世界に牙を剥くはサイゲツ
人類は二つに分けられる。
『持つ者』と、『持たざる者』に。
≠
奇跡はこの世界に存在する。
その事実を証明する歴史上最も有名な出来事は、十五世紀のとある二つの国による戦争。
ただの農家で生まれ育った少女が神の声を聴き、祖国の兵を率い劣勢を覆した――――後に聖女と讃えられる、偉業。
それを成し遂げたのは、彼女の持つ《奇跡(kiseki)》によるものだ。
そしてこの大きな奇跡を引き金とし、世界各地ではあらゆる《奇跡》が目撃させるようになる。
《奇跡》を持つ者は時として迫害を受けた。
だが彼らは時の流れにより、大きな力を持つようになった。
ある《奇跡》を持つ者は、戦場にて一騎当千と謳われるようになり。
ある《奇跡》を持つ者は、圧倒的カリスマにて祖国を掌握する支配者となり。
ある《奇跡》を持つ者は、後に歴史に刻まれる凶悪犯罪者としてその名を遺し。
ある《奇跡》を持つ者は、現代の聖人としてその名を永遠に栄光あるものとした。
――――最も有名な《奇跡》の出来事から、幾百年。
時代は行き過ぎ、現代。
《奇跡》が身の回りにある事が当たり前となった人類は、人口の四割を占めるようになった《奇跡》に対し順応を見せ、彼らに適応した社会を作り上げた。
故に、近代の始まりから社会的立場を確立させた彼らは“奇跡を体現する者”という敬意の元に『持つ者』と呼ばれるようになり。
“奇跡を持たない”六割の人口は『持たざる者』として、『持つ者』を受け入れ適応していく事となった。
抵抗など、出来ないままに。
誰の声も、届かぬままに。
≠
『持つ者』が基準となった現代社会は、大きく三つに分断されていた。
一つは、国際奇跡連盟(international kiseki league)。通称IKL。
多くの連合国が所属する、世界最大の政府機関であり、最も強大な力を持つ『持つ者』による非政府管轄組織『集いし者達』が在籍する連盟だ。
IKLと殆ど肩を並べるのは、双亜欧人民共和国連邦。通称、人民連邦
二つの大国を中心に十数の小国が協定を敷いている、数でならばIKLの上を行く連合だ。
独裁政治が横行しているというなどという黒い噂が絶えない連邦であるが、真実は定かではない。
最後はIKLや連邦に属しない、無色国。
宗教的理由や国勢、その他紛争や内乱といったものでどちらにも加担しない、少数派の国々。
これら三つが均衡を保つ形で、現代社会は成り立っていた。
しかし、人民連邦が無色国三つを協定下に置いた事により、三つの派閥の均衡にヒビが入る。
やがて人民連邦に負けじとIKLが無名国二つを連盟へ吸収し、無色国を取り合う二大派閥の政治的小競り合いが始まる。
小競り合いはやがて会議の中から、会議の外にまで影響し、貿易にその手が伸び、各国の国民にまで対抗の意志が見え始める。
事を静観していた国々が「近々戦争になるだろう」と、察し始めるのに時間はかからなかった。
そしてとうとう、国際派閥会議にてIKLと人民連邦の対立が確定された、その時。
世界は、一つのビデオレターで変わった。
≠
――――悪の組織・ナンジャイワレ。
十年前に衛星をハッキングし、全世界に向けてその存在を知らしめた世界第四番目の派閥。
各世界で差別され社会的弱者となっている『持たざる者』に、『持つ者』と均等になるための能力与えるという秘密組織だ。
十年前、全世界に配信されたビデオレターと共に各派閥代表に好意と称し山のような花を軍事用ヘリコプターから降らせた事は、彼らナンジャイワレが組織の異常性を人々に証明している。
彼は自由奔放で、ビデオレター事件以来世界各地でその構成員が好き放題やっては他の派閥の者に追いかけられ、時に交戦し、時に交渉のみで平和的に解決していた。
構成員に人種の差は無く、また『持つ者』と『持たざる者』の間に従来あった隔たりもない。
ただ元犯罪者であったり、元一流企業の社員であったりと、経歴が多様で、また思想も多種に渡った。
そんな一見統率性の無いナンジャイワレの構成員達であるが、彼らはこの十年間に幾度も本部を他の派閥から攻撃されながら、たった一度たりとも敗北したことは無かった。
思想や思考はバラバラでありながら、彼らは唯一の組織の掟と目的に、それぞれ準じていたのだ。
