは名前の通り核シェルターなんだよ」
「といいますと?」
「さっき轟音とともに閉鎖した扉しかり、ここにはどんな危機的状況でも3か月以上、ここにいるすべての人が暮らしていける設備があるのさ」
店長が言うには、ここのオーナーは心配性の科学者で、店長自身も元軍人であり、ともに設備の相談をしながら科学者の貯金をはたいて私設に建てられた核シェルターであるとのことだった。ネットカフェの形式にしたのは、店長・オーナーともに両親や兄弟がおらず、これといってすごく仲の良いものもいなかったため、地球最後の日にともに過ごすのはだれでもよかったためらしい。なのでいろいろな人が出入りする場所ならば、三人寄れば文殊の知恵、より生存確率が上がるだろうと思いこのような形になったのだそうだ。ここの広告はごく少量世間に出回ってはいるが、攻撃的な精神を持っている人間にはたどり着けない暗示がかかっているとのことだった。店長自身、いら立っていると店にたどり着けないこともあるといっていたのに驚いた。
「まあ、料金はつけとくからさ、明日からはちょっとした夏休みだと思ってゆっくりしていってくれや」
核戦争で文明が終わっていく中で、気長に漫画を読もう。
店長は店の中の客を集め、同じような話をし始めた。よく見る顔もあった。そして、せっかくなので全員で自己紹介をするという流れになった。
20人ほどがかわるがわる自己紹介をしていた。特に変哲もない当たり障りのない自己紹介であった。ただ一人、僕をドキリとさせる人物がいた。彼女の名はY。会社員で三十路、親は早くに他界し、恋人もいないとのことだった。ここまでごくありふれた自己紹介であったのだが、驚いたのは彼女自身にであった。自己紹介を受けるまで全く気付かなかったが、会社で僕の目の前のデスクに座っている女性、その人だったのだ。あまり会話もせず派手な見た目でもないので完全に意識の外であったが、よく思い出してみれば同期入社で、同じ部署に配属されたその人であった。
「ここに通ってたなんて驚きだよ」自己紹介が終わり、場はお開き、それぞれがいつもの席で何となくそわそわしながら読書に戻る。夕食を注文する客もいたようだ
「私は何回か見かけていたから知っていたけどね。知った顔が一人でもいて少し安心しちゃった」
自己紹介の後、僕はYを夕食に誘っていた。といってもスーパーセーフの通常のメニュー通りのものを出してもらえるだけなので、ロマンチズムも何もなく、さすがに恋愛に疎く生きてきた僕でも女性を夕食に誘う、という表現に首をかしげたが。
「ところで、ここのフレッシュサラダはおいしいな」
「これも食べ納めかぁ」
なんて話をしていて、思い出した。
「そういえば店長、この野菜はどこから仕入れているんだい」
もうそんなことを聞いてもどうしようもないのだが。
「この野菜はうち育ちさ。人口太陽温室が24時間365日かんりされて、そこで作ってる。」
とてつもないネットカフェだった。どおりで野菜がうまいわけだ。野菜はとれたてに限る。
「運動したかったら、地下の体育館を使うといい。その下にはジムもある」
なんと、このネットカフェは通常営業されていた規模の100倍ほどの体積があるらしく、本当に3か月以上健康な生活を送れるようだった。
その日から、僕のネカフェ生活が始まった。