彼らのたった一つだけの掟は――――仲間を守る事。
彼らの目的は――――世界征服。
故に、悪の組織である彼らは今日も、世界で活躍し、暗躍する。
それぞれの思惑で、世界をその手に掴むために。
――――そして、この日。
悪の組織・ナンジャイワレの本部会議室にて、組織に存在する各部門の幹部が集まる、週に一度の会議が開かれる。
ナンジャイワレにある各専門部門の幹部達はチームを組み行動することが多い事から、近日彼らは一つの部隊として組織内で纏められ、その名を世界中へゆっくりと響かせ始めている。
組織内では少数派である『持つ者』と大多数の『持たざる者』の間に、一切の隔たりが無いことを証明する象徴とも言われてる彼ら。
主に戦闘の場面でその実力を発揮する彼らの名は――――『塞囓(saigethu)』。
「――――はいキタァ!! そこそこそこ!! そこだよツヅラオちゃんそこでスマァァーーーーーィルッッッッ!!!! いいねー!! いいよォツヅラオちゃんそのままフラスコ見詰めててぇーーーーーっと、おおおおいいの貰ったよツヅラオちゃん!! 今世紀最高の良い笑顔!!!! グッドバッドスマイルッッ!!!!! ンンンンンン素晴らしいィイイイイイイイイイイイインンンンンンンンンンンンッッ!!!! そしてフラスコに向けられる熱のこもった眼差しッッッ!!!! きっと恋人の俺にも向けた事がない優しい瞳ッッッッ!!! いいよぉツヅラオちゃん今の永久保存決定!!! 『ツヅラオisベストアルバムversion58』のトリに使わせて貰います!!!!
ッ、って、おおおおおおおおおおおおおおおおンンンンンンンンンンンンンンンンンンアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!? キタァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!! キタァ!! 来ましたよアアんいいねーーーーーーッッッッ!! その最高にうっとおしそうな表情!!! 視線!!!! 良い!!!! 最高!!!!! タンドリーチキン以上の俺へのご褒美!!!!!! 最ッッッ高だよツヅラオちゃん!!!!! そのままこっちに!!!!! 軽蔑したッッ、眼差しをッッッッ!!!!
プリーズ!!!! 軽蔑!!!!! 視線(eyes)!!!!!!」
「ウザうるさっ」
「着席してもらえませんかヨーゲッドさん! 会議始められないんで!」
――――別名、『変人部隊』である。
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幹部精鋭戦闘部隊・塞囓には一週間に一度、各部の報告会議を開く決まりがある。
それは塞囓のメンバー達の仲が非常に良い事と、各週必ず各部のどこかで他派閥との戦闘があるため、その報告を兼ねての定例会議となっている。
そして今回も塞囓の定例会議はいつもの曜日にいつもの時間に、いつものように始められる――――予定だった。
「おいコラクソジジィィィィーーーーーーーーーッッ!!!」
――――ある意味では、彼らは予定通りであったが。
「てめぇアタシの山地岩石コレクションをまた勝手に漬物石に使いやがったな!? 前にも触んなって散々言っただろうが! 認知症患ってんのかこのクソジジィが! 岩砕きすんぞゴラァ!」
悪の組織・ナンジャイワレ本部。
第七・二十四階、第七中央会議室。
薄暗い蛍光灯の光に照らされ、暗黒に包まれた室内の中心に浮かび上がるように存在を主張する楕円形の長机。
その机を取り囲むように計十二のリクライニングチェアが並んでおり、いかにも悪の組織らしい、荘厳な空気を作り出している。
しかしこれ程にまで雰囲気のある、環境的にはこれ以上なく整えられた会議室を、現在しようしている人物というのは――――あまりにも。
悪の組織の構成員というには、“なっていない”者達ばかりであった。
「ふぁ? なんじゃってぇ?」
「ジジィ…………!」
短く切り揃えられた茶髪に、二の腕まで捲し上げられた白衣。
清潔そうな見た目とは裏腹に、胸を通り抜けるような芯の強い声で聞く者の耳を疑わせるような暴言を吐くアジア系女性――――睦月一。
彼女が牙を剥き吠え立てているのは、中華服に身を包んだ老人。
顔に深く刻まれたシワと短い背丈から、年齢八十代後半はあるだろうと思われる彼――――師走十二は投げかけられる暴言に対し、歳のせいで重くなった目蓋を懸命に開きながら、ゆっくりと声を発した。
「腰砕け? なんじゃ最近の若いモンは、そんなはしたない言葉を使いよって…………」
「腰砕けじゃねえよ岩砕きだよジジィ! 脳ミソだけじゃなくて耳まで逝ってんのか!?」
「しょうがないのぉ…………そんなにワシのバァさんを骨抜きにした超絶テクニックが見たいなら、やるしかないのぉ…………ちょっと待っておれ。今準備を――――」
「師走さぁぁぁぁぁんんんんん!!!! ストォオオオオオオオオッッッップ!!!!!」
何の躊躇いもなくどっこいしょと座っていた椅子から立ち上がり、中華服のズボンに手を掛ける師走。
そのままゆるゆると脱衣を始めようとしたところを、ギリギリで滑り込みズボンを上までキチンと穿かせたのは、青年だ。
外見二十代前半にして、この会議室の中でただ一人きっちりとリクルートスーツを着こなす彼は、ぱっと見爽やかな印象を受ける平凡的な日本人の顔貌に忙しなく感情を浮かべながら、脱衣未遂を仕掛けた老人を席に着かせる。
彼の名は霜月士彦。
今回の定例会議の司会を務める、外見こそ至って無害そうな新社会人である。
「師走さん、ここ会議室! テクニックとか見せつけたり服を脱ぐところじゃないですから、大人しく座っておいてください!」
「そうか、さちこが言うなら仕方が無いのぉ」
「士彦です、師走さん」
さり気なく未だに間違えられる名前の訂正を加え、席に着いた師走の目の前に茶の入った湯呑みと彼の好物であるぬれ煎餅を用意する士彦は、「睦月さんもですよ!」と。
ファイテングポーズを取ったまま反対席にいる師走にシャドーボクシングをする睦月に、クールダウンだと言い聞かせる。
「どうせまた明日も業務放り出して山に登りに行くんですよね? その時にまた新しいの持って帰って来れば良いじゃないですか」
「このジジィが今回漬物石なんかに使ったの何か知ってるか? ロッキー・マウンテンの岩だぞロッキー・マウンテン! それをこのジジィ、関取ぐらいのサイズで持ってきた岩を漬物石サイズに砕きやがって!」
「思った以上に岩が大きかった! そしてそれどうやってここに持って帰ってきたんですか!」
腹立たしそうにぱきぱきと指の関節を鳴らす睦月。
趣味がロッククライミングであるため、筋肉の筋が浮き出る程に鍛えられた前腕とそれに繋がる上腕二頭筋を彼女の捲られた袖の先から直視してしまう士彦は、怒り心頭とばかりに平和ではない顔付きをしている睦月に恐れ戦きながら、それでもつい癖となってしまったツッコミをする。
と。
これまで喧騒に包まれ混沌としていた会議室の中で、一言も口を開かず、会議で用いられる楕円形の長机の上に、あらゆる国の観光パンフレットを広げ眺めていた青年――――卯月フォード(ラビット・フォード)が思い出したようにパンフレットから顔を上げた。
仕事以外は常に口を閉ざし、うさ耳帽子をいつも装備する寡黙な男。
深い関係にある幹部達ですら滅多に彼の声を聞くことはないのだが、今回ばかりはフォードは珍しく、私語を口にした。
「薄幸『持つ者』から伝言である。『もうそろそろ暇が欲しい』と」
「だがしかし断る。ラビット、明日薄幸くん借りるから。アイツのテレポート便利なんだよねー」
「ああ、薄幸くん…………」
同じ国の出身者として他の部門に所属していながら、かなりの頻度で交流のある先輩の苦労を案ずる士彦。
今し方判明した睦月の使いっパシリに同情を贈る彼は、睦月の気を鎮める一方で「こんなの組織の外に知れ渡ったら処罰ものだろうなぁ」と、改めてこの組織の特異性について実感する。
まさか世の中の誰もが世界中で称え祀られている《奇跡》を『持つ者』が、『持たざる者』に良いように使われているなど、思ってもいないだろう。
それはこの悪の組織においてまさしく、『持つ者』と『持たざる者』の立場が平等であることを意味しているが――――しかし。
この組織に所属し幹部にまで上り詰めるまでのキャリアを持ち、その上睦月の横暴ぶりを身を持って知っている士彦からすれば、ただただちょっと便利な力を持ってしまった者の可哀想な話に過ぎなかった。
――――彼自身も、この組織に入るまで『持つ者』に対して憐れみを抱く事など無かったのだが。
「…………さて」
予定会議時間から十五分経過。
十五分の会議時間を費やしようやく室内に蔓延る混沌の一つを解消した士彦は、現在会議室内で一番生命の危険性が高いであろう問題へ意識を向けた。
わざと触れないようにしていたのではないが、まずは年長者の身の安全を確保しようと判断し、あえて先送りにしていた問題。
今にも一人のカメラマンを拷問器具で息の根を止めようとしている作業服の女性――――ツヅラオ・N・ムーンに声をかける士彦は、幹部精鋭戦闘部隊の中でもナンバーツーに君臨する、塞囓の中で危ない女の気持ちを落ち着け始める。
「ツヅラオさんクールダウンです、クールダウン。とりあえず尊い命が一つ消えてしまうのでその箱を閉めるのは辞めてください」
「えー、せっかくおニューの『鉄の処女』の威力試したかったのにー!」
「如月くんは黙っていてください…………!」
士彦の横入りに野次を飛ばす美少女――――如月二タ(きさらぎ ふた)。
ミディアムカットが良く似合う塞囓最年少の性別詐称少年に開いた手のひらを向け「待って」のサインを送る士彦は、棺に押し込まれながらもカメラのシャッターを切り続けるプロのカメラマン――――ヤー・ヨーゲットに呆れた視線を投げかける。
ちなみに彼は今、身体の半分が『鉄の処女』の中に入っている。
「ヨーゲットさんもいい加減自制を覚えてください。いくら恋人同士とはいえ所構わずカメラ回してたら犯罪ですよ?」
「そうです!! オレが彼女限定の心の泥棒です!!!」
「士彦。ワタシはマウスは敬意と愛情を払って実験のために殺すが、この男は軽蔑と憎しみを持って実験のためじゃなくても殺そうと思う」
「すいません、お二人共本当に付き合ってるんですよね? ツヅラオさんにいたっては親の仇とばかりにヨーゲットさんに殺意を向けてるんですが」
ぎりぎりと足底で棺を押し、棘は刺さってはいないものの扉に身体を挟まれ嬉しそうにしているカメラマンヨーゲット。
恍惚とばかりに朱に染まる彼を極寒零度の眼差しで見詰めるツヅラオを、どうにか説き伏せ席に着かせた士彦は、改めて席に着いている塞囓のメンバーに問いかけた。
「…………ツヅラオさんって、ヨーゲットさんと付き合ってるんですよね?」
「…………そのはずだが?」
塞囓メンバーで比較的常識的な人員にカウントされる車椅子の青年――――弥生三月は静かに首を縦に振った。
「二人共仲良しだよねー」と言う愉快犯如月は放っておき、弥生の言葉を受け取った上で『鉄の処女』から解放され床に転がるヨーゲットを見下ろす士彦は、
「ああああああツヅラオちゃんの軽蔑しきった目…………最高に御褒美ですぅふふふふふふふふふ」
壊れたラジオ(レディオ)のように「ツヅラオちゃんハアハア」を繰り返すヨーゲットの姿を、そっと視界の外に追いやった。
見た目だけなら好青年の敏腕カメラマンであるが、人間見た目じゃないな、と。
古くからある祖国の言葉をしみじみと噛み締める士彦だった。
「…………ァァやっぱりそうよね…………やるなら寝てる時よね…………分かってるわサタン様…………今日こそあの人を、ゆきのものに…………」
――――人間見た目じゃない、と。
正面に座る喪服を身に纏ったぼさぼさの髪の少女――――皐月ゆきに、そう思いたい士彦はそっと彼女から視線を逸らした。
いつも気付けば彼女が真っ黒なノート片手にこちらを凝視しているのは、気のせいだろう。きっと。
そう願いながらツヅラオとヨーゲットを席に着かせた士彦は、会議室の隅で一人黙々と酒瓶を煽っている四十代男性に声を掛ける。
「神無月さーん! もう会議始めますよー!」
「あー? あと五本飲ませろやさっちゃぁん〜」
「昼間からどんだけ飲むつもりですかあんた」
いいから席に着いてください、と。酒気を纏う自他認めるダメなオッサン――――神無月十の介護をし、数分掛けて席に着かせた士彦は、ようやく自分の座席にどかりと腰を降ろし、深い疲労のため息を吐いた。
――――会議予定時間から三十分。
「ちぃっすっ。遅れたっす、サーセンっす」
「文月、着席」
「うぃっす」
大幅に開始時間に遅れながらイギリス系の顔立ちをした二十代前半の青年――――文月七日に着席を促した士彦は、今や常時携帯となってしまった胃薬を水で流し込んで、司会席から会議参加者全員を見渡す。
最後の空席にも、ニホンのニンジャのような格好をした謎の青年――――水無月六罪が着席しているのを確認した彼は、「これがこのメンバーで会議をするまでにかかる最短時間か…………」と。若干遠い目をした後に、咳払いを一つ零す。
気を取り直した彼は、塞囓メンバーの全員に会議開始の合図とばかりに目配せすると、粛々と口を開いた。
「ではこれより、塞囓の定例会議をはじ――――――」
刹那、轟音と共に警鐘が鳴り響く。
≠
突如として会議室を揺らした轟音。
鉄骨が軋む嫌な音とコンクリートの砕ける衝撃が荘厳だった室内の雰囲気を壊し、薄暗かった部屋に陽の光を差し込ませる。
「oh! ツヅラオちゃんの背中に後光がっっ!!!!」
パシャシャシャシャッ――――とフィルムが擦り切れるようなスピードでカメラのシャッターを切るヨーゲットは誰も気に留めることなく、壁の崩壊した会議室にいる塞囓のメンバーは、唐突に壊れた壁の向こうへそれぞれ視線を投げかける。
けたたましい警鐘が鳴り響く中、沈黙に包まれた会議室の外。
壁の向こうに在ったのは――――青空を背負い、六対の純白の翼を生やした青年だった。
一点の穢れもない白銀の頭髪。すっと通った鼻筋と、穏やかな顔貌。
芸術品のように整えられた顔立ちは、まるで青年がこの世のものならざるものであるかのような神聖さに満ち、その神秘さを象徴するかのような翼はさながら――――天の御使いの如く。
聖書に現れるような熾天使の如き青年は、青空を背に会議室内を見渡し、翡翠を双眸を敵意に細める。
「これはこれは…………少々間違えてしまいましたね」
清々しい声音で紡がれるのは、けして友好的ではない意思。
「悪の組織のボスに直接お会いしようと最上階まで飛んできたのに、どうやらいたのはただの雑魚のようだ」
見渡す限り視界に入る女医、美少女、車椅子、ニンジャ、カメラマン、酔っ払いに老人。
到底組織の幹部とは思えない風貌の十数名を雑魚格だとバッサリ判断する熾天使は、口振りからするにどうやら悪の組織・ナンジャイワレのボスへ奇襲をかけに来たらしい。
偉い人は最上階に住む――――などという古典的な先入観に導かれるまま襲撃したところ、いたのは熾天使曰く雑魚だった。
そう認識したためだろう。それぞれの席で現状を見守る塞囓メンバーを、道端に置いてあるゴミ箱のように特別な漢書を抱く事無く一望した熾天使は、白い外套に包まれた右手を天へ掲げた。
熾天使が開いた手の先。僅か数センチ上で、見えない力によって空気が渦を巻くと――――火種も無しに炎が巻き上がった。
螺旋を描く炎は燃料も無しにその勢いを強め、やがて球の形をとると、直径二メートル程の巨大な炎球として熾天使の手の上で燃え上がる。
この一連の不可思議な現象を見届けたツヅラオが、冷静な声で唱えた。
「…………《奇跡》、か」
「――――その通り」
にっこりと、風貌に似合った笑みを浮かべる熾天使は言う。
「世界の理に反した『持たざる者』、いえ、悪の組織を罰するのは天から《奇跡》を賜った『持つ者』の役目。
今頃下の階では私の部下達がこの組織に攻め入っているところでしょう」
「成程。だからさっきから煩く下の方でサイレンが鳴ってるってわけか」
納得したように睦月が呟く。
というのも、悪の組織の本部は超高層ビルであり、その高すぎるビルの構造故に大きく七つのブロックに区別化されている。
フロアが多過ぎるために、各ブロックの異常事態を把握しやすいよう警備システムもブロック毎に変えられており、異常が発生した場合は異常発生フロアがあるブロック全体のみに警鐘が鳴り響くようになっている。
現在、塞囓のいる第七ブロックには、熾天使のような襲撃者がいる。
彼により組織の壁に穴を開けられたことによって警備システムが作動し、第七ブロック全域に警鐘が鳴っている事は何ら不自然ではないと思っていた傍ら、ところで遥か下の階からもサイレンが聞こえる気がしていた睦月は「はいはい分かりました」と呟きながら、座席に座り直す。
その睦月の態度に、熾天使は違和感を感じる。
「その服の材質はIKL所属の『持つ者』が作る《天の羽衣》だな」
「《奇跡》も相当強そうで御座るよ。ニンニン」
服の質から熾天使の所属する組織を推定する弥生に、水無月が続く。
「どうやら『持たざる者』でありながらモノを見る目はあるようですね」と、これから炎球にて一掃する予定の十数名に向けて皮肉を言い放つ熾天使は、それから数秒して。
「…………貴方達、妙に冷静ですね」
抱いた違和感の正体に気付いた熾天使は、疑念を眼差しを雑魚だと思われし十一名に向けた。
――――悪の組織・ナンジャイワレは『持たざる者』のための組織である。
そのため組織の構成員において『持たざる者』が大多数を占めていることは十年前に彼らが全国放送でそう主張した時から、誰もが知っている事柄であったし、現にこれまでIKLなどが捕らえた組織の構成員はみな『持たざる者』であった。
そして悪の組織に入った『持たざる者』はみな、『持つ者』に対して反抗的な意識を持っている。
それぞれが抱くコンプレックス――――《奇跡》を体現する者への恐怖心と比例する様に。
そのためこれまでの様に、特に熾天使のように見目からして神々しい《奇跡》を目にした『持たざる者』は、熾天使の持つ《奇跡》の神秘を身を持って知り、その力の凄まじさを想像すると共に戦慄するのが当たり前であり、熾天使自身もこれまでの人生の中で『持たざる者』に恐れられない事は無かった。
恐れられてこそ、当たり前なのだ。
――――だが、しかし。
現在こうして《奇跡》を『持つ者』である熾天使を目にしているというのに、雑魚であるはずの彼らはあまりにも落ち着き過ぎている。
それどころか、通勤帰りの電車が遅れているのを「この路線は良く止まるから仕方ないか」というような感覚で、少しの間時間でも潰そうと軽々しく気を変えるような。
(そんな気安い感覚で――――この雑魚達は私を認識していないだろうか?)
その違和感に気付くと同時に、熾天使は自分の背中に妙な感覚を得る。
それは今まで感じたことがないような、細かい虫の足が這い上がるような感覚。
心臓の近くで冷たい塊のようなものが突っかかり、言い様の無い無機質な何かが喉までこみ上がって来ているような、心地好いとは言えないモノ。
順風満帆だったこれまでの人生で、生まれて初めて悪寒と不審感を抱く熾天使の目に、自分達の組織の本部が襲撃されているというのに焦りの感情など欠片も浮かべていない彼らが座る、座席が目の入る。
正しくは――――一つだけ空席となっている席に、意識が向いた。
(あれ、は…………)
まるでほっかりと。そこだけ、がらんどうになったかのような虚無感。
人の気配のしないその座席に、どうしてか視線が向いてしまう熾天使は、数分前の記憶を遡り、そこに確かに誰かがいたということを思い出した。
そして――――確かにいたはずのその人物が今、この会議室内にいない。
「おい、IKLの『持つ者』さんよ」
その事に気付いたと同時に、いつの間にか酒瓶の中身を空にした神無月が、一言。
憐れむように、告げた。
「てめぇはうちのリーダーを怒らせた」
――――直後、熾天使はバイクに撥ねられた。
≠
――――幹部精鋭戦闘部隊・塞囓について話をしよう。
彼らはみな組織の各部署の中でそれぞれ三名いる部署幹部の一人であり、その中でもわりと話が通じるタイプの幹部である。
そのため組織の戦力拡大計画の一つとして取り上げられていた『部隊を作る』という項目の実験のために各部から招集され構成された、対他組織専門の部隊。
戦闘部隊、という名目を持っていながら、実際は他の派閥との交渉や接触のために設けられた、唯一の外交チームである。
――――つまり他に存在する幹部で構成された部隊は外交以外の目的のために作られたのだが、その他部隊については後日語るとして。
まだ組織幹部の中で話が通じる彼らが外交チームに加えられた理由は、三つある。
一つは外部と平和的な接触をするため。
組織に所属する者は『持つ者』で構成された他の派閥に対し劣等感や反感を持っているものも少なくない。
彼らが他派閥の者と接触し争いになる事を防ぐため、それぞれの間を持つ者として置かれたのが、『持つ者』や他の派閥に対して特別視するような事情を持たない彼らである。
冷静な判断が下せるだろうという、思惑がそこにはあるのだ。
二つ目の理由に、万が一争いが抗争が勃発した時、各部署の中で最高の権限を持つ幹部であるならば組織の構成員に命令を下し、対処が出来るというメリットがある。
組織の構成員を争いから遠ざける事も、幹部命令があるなら容易ということ。
自由さが売りになっている悪の組織・ナンジャイワレであるが、人は世話になっている上司にはなかなか逆らえない生き物である。
このような理由で、外交チームのメンバーにる条件に幹部が加えられた。
そして三つ目は――――自衛の手段を持っているということ。
話が通じ、冷静な判断が下せ、組織の構成員と外部派閥の構成員の間に入ることが出来るとはいえ、相手の出方によっては戦闘になる事がある。
その時、自分の身を守れる――――ひいては、物理で相手を打ち負かすことが出来る者ということで、彼らは選ばれたのだ。
最終的には、力で言い負かす。
まさしく悪の組織らしい、外交チームの入隊条件である。
――――それでは。
改めて、幹部精鋭戦闘部隊・塞囓の構成員について紹介しよう。
「時速百八十キロの『空中単車』で轢かれても打撲のみ、骨折なし…………こりゃアタシの出番は無いね。
コイツはアンタらに任せるよ。アタシゃあ医務室に行って仕事してくるからさ」
医療・精神ケア部署幹部『神の御手』、睦月一。
受け持った患者全ての外科手術を成功させている、繊細で精密な技術を誇る――――外科医。
「あーあ、やっぱり上の階にもトラップ仕掛けて置くべきだったかー…………引っ掛かったら即串刺しみたいなヤツとか、検討しとこっかなー」
工作・罠部署幹部『甘い罠』、如月二タ。
愛らしい顔とは裏腹に、阿鼻叫喚の壮絶なる罠を仕掛ける事を得意とする――――罠師。
「俺は今回の損害額と修繕費分の損害をIKLに与える様に、ボスに申請するとしよう。俺は非戦闘員なのでな。派手な祭りはお前達に任せる」
事務・経済部署幹部『金の車輪』、弥生三月。
表立った行動はしないが、組織における全ての金銭管理を司る――――番人。
「仕事が有るなら呼ぶが良い。俺は現地への案内と翻訳ぐらいしか出来ないがな」
偵察・翻訳部署幹部『先見の眼』、卯月フォード。
様々な言語を操る他、その場の地形や罠を見透す《奇跡》を持つ――――案内人。
「…………知ってる? 翼をもがれた天使は、もう二度と飛ぶことは出来ないの…………でも、仕方ないことなの。だって、アナタ、あの人を怒らせてしまったから…………フフッ、とっても…………ステキ」
神秘・秘術部署幹部『闇の魔女』、皐月ゆき。
世界でただ一人、お伽噺のような魔法を扱う『持たざる者』の――――魔女。
「それでは拙者、これにて。下の階にいる侵入者の始末に向かうでござる。今回の計画を立てた黒幕が分かったならば、拙者を教えてくだされよ。ニンニン」
暗殺・隠密部署幹部『夜闇の忍』、水無月六罪。
独自の技術で自らの体温や心拍すら消し、標的へ忍び寄る――――暗殺者。
「やべー。下の階に十年後籍入れようって猛アタックしてる子いんのに、やっとの事でデートの約束して数分後に襲撃とかマジねーわ。ちょっとオレ未来の妻のため頑張ってきます」
狙撃・射撃部署幹部『夜鷹の目』、文月七日。
幼女博愛主義者である一方、超遠距離からの射撃を最も得意とする――――狙撃手。
「…………え? あの文月が本気になる幼女…………? あの、『幼女体型ほど素晴らしい体型はねーっすよ』なんて、この前飲みに行った時三時間ぐらい余裕で語っていた? あの、『全ての女の子(ただし十歳までに限る)を平等に愛してるんすよ』って真顔で語っていた幼女博愛主義者が? 猛アタックして? やっとデートの約束した? 出逢って五分で父親を差し置いて幼女に『将来ナノお兄ちゃんのお嫁さんになるー(ハート)』って言われる、あの文月が?
え? ええ? 今の話だと最近待ち合わせしたら最短でも十五分遅れてくる理由って、いつもあの文月『女の子に声かけてました』って言ってるけど、それって、まさか。いや、あの文月に限ってそんな、まさか。まさか、いや、まさか…………え?
………………………………………………………………ええええええええええええええええええええええええデュくしッ――――――!!?」
情報・広報部署幹部『真実の門』、ヤー・ヨーゲット。
この世に知らない事など何一つ存在しない、全てを知り尽くした――――情報屋。
「うるせぇヨーゲット。それよりこの試験体、ワタシの研究室に運べ。これだけ丈夫なんだ。どこまで苦痛に耐えられるか、どうやったら死ぬのか、どうやって生きているのか――――全部、実験して証明したい。
新しい組織の構成員のために造った『境界への鍵』もコイツで試して、調整しなきゃならない。
――――ヨーゲット。
ワタシの目的のために、働いてくれるよな?」
神秘・技術部署幹部『深淵の狂』、ツヅラオ・N・ムーン。
組織の兵器や薬品、そして『持つ者』が起こす《奇跡》の殺し方を研究し追究する――――科学者。
「んじゃ、酔いも程よく覚めたところで――――下のヤツらと祭と洒落こもうじゃねぇか。ちょうど一暴れしてぇと思ってたとこなんだよなぁ。後片付けは頼んだぜぇー」
秘術・戦闘部署幹部『蹂躙の嵐』、神無月十。
一度剣を執れば敵が全滅するまで暴れ続ける、破壊の権化ともいわれる――――戦士。
「やっと…………やっと会議が始められると、思ったら…………! 苦労して、やっと始められると思ったのに…………! この後もスケジュール詰まってるのに全部計画し直しじゃないですか! これだから『持つ者』は身勝手で時間にルーズなんです! 周りの人にかかる迷惑も考えてほしい!
そもそも、元はといえば幹部でありながら定例会議の時間に遅れる上に揉め事を起こす貴方達が――」
援助・物資部署幹部『迅速の鑑』、霜月士彦。
要請があったならば世界各国どんな辺境の土地も、最速かつ安全に何でも届ける――――運び屋。
「ワシの腰使いばバアさんの他にも、礼儀のなっとらん若者もイチコロじゃぞぉ? なんせ、全員文字通り腰砕けじゃからのぉ。ホッホッホ」
護身・体術部署幹部『烈鉄の千』、師走十二。
己が肉体のみで鋼鉄すら砕く、歴戦の末に人間の肉体の限界を凌駕した――――武闘家。
――――こうして。
塞囓の手によって今年四回目となるIKLによる悪の組織襲撃作戦は失敗に終わり、作戦に参加した熾天使含む『持つ者』十三名とIKL工作員百二十三名は捕らえた。
そして塞囓に所属する者達はみな、それぞれ、己の道を極めながら、ただ一つの目的のために働く。
彼らの目的は――――世界征服。
「世界征服する前に、まず会議をちゃんと始められることから始めないと――」
「ハイハイ相変わらず神経質なのは分かったから。精神ケアはアッチな、アッチ」
〈終〉
≠あとがき≠
締切から2週間ほど遅れての投稿になります。
本当にすいませんでした。
これはもう何かしらペナルティを設けるべきかと考えていますが、何をすれば良いのか分からない状況です。
決まり次第また報告させていただきます。
今回の企画は『部隊』がテーマ。
かつ、十二人登場人物を出さなければならないというルールを設けて書かせていただきましたが、
かなり難航しました。
十二人の設定と世界観を決めるところまではスムーズに進みました。
ですがその後、書き進めていくうちに話が停滞し完全に筆が止まってしまったので、一度ゼロから書き直しました。
それでも個人的には「違うな」と思うようなところがあるのですが、力量不足のためどう書けばいいか分からず、とりあえず時間を置いてみることにしました。
そういう経緯があって書き上げたこの作品は、以前『向日葵』をお題にして書いた短編同様、シリーズモノではない独立したものとなっています。
一向に話が進まない空想学園シリーズや存在感の忘れ去られている魅魍魎島シリーズ、書き始めたは良いものの放置されている『暁の聖光』や現在連載中の『青天の彼岸花』と、続きを書くにはかなり他の書くべきシリーズが溜まっているので、続編を書くまでにかなり時間がかかりそうですが、一通り一段落したらまた話を広げていきたいなと思っています。
最後に。
遅れてしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでとりあえず次に会ったら謝罪しようと思う相方、雪野さん。
シアトルの素晴らしい景色と優しい人々、味噌汁と緑茶、カルフォルニアの夢の国で親切だったレジスタッフの方、そして遅刻したにも関わらず今作を読んでくださった方々へ感謝を込めて!
ご閲覧ありがとうございました